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白馬に乗った初恋の人  作者: こん


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前編

 公爵家の次男、アルベルト、その婚約者として今日、公爵家に挨拶に行くのはしがない男爵家の娘、リラ。


「やっぱり、やめようよ。」

この日が決まってから何度も繰り返す言葉をまた、リラが口にする。

「そんな事、言わないで。お願い。」

アルベルトは端正な顔を歪め、申し訳なさそうにしながら、手を合わせて言葉を続ける。


「リラしかいないんだ。リラしか無理なんだ。父さんも母さんもいつも僕からリラの話を聞いて、勤勉なリラの事を気に入っているよ。兄さんがちょっと堅物だけど、大丈夫。兄さんはいつも僕の味方だから。」


「でも。」

リラが話そうとするのを制してアルベルトが話し続ける。


「リラ、いつもいつも迷惑ばかりかけて本当に申し訳ない。でも、リラ以外には頼めないんだ。お願い。」


そんなアルベルトの様子にリラは頷くしかなかった。

「分かった。もう、ここまで来てしまったし。とりあえず頑張ってみるよ。アルベルトの夢のためだもんね。」


そうは言っても、今まで生きてきて、こんな豪邸に入ったのは初めてだ。応接室で、この館の主人が入って来るのを待っている間、思わずキョロキョロ部屋の装飾に目を走らせてしまう。


高い天井には絢爛豪華なシャンデリア。時代を感じる重厚な雰囲気。手入れが行き届いているためだろう、一寸の曇りもない。部屋を華やかに彩っている。


出窓にはクリスタルのオブジェ。透明度が高く、緻密なカットが施されている。


そして、部屋の中で最も目を引くのがグランドピアノ。学園にあるものより一回り大きい。鍵盤の数も多く、一般には出回っていないものだ。アルベルトから聞いてリラも一度は弾いてみたいと憧れていた。

リラも学園に入るまではピアニストになる夢を追っていた。学園に入って、自分の実力がプロになる程ではないと気付かされ、今は小さい子にピアノや勉強を教える道を目指している。


そして、アルベルトとリラが座っているソファー、座り心地が最高で何も考えず体を預けたくなってしまう。最近は、今日のこの時の事を考えると熟睡ができず、寝不足が続くリラだから、背もたれにもたれかかった途端、すぐに寝息をたてて寝られそうなぐらいフワフワの肌触り。ただ、かなりの高級品だと思うと、少しも汚すことはできないと深く腰掛けられず、ソファの端っこに申し訳程度におしりを載せている。


前に置かれたテーブルも側面には精緻な彫刻が施され、家全体の格式を更に上げている。


テーブルに置かれた2つ並んだ上品な花柄のティーカップ、万が一、落として割ってしまったら。万が一、紅茶を溢して細密な柄の手織りの絨毯に染みを作ってしまったら。弁償をするとなると、男爵家の家計が逼迫している今、学費が払えず、学校を自主退学せざるを得ないと思うと、リラはカップに手を出せず縮まっていた。


そんなリラにアルベルトは笑いながら

「うちのお茶は最高品だよ。僕はうち以外で紅茶は飲めないんだよねら。香りも味も、これに比べるとどうしても喉を通らなくて。だから、学園の食堂ではいつもコーヒーを飲んでるのさ。紅茶好きなリラにはいつか、飲んでもらいたいと思っていたんだよ。」

一口、美味しそうに口に運んでいる。


そう、言われてもカップに触るのでさえ気後れしてしまう。


ティーカップのそばに置かれたお皿には上品なクッキーが並んでいる。アルベルトが手を伸ばしながら、

「うちはケーキも焼き菓子も最高さ。今は公爵家のパティシエだけど、若い頃は王都で一番有名な店で朝から晩までケーキを作っていたんだ。そろそろ隠居して楽したいと言うのを頼み込んで、特別な時だけここに作りに来てもらっている。王家からも声は掛かっていたみたいだけど、うちは王家の2倍の報酬を提案したからね。待遇も全然いいからうちの専属パティシエとして来てくれているんだ。それもこれも全部、公爵家当主の父と王都の騎士団長の兄の功績なんだけどね。僕はそのおこぼれに預かってるってわけ。で、僕は何もできない不肖の息子さ。」

アルベルトはちゃめっ気たっぷりに話す。リラの緊張を和らげようとして。


ただ、リラはその話を聞いて、男爵家の自分と公爵家の金銭感覚の違いを感じ、更に緊張が高まったのだった。


公爵家のパティシエの話は王都でも有名でリラもいつかは食べてみたいと密かに憧れていた。が、そんな機会が来るわけないとも思っていた。

ただ、今そのお菓子を目の前にしても口に運ぶ気にはなれない。


壁には芸術についてはあまり詳しくないリラでも聞いた事のある有名な画家の作品が並んでいる。そして、一番目立つ所にはアルベルトが小さい頃に初めて描いた油絵、コンテストで優秀賞を獲った風景画が飾られていた。今でもアルベルトは絵を描いていて、リラは豪快で思い切った色使いのアルベルトの絵の大ファンだ。ここからアルベルトの絵が始まったと思うと胸が熱くなり、目を離せなくなっていた。


