くノ一の正体
「それじゃあ、これから本番をはじめましょう」
実は男の娘だった美瑠が翔子に覆いかぶさる。抵抗しようにも、媚薬が効いて足腰に力が入らない。すっかり手懐けられた肉体は、翔子の意志に反して快楽に溺れようとしていた。
「じゃあ、挿れちゃうからね」
固くなった先端が太ももに擦れると、それだけで電気が走るような感覚が襲ってくる。さっき舐めさせられた媚薬キャンディはかなり強烈なものだったらしい。
――このままだと、犯される。
押し寄せる快楽と矛盾する恐怖。相反する複雑な思考の塊が、翔子の脳裏をよぎる。
その刹那、ふいに空気が重くなるような感じがした。
「え?」
翔子が声を出すとともに、顔スレスレを長い脚が通り過ぎた。空気を切り裂くような蹴りは、どこかに飛びかけていた意識を引き戻した。
知らぬ間に離れた場所に飛び移った美瑠が、スパイダーマンのように身を低くして嗤っている。その視線の先にいるのは、つい先ほどに鋭い蹴りを放った背の高い女性――羅刹院サラだった。
「帰りが遅いから何をしているのかと思えば、あなたが流行りの男の娘だったなんてね」
「せっかくのラブシーンを邪魔するなんて、サラサラもずいぶんと無粋なことをするんだね」
「黙りなさい。あなたがやろうとしていたのは、ただのレイプじゃない」
「おっと心外だな~。あたしは気持ちよくなるお薬を使って、翔子ちゃんに最高の瞬間をプレゼントしようとしただけですけど?」
「減らず口が。女の子だと思って安心したのが失敗だったわね。もっと早くにオスの匂いに気付いておくべきだった」
「ん~それはあなたには言われたくないかな? だってサラサラは、性別検査で男性って結果が出たんでしょう?」
「とっくに調査済みってわけね。まあいいわ。あなたにも消えてもらう」
「初めて気が合ったね。あたしも、八海内様からあなたを始末するように言われているの」
平和だった一日が一変して、ふいに羅刹院サラと田宮美瑠のバトルが始まった。
サラはその場で全速力のシャドウボクシングを見せて、美瑠を威嚇する。言外に「お前ぐらいの相手はすぐに倒してやる」とメッセージを添えながら。
美瑠は薄笑いを浮かべる。四足動物並みに低く構えたと思ったら、ふいに屋上を駆け回った。
「速い……!」
思わずサラは呻く。旋回するように屋上を走り回る美瑠はネズミ花火のように高速で動き回る。攻撃を当てようにも、本能で判断しているのか、前へ出た時点で一気に距離を取られる。
「逃げ回るだけで私に勝てるとでも思っているの?」
高速で移動する美瑠を煽ると、美瑠は「キャハハ」と笑い声を上げながら灰色をしたボールのような何かを投げ始めた。
ボールが破裂すると、黒い煙が出てきた。たちまち視界が狭まっている。
「バルサンで虫退治でもするつもり?」
「あはは、なかなか面白いことを言うね。でも、あたしはくノ一の末裔だよ」
声のした方から、煙を割って美瑠が突っ込んでくる。その手には小太刀。スウェーバックで外したが、喰らえば命が無かった。
「さあて、サラちゃん問題です。あたしは一体どこにいるでしょう?」
おちょくるような声とともに、黒い煙が広がっていく。幸い吸っても人体に害は無さそうだったが、視界が塞がれるのでタチが悪い。
と、その時に美瑠のピンク色のツインテールが見えた。
煙に隠れるなら、もっと目立たない髪色にしておくべきだったわね――サラはツインテールから顔面の位置を計算して、素早く踏み込んでの左ストレートを叩き込んだ。パコーンという乾いた音が響く。
「ハリボテ?」
中途半端な手ごたえとともに地面へ叩きつけられたのは、美瑠がダブルピースをしている等身大パネルだった。
「変わり身の術、なんちゃって」
ふいに殺気を感じて、本能的に体をねじる。さっきまでサラの頭があった場所を、鋭い切っ先のクナイが通り過ぎた。
「クソ」
「言ったじゃない。だからあたしはくノ一なんだって」
煙のどこかから、美瑠が小馬鹿にした口調で言う。緊張感が増していく。不良だらけの学校とは聞いていたが、美瑠は明らかにサラを殺しに来ている。
「サラちゃんにについて色々調べたよ」
姿が見えないままの美瑠が語りはじめる。
「サラちゃん、登校初日に人を殺したって言っていたけど、あれって本当だったんだね」
離れたところから闘いを見守る翔子の表情が硬くなる。そう言えばサラはたしかに「人を殺した」と言っていた。だけど、翔子とお互いの過去を話した際には、少なくとも誰も死んだ話は出てこなかったはず……。
そんな心理を見透かしたかのように、美瑠が声を張る。
「翔子ちゃんにも聞こえていると思うけどさ、サラサラって性別検査が男性判定になった後に、一度男子のボクサーと試合をやっているんだよね」
煙の向こうで始まった暴露に、サラは顔を歪める。
「その時にさ、サラサラは強かったから一方的に男子の選手をボコして勝っちゃったの。そこまでは良かったんだけどさ……」
「やめて!」
サラが怒りに声を上げる。真相がどうあれ、翔子には追って話すつもりだった。他の誰かから面白半分にあの悲劇を語られたくない。酷薄な表情で嗤う美瑠は、そんなことはもちろん分かった上で暴露を続けた。
「それでサラサラはさあ、レフリーが試合を止めているのに、攻撃を止めずに気絶している選手を殴り続けたんだよね」
「黙れ!」
煙の中で響く悲痛な叫び。それは決して届かない。
美瑠は悪魔のような笑みを浮かべながら、他人の不幸から得られる蜜の味をかみしめていた。
「そして、それを止めようとしたレフリーもぶっ飛ばして、怒って乱入してきたセコンドの人間も殴り倒したの」
美瑠は一息にことの顛末を言い切った。煙に囲まれながら、サラは立ちすくす。
――とうとう、言われてしまった。
羅刹院サラの抱えた黒歴史。
別に秘密にしておくつもりはなかった。それでも、段階を経て自分の口から翔子へ伝えたかった。そんな想いは、美瑠の悪意で脆くも崩れていった。
――それは決して忘れられない、サラの抱えた罪の記憶でもあった。




