卑怯者の一撃
翔子を抱えた榎本は、図体がでかいくせに逃げ足が速かった。
帯刀した時代錯誤の侍は体育館の方へと駆けて、すぐに見えなくなった。
「待ちなさい!」
無駄だとは分かりつつも、サラは榎本に向かって叫ぶ。走りながら、パキっと音を立てて枝を踏んだ。ふいに寒気が襲ってくる。本能に従って横へ跳んで転げ回った。
ついさっきまでいたところに、横向きに吊るされた丸太が鐘でも打つかのように通り過ぎていった。直撃していればタダでは済まなかった。
「クソ、いつ仕掛けたっていうの」
サラは毒づく。風紀委員が軒並みやられたのは計算外だったにしても、榎本は当初より翔子を連れ去る計画だったに違いない。それから自分たちにしか分からない罠を設置して、追いかけて来るサラを罠で倒そうとしていたようだった。
「卑劣な奴ら。何が風紀委員よ。あんたらの根性が一番腐っているじゃないの」
サラはこれまでに倒してきた風紀委員たちをもっと痛めつけておくべきだったと後悔した。
とはいえ、この先体育館に着くまで何が仕掛けられているか分からない。先ほどの丸太は本能でかわしたものの、それだけではどうにもならない罠だってあるだろう。それらを警戒するため、慎重に進まざるを得なくなった。
「時間が無いのに最悪ね」
そうは言いながらも、隠された罠に引っかかっていては翔子を助けることも出来ない。サラは榎本の陰湿さを怨みながらも前へと進んだ。
前方に枯葉の集まった箇所がある。落ち葉を集めたと言えばそれまでだが、どこか不自然に感じたので比較的大きめの石を拾ってから堆積した枯葉に向かって投げてみた。
半ば予想通り、枯葉の周辺が崩れてアリ地獄のような落とし穴が姿を現した。穴を覗き込むと、巨大な針が竹やりのように並んでいる。そのまま行けば串刺しになっているところだった。
「陰湿ね」
サラは呆れながら前へと進む。この程度のことで驚いている場合ではない。榎本やその背後にいる八海内龍雲の存在を考えると、対戦車地雷を埋め込んでいても少しも不思議ではない。あいつらは勝つためにどんな手でも使ってくる。
幸いにして、それ以降にトラップらしきものは出てこなかった。だが、警戒して進むことで大量の時間をロスした。舌打ちが止まらない。サラは昏い目を携えて進んでいく。その目には、翔子を攫った榎本への明確な殺意が宿っていた。
体育館に着くと、金属製の重い扉を引いた。錆びた音とともに、薄暗い体育館の中が見えた。体育館へと入ると、ひとまず入口近くにある電気を点けた。
「翔子ちゃん!」
サラの見つめる、体育館の中空。ちょうど建物の真ん中あたりの位置で、綱で縛られた翔子が吊るされていた。薬でも盛られたのか、虚ろな目でサラを見下ろしている。制服は脱がされ、下着姿で吊るされていた。
「いい眺めだろう。やはり美少女は下着姿にひん剥いて吊るすに尽きる」
声のした方を見ると、体育館のステージに日本刀を持ったオールバックがドヤ顔でサラを見つめている。
榎本狂太郎――不良たちの総帥、八海内龍雲の右腕であり風紀委員の長を務める男。大柄な肉体は、ステージの上に立っても威圧感を発していた。
サラの目つきが一気に鋭くなっていく。
翔子はサラにとっての友人であり恋人だ。そのような相手を辱めるような形で見せ物にしたというだけで、十分に息の根を止める理由にはなり得る。
右手に持った特殊警棒を振る。今にもあのオールバックの頭をかち割りたくて仕方がない。
「いい表情だ」
殺気に満ちたサラを見て、榎本は満足そうに言う。
「俺は強い奴が好きだ」
榎本は日本刀を軽く振りながら語りはじめる。
「どれだけ文明が進もうが、どれだけ武器の性能が上がろうが、やはり人間というものは原初的で生物的な強さというものに惹かれる。これは揺るぎの無い事実だ」
サラは何も答えずに榎本を睨み続ける。
「力こそすべてだ。その言葉に、俺は心から同意する。どのような形であれ、歴史というものは力のあるものによって作られてきた。それは世界的な情勢を見ても間違いない」
「政治家にでもなったつもり? カタツムリぐらいのIQしか無いくせに」
「そう急くな。どうせお前は刀の錆になる。その前に俺の偉大さを知っておいた方が安心してあの世へと行けるというものだろう?」
「大したギャグセンスね。ここまで立派な死亡フラグを立てる人は見たことがないわ」
「なんだと……?」
サラが鼻で笑うと、榎本の顔が怒りで歪む。
「今、宙に浮いている翔子ちゃんにしても、私を足止めしながら一人で必死こいて体育館に吊るしたんでしょう? 偉大な男が聞いて呆れるわ」
「貴様、暴言も大概に……」
「うるさい、御託はもういいわ。さっさと始めましょう」
サラの目が一気に冷たくなる。右手から伸びる特殊警棒。日本でそう見られない、珍しい女子高生の立ち姿だった。
「ガキが。黙っておけば調子に乗りやがって」
「ごめんなさい。でもダブってあなたの方が年上になったのは私のせいじゃないわ」
「舐めるなああああ!」
日本刀を持った榎本は、ステージから飛び降りると一気にサラの方へと駆けていく。先ほどかましていた余裕は消え去り、生意気なJKを斬り殺すことしか頭には無い。
迎え撃つサラは半身に構える。フェンシングのフルーレのように、特殊警棒を持って迫り来る大男の攻撃に備える。