「リラ、リラ。」

アルベルトに肩を揺らされて初めて、部屋の中に3人、入ってきている事に気付いた。アルベルトの両親の公爵夫妻、そして公爵家を継ぐアルベルトの兄、オスカーだろう。


慌てて立ちあがろうとするリラを制して公爵が

「嬉しいよ。アルベルトの絵をそこまで気に入ってくれていて。」

リラを温かい目で見てくれる。

リラは自分の目に涙が溜まっている事に気付いた。アルベルトの原点に感動して、時間が止まっていた自分に恥ずかしくなった。

「アルベルトの絵、好きなのね。」

と、リラに笑顔を向けながら公爵夫人がリラの向かいのソファーに座った。公爵がその隣に座りながら、

「遅れてすまない。待たせてしまって。」

そう言って頭を下げる公爵にリラは申し訳ない気持ちになる。何と言ってよいのか迷っていると

「父上、リラは僕の絵の大ファンなんです。3年前から。」

アルベルトが口を挟む。

「豪快で思い切った色使いがアルベルトらしくていいなって思っています。」

リラも思っている事を告げた。

それを聞いた公爵は

「それは嬉しいね。私たちもアルベルトの絵が好きなんだ。」

そして公爵夫人は笑いながら

「本当に。」

首を縦に振って大袈裟に同意する。その姿にリラの気持ちは少し軽くなった気がした。


「じゃあ改めて、リラ、僕の父と母。」

二人から握手を求められ、手を握る。温かい心地よいぬくもりを感じた。


「そして、兄のオスカー。」

紹介されて初めてオスカーの顔を直視した。その瞬間、リラは声をあげそうになった。


オスカーは学園に入る前に出会ったリラの初恋の騎士様に見えたから。


「アルベルトの兄のオスカーです。」

オスカーが挨拶をした。少し冷たい感じの声だった。リラは一瞬固まった。が、昔出会った騎士様とは雰囲気が全く違う。その口調にも騎士様の影は無く、他人の空似だと自分に言い聞かせた。


「はじめまして、リラです。」

ただ、そう言うのかが精一杯だった。


笑顔も無く硬い表情のオスカーに不安になった。

と、ドアがノックされ、執事が入ってきた。

「すみません、旦那様。領地からまた至急の連絡が届きました。」

と、告げてきた。


執事から渡された伝言を見て、公爵は

「すまない。今日は一旦、領地に向かわなければならない用事ができてしまった。」

すまなさそうにリラに話した。


横で伝言に目を通していた公爵夫人も

「ごめんなさい。実はオスカーとアルベルトの姉のミレイナが領地に帰って来ているの。2ヶ月後に出産を控えていて、その前に少し里帰りのつもりだったのに急に今朝、産気づいたみたいで。あなたを待たせたのもミレイナの主治医を急遽領地に呼び寄せる手続きに時間がかかってしまったの。本当にごめんなさい。」


何度も詫びる公爵夫妻に

「そんな大事な時に時間を割いてもらって、本当にすみません。」

それだけしか言えなかった。


リラは申し訳ない気持ちで居た堪れなくなっていた。


公爵夫妻は昨日、リラに会うために王都にやって来ていた。ミレイナも一緒に来る予定が、治っていたつわりが、里帰りの移動でぶり返したとの事で領地に留まった。公爵夫妻は明日、朝からミレイナの出産用品の買い物をして明後日、領地に帰る予定だった。ただ、今は、ミレイナ、そして生まれてこようとしている赤ちゃんのために一刻も早く領地に帰りたいと思っている。それなのにリラとアルベルトのために出発を遅らせてくれたのだ。


「あなたに会えてよかったわ。」

公爵夫人がふわりとリラを抱きしめてくれる。それを見た公爵は、

「アルベルト、隣国からの婚約の話、正式に辞退を伝えておくよ。婚約者がいるのであれば、あちらから強く言われる事も無いだろう。」

優しい笑顔でそう、伝える。


「ありがとう、父さん。」

アルベルトは今日一番の笑顔で公爵にそう、返事した。


公爵夫妻は、次はゆっくり会う機会がほしいという言葉を残して、笑顔で領地に旅立った。


その後すぐにリラとアルベルトは公爵邸を後にすることを決めた。


ただ、リラの脳裏にはオスカーの冷たい視線が怖いくらいに焼き付いていた。公爵夫妻の温かい歓迎を忘れるぐらいに。


「リラ、ありがとう。」

公爵家の玄関を出るとアルベルトが言った。

「どういたしまして。」

リラも大きく息を吐きながら返事をした。公爵夫妻に申し訳ないという気持ちを抱きながら。

そして、話を続ける

「ミレイナ様、心配ね。」

そう、リラが話すとアルベルトは

「心配ないさ。姉さん、すでに双子を出産しているから。今回はお腹にいるのは一人だし、経産婦だしってちょっと甘く見ていたんだよ。皆の反対も聞かないで、姉さんは里帰りしてきたんだ。その理由もリラに会いたいからって。」

