告解の空に浮かぶ白い月
「サラちゃん……」
ようやく煙が晴れると、二人の闘いを見守っていた翔子が姿を見せた。
「翔子ちゃん……」
煙がどんどん晴れていく。綺麗な青空が見えるのに、今はその蒼さがつらかった。
「聞いたでしょう。あの女が言った通り、私は人を殺したの」
「うん」
「本当は自分でその経緯を説明したかったけど」
「いいよ。最初に、自分でそう言っていたじゃない」
翔子は複雑な心境を心の奥に押し込んで、なんとか笑顔を作っていた。
「私ね、父親がいなかったの。厳密に言えば、父親はいたけれど戸籍の上での繋がりはなかった」
「うん」
「かなり複雑な家庭だったんだけど、私の遺伝学上の父親は柴木組というヤクザの長だった」
サラは空に浮かんだ太陽に目を細めながら言う。こんな天気のいい日にしても構わない話なのか、自分でも分からなかった。
「ボクシングをはじめとした格闘技はね、その『オヤジ』から教わったの。最初は自分の身を守れるようにっていう目的だったんだけど、思ったよりも筋は良かったみたい」
「そうだったんだね」
翔子に向かってサラは頷く。話していると、心が落ち着いてきた。あの頃に思いを馳せる。何も知らない幼少期、「オヤジ」の柴木十三は齢にして50を超えた父親だった。サラの実母は籍を入れずに十三を陰から支える役割を担っていたが、ある時になって子供が出来た。それが羅刹院サラだった。
その言葉通り、戸籍上繋がりの無いサラは柴木十三の手ほどきで幼少期より厳しい練習を課されてきた。暴対法の引き締めからヤクザの生きづらさは以前の比ではない。イジメに遭う可能性も見越して、十三はサラにボクシングをはじめとした様々な格闘術を叩き込んだ。
「今思い出しても頭のおかしい『オヤジ』だったわね。小学生の時から、男子のプロボクサーとスパーリングをさせられた。泣きながら『もうやりたくない』って言っても無視で、私が勝てるようになるまで続けさせられたわ」
サラが珍しく思い出し笑いをする。この少女が「頭がおかしい」と言うのだから、本当に想像を絶するレベルの厳しい練習を繰り返してきたに違いない。ともかく、目の前のバケモノは井上尚弥も真っ青なスパルタ教育で本物のバケモノになったようだった。
「世界選手権ですべての試合をKOで勝ってオリンピックへの出場を決めた時、一番喜んでくれたのは『オヤジ』だったの」
サラは寂しそうな目で空を見上げる。以前に話したように、その後の性別検査でサラの血液からは男性のXY染色体が検出された。ほとんど神の領域と呼べる要素で運命の壁に弾き返されて、サラはどれだけの絶望と苦しみを味わっただろうか。翔子には想像も出来なかった。
「オリンピックがダメになった時も、慰めてくれてね。一緒になって涙も流してくれた。『男は決して涙など見せてはいけない』と言っていたのに、そんな父が泣いたの。それを見ていたら、本当に申し訳なくてね」
翔子は何も言うことが出来なかった。
政治家だった父が陰謀で逮捕された時、自分こそが世界で一番不幸な女だと思っていた。それなのに、もっと下の人間が目の前にいる。俯かず、前を向いて生きている。生きる意味さえ見失って落ち込んでいた自分が、なんだかバカみたいな気分になってきた。
その時、ふいに空気が重くなる。サラの瞳に、寂しさから怒りや憎悪のようなものが入り混じりはじめた。
「ある日になってね、父が亡くなったの。何人もの武装した男たちに襲撃されて、なすすべもなく殺された」
「殺されたって……」
「父を殺した首謀者は、かつて父が世話を見ていた男だと聞いているわ」
「それじゃあ、犯人はお世話になったサラちゃんのパパを狙ったってこと? そんなことって……」
それ以上は言葉が続かなかった。たまに身元引受人が殺される話をニュースで聞くが、ヤクザの世界でもそのようなことはあるらしい。
「そいつは暴対法に引っかからない半グレを結成して、薬物に売春、違法カジノやら特殊詐欺にまで手を染めていると言うわ。父の持っていた柴木組ですら、そこまでは手を出していなかった。悪人にも悪人なりに守るべき道っていうのがあるのよ」
サラの目つきがどんどん鋭くなっていく。その視線の先には、まだ見ぬ犯人が映っているのか。
「どうして父が死なないといけなかったのか。理由はどうせ邪魔だったからでしょうけど、私はその犯人を決して許さない。葬儀の時にそう誓ったの。絶対に、あいつを逃がしはしない」
サラの放つ鋭い眼光を見て、翔子は思わず震えた。その目は一般的な女子高生が持っているようなものではない。確実に相手を殺すと決めている――そんな目だった。
「犯人が見つかるといいね」
「そうね……。そう簡単には見つからないでしょうけど」
自分の中から溢れ出しそうな憎しみに気付いたのか、少しだけ邪気の抜けたサラが続ける。
「そういう背景もあってね。シバキングっていう男子ボクサーとの試合では、散々私のセンシティブな部分を煽られて本当にキレてしまったの。あの時の私は、本気で相手を殺してやろうって思いながら闘っていた」
「そうだったんだね」
「……ドン引きでしょう、正直」
「そんなこと無いよ。むしろサラちゃんって真っすぐな人なんだなって分かったぐらい」
翔子の言っていることは本心だった。
リングで相手を殺すまで殴ったと言われたら聞こえが悪いが、その前の段階で常人であればとっくに闇堕ちしている。そうはならずに這いずってでも前を向いて生きて行こうとするサラの姿に、翔子は尊敬の念すら抱いていた。
翔子はサラを抱きしめる。
「サラちゃんはあやまちを犯したかもしれないけど、それは大切な家族を思ってのこと。そう思ったら、わたしはサラちゃんのことがもっと好きになったよ」
「翔子ちゃん……」
予期していなかった言葉に、思わず目頭が熱くなる。サラも翔子の体をきつく抱きしめ返した。
「わたしはサラちゃんの傍から絶対に離れないからね」
「ありがとう。私もあなたのこと、全身全霊をもって守っていく。だから私の傍にずっといて」
二人の唇が近付いていく。
真昼の空には、爽やかな青に溶け込むように白い月が浮かんでいた。