「死ねええい!」
ほとんどダッシュで榎本は必殺の一太刀を振り下ろす。サラは冷静に右回りで死の一撃を外す。
とはいえ、特殊警棒に比べると日本刀の方がリーチで勝る。踏み込んで反撃に転じようにも、横一閃に払われた太刀で斬られないよう、今度はバックステップで距離を取る。
「やるな。さすが俺の顔に傷を付けた猛者だ」
榎本は逃亡前に殴られた頬を撫でる。頬骨の一部が折れているのか、打たれた場所は赤く腫れていた。
「今度は傷を付けるどころかあの世に送ってあげるわよ」
サラは特殊警棒を構えながら口角を上げる。その目には自分が斬り殺されるかもしれないという恐怖など、少しも宿っていなかった。
「ほざいていろ。たしかにお前は強いが、それは格闘術の話だ。剣術で命のやり取りをしたことのある者など、そういるものではない」
「でしょうね。あなたは江戸時代から飛んできた猿みたいだから」
「舐めるなあああ!」
一発でブチ切れた榎本は刀を無茶苦茶に振り回す。サラはその太刀筋を冷静に見て、絶対に斬られない距離と位置取りをキープしていく。その目には一瞬の隙を窺う光が宿っていた。
上段打ちから振り下ろされる太刀が、サラの鼻先にある空気を切り裂く。
――今だ。
サラは踏み込んで、特殊警棒でカウンターの一撃を放つ。刹那、榎本の足払いでこかされる。転んだ拍子に特殊警棒を取り落とした。
「油断したなあああ! 最初からそれが狙いだったのは分かっていたわあああ!」
目をいっぱいに見開いて、世界で一番邪悪な侍の顔へと変貌する榎本。その見た目はまさに狂太郎の何相応しい顔つきだった。
フロアに転がったサラ。そこへ振り下ろされる鈍色の刀身。喰らえば致命傷か、最悪の場合は命を落とす。
サラは素早く横へ転がり、必殺の一太刀をかわした。スカートのポケットに手を突っ込むと、しまい込んでいた砂を榎本めがけて投げつける。
「ぐああ! ひ、卑怯者……!」
「自分だけ日本刀なんかを使っておきながら寝言をほざいてるんじゃないわよ」
サラは特殊警棒を拾うと、素早く榎本の背後へと回り込む。無防備になった後頭部を硬い棒で滅多打ちにした。鈍い打撃音ととに、苦悶の声が漏れる。榎本も見えないなりに反撃へと転じようと試みるが、刀を振るおうとするたびに回り込まれて特殊警棒で殴られる。
あまりの痛みに、頭を抱える。常人であれば頭蓋骨ごと砕かれていてもおかしくない威力。いくら榎本の耐久度が高くても、耐えられる威力には限界があった。
膝が折れようが流血しようが、サラはまったく手を緩めない。榎本は翔子を体育館に吊るしたことを後悔しはじめていた。そんなことをするぐらいなら、翔子を人質にするべきだった。特殊警棒を振るうこの女は、その言葉通りに榎本を潰すつもりだ。
このままでは倒される――榎本は最後の力を振り絞り、日本刀を持ったまま回転する。バックハンドブローの要領で、振り向きざまの一太刀でサラを真っ二つにするため全力を振るう。
だが――
サラは前蹴りで榎本の手首を打つと、バランスを崩したところにフルスイングの特殊警棒を打ち下ろす。
轟音――骨の砕ける音がして、榎本の手から愛刀がこぼれ落ちた。
「引くほどの石頭ね」
先ほどの一撃で、特殊警棒はひん曲がっていた。サラは曲がった警棒を何でもなかったように投げ捨てた。
「あ、あ、ああ……」
ひどく驚いたように見開いた目が飛び出て、口からよだれを垂らしながら後方へとふらつく榎本。先ほどの一撃は、文字通りの致命傷に至るだけの威力であったことを物語っている。少なくとも今後の人生を健常者として生きていくことは不可能だろう。
よろめく榎本は、これから後ろ向きに倒れるというところで背中が「何か」に当たった。
途轍もなく嫌な予感――ほとんど肉体は死へと近付いているのに、榎本の脳裏には死を上回るだけの恐怖が押し寄せてきた。
「榎本よ、相手は女だぞ。情けない」
サラの表情が変わる。
「あなたは……」
「おお、会いたかったぞ、羅刹院サラよ」
突如現れた大男は、ツーブロックの髪型に日焼けをした、筋肉ダルマの巨人だった。その男をスポーツマンらしく見えなくしているのは、熊と闘った時につけられたと言われている顔の巨大な傷痕だ。
「あ、やみ、うち、さん……」
虚ろな目で男を見る榎本。その頭を両手で持つと、ごきんという音とともに一気に捻り上げた。先ほどまで日本刀を振り回していた榎本は、目と口を全開にしたまま事切れた。
「仲間になんてことを」
「仲間だと? くっく、笑わせてくれるな」
ツーブロックは邪悪な笑みを浮かべる。
「俺に仲間などいない。ここに来る前から、食うか食われるか、殺すか殺されるかの世界に生きてきた。榎本はそれなりにマシな奴だから使ってやっていたが、ついさっきにたかだか女に負けて価値が無くなった。俺は無能な部下に引導を渡してやっただけだよ」
男は酷薄な笑みを浮かべる。
全身から溢れ出る殺気。それは、熊や鮫と対峙するたぐいのものだった。
「あなたが、八海内ね」
サラの問いに答えず、闇を纏った男は嗤った。
八海内龍雲――鬼哭開成高校の番長でもあり、若干15歳にして半グレのディープ・グレイを結成した伝説の悪童が、今ここに姿を現した。