それを聞いたリラはますます罪悪感に苛まれる。


アルベルトは続ける。

「僕が大丈夫って思う時は絶対大丈夫だからリラは心配しないで。ちょっとうちの両親は心配性なとこがあるけど、その両親が笑顔で領地に向かったっていうのはそこまで深刻じゃないって証拠だよ。あの二人は貴族のくせに思った事がすぐ顔に出てしまう。僕もそこは似てしまったけど。この家で貴族らしく気持ちを顔に出さないのは兄さんだけさ。」


そこで、アルベルトは急にリラの目を覗き込んで聞いてきた。

「ところで、兄さんとは本当にはじめまして?リラの騎士様じゃない?さっき、リラが兄さんの顔を見た瞬間、リラの息が止まった気がしたんだけど。」

アルベルトからオスカーの話を聞いて、また緊張が戻ってくる。

顔が引き攣りそうになりながら

「顔が似てるから一瞬、ドキッとしたけど、全然違うわ。」

リラが言うと

「そうだよね。兄さんが雷を怖がる少女に優しくしたなんて想像もできないもん。それにリラが騎士様と出会った時、兄さんは騎士団の訓練所に缶詰だったから教会には来れないはずだし。」

アルベルトの言葉にリラは騎士様を思い出した。白馬に乗った騎士様は、本当に紳士で優しかった。

アルベルトは続けた。

「実は兄さんにも婚約の話が進んでるんだ。既に相手の家には打診してるって話だよ。どこの誰かは聞いてないけど。もしかしたら騎士様が兄さんかもしれないと思ったら、リラには伝えられなかったけど。別人ならよかった。」

オスカーにも婚約者がいる。その現実になぜか気持ちが落ち込んだ。


その時、

「ごめん。ちょっと待っててくれない?忘れ物をしたんだ。」

アルベルトが頭をかきながら告げた。


公爵邸は今、領地への荷物の搬送で使用人は全てその対応に追われている。明日、公爵夫妻が購入予定だった出産用品を急ぎ揃えて、領地に送り届けないといけない。加えて新生児の用品も最低限度で必要になる可能性がある。その準備に追われているのが分かっていたので、アルベルトは見送りを断っていた。今は二人きりだ。


「分かったわ。ここで待っているわ。」

その返事を聞いてアルベルトは再び、公爵邸に入っていった。


一人になると、オスカーの冷たい視線を思い出して落ち着かなくなってきた。自分を落ち着かせようと何度か深呼吸をした時、馬の鳴き声が聞こえた。


リラは小さい頃から動物が苦手だった。でも、白馬に乗った騎士様が目の前に現れてからは、馬だけは愛らしく思えるようになった。正直、他の動物は未だに初対面では怖いという気持ちが先に出てしまう。少しずつ慣れると撫でたり、抱っこしたりできるようになっても、大きな声で吠えたり自分でない誰かが引っかかれたりするだけで怖い気持ちが戻ってきてしまう。ただ、馬だけは違った。柵の中で暴れている姿を見てもその美しさに目が離せなくなる。あの時の白馬、スワンを思い出して。


「そう。スワンよ。」


リラは今の今まで騎士様の白馬の名前を忘れていた。

馬なのに白鳥って名付けられている白馬、でも白鳥みたいに美しい白馬にはスワンという名前ぴったりだと思った事、昨日のことのように鮮やかに思い出した。そして、つい馬の鳴き声がする方に足を向けてしまった。


玄関からそう遠くないところにある木のそばに白馬がいた。思わず

「スワン。」

と、声をかけてしまった。すると、白馬はリラの方を見て、嬉しそうに近寄ってきた。そして、白馬はリラに鼻を擦り寄せてきた。

リラは笑顔になって、無言で白馬を撫でた。すると、白馬は嬉しそうにリラの体を舐め始めた。リラも嬉しくなって、白馬の首筋を撫で続けた。


どれくらいの時間が経ったのだろう。

「リラが動物に触れてるの、初めて見たよ。スワンが兄さん以外になついているのも初めて見たけど。」

いつの間にかアルベルトが戻ってきていた。

「スワンって言うの?」

アルベルトに否定してほしいと思いながら聞くと

「そう。スワンだ。スワンが現役の時は兄さんのパートナーとしていつも一緒だった。今はこいつも歳をとったから、ここで優雅に御隠居してるんだ。」


それを聞いて、不安になった。騎士様は、オスカーかもしれない。そして、オスカーに婚約者がいる。リラはその現実に押しつぶされそうになった。


リラが騎士様に会ったのは今から5年前。国境近くにある祖父母の家に来ていたリラは一人で教会にいた。教会と言っても、村の片隅にある小さな教会で、日曜日ではないのでミサも無く、複数の教会を兼任している神父は、留守をしていた。


教会のオルガンを弾くため訪れていたリラの他には誰もいない教会、そこでリラが楽しくオルガンを弾いていると突然、大きな雷鳴が鳴り響いた。リラは恐怖で思わず大きな叫び声をあげて震え始めた。その時、教会の扉を開けて恐怖で震えるリラを抱きしめてくれたのがリラの騎士様だった。


雷鳴と共に大雨が降りだした様だ。風も強く吹いて教会は揺れていたが、騎士様が優しく

「大丈夫。」

と、声をかけてくれると不思議と安心できた。


気付いた時には、少し眠っていたようで大雨をひとしきり降らした雷雲はいつの間にか遠くに行ったようだった。騎士様の腕の中で、ドキドキしながら

「あの、ごめんなさい。私・・・」

目覚めたリラが恥ずかしそうに声を出すと

「お目覚めですか?お姫様。」

笑顔で騎士様が尋ねてくれる。


「お姫様?」

リラはつい復唱してしまった。そう呼ばれた事が嬉しくて。


「姫、ご機嫌はいかが?痛いところはない?」

騎士様は笑顔で問いかけてくれた。

リラは首を振りながら

「あの、助けてくださってありがとうございました。お礼をしたいのですが、何も持ち合わせてなくて。」

そう言うと騎士様は

「姫の演奏に心が洗われたんだ。それだけで十分。」

オルガンの演奏を聴かれていた事に顔が真っ赤になるのを感じた。

「姫、そろそろ暗くなるので家に送ろう。」

赤くなった顔を見られないように下を向くリラの手を引いて、騎士様は教会の外に出た。


「馬に乗った事はある?」

騎士様の質問にリラは首を横に振った。

「私、動物が苦手で。」

小さな声でそう答えるリラに

「紹介するよ。僕のパートナーのスワンだ。」

そして、スワンの方を見て

「スワン、こちらが僕のお姫様だよ。」

オスカーの視線の先にいたのは教会の厩舎に繋がれた美しい白馬だった。

リラはこんな間近で、そして真正面から馬を見たのは初めてだった。馬車に乗る時も馬の方を見ないように乗っていたから。そんなリラが、スワンを見た瞬間、一目惚れをした。


騎士様が

「こちらのお姫様がさっきの演奏を聴かせてくれたんだ。スワンも気に入ってたよね。」

そう言うと、スワンは理解したのか嬉しそうにリラに鼻を擦り寄せてきた。

いつも、動物が近付いてくると逃げたくなるリラだったが、スワンが体を寄せてくると嬉しくなった。

そして騎士様に抱きしめられる形でスワンの背に乗ると、とても安心した気持ちになった。


スワンの背の上でリラは騎士様に話をした。春から王都の学園に入る事、そしてピアノを弾くのが好きな事、今は男爵家の4人兄弟の一番上で、もうすぐ5人兄弟になる事。母が出産間近で妊婦がかかると厄介な感染症にリラがかかってしまい、母にうつさないために2週間前から一人、祖父母の家にお世話になっていたが、そろそろ自宅に帰る事。お喋りな方では無いが、騎士様に聞いてほしいと思って一生懸命に話した。騎士様は優しく話に耳を傾けてくれた。


祖父母の家が近づくと騎士様はリラと共にスワンから降りた。

「僕はここで君が家に入るまで見ているよ。」

そう、言って手を振ろうとした騎士様にリラは


「騎士様、いつか私を本当のお姫様にしてください。」

ここで別れたくない、そう思ったからつい口から出てしまった。でも、言った瞬間、リラは後悔した。騎士様を困らせてしまう。

だから、言った言葉を取り消そうと口を開いた時、


「姫、いつかあなたと夜会で出会う日を楽しみにしています。その時は是非、僕とファーストダンスを踊ってください。」


笑顔の騎士様だった。


信じられない。そんな言葉を騎士様から聞けるなんて。リラは嬉しくてたまらなかった。


騎士様と離れなくなかったが、

「姫、おうちに帰る時間ですよ。家族が心配されます。」

微笑みながらそう言われては帰らないわけにはいかない。

「スワン、今日は背中に載せてくれてありがとう。」

リラがスワンに向かって言うと、スワンはペロっとリラの頬を舐めてくれた。そして、リラは騎士様に別れを告げた。騎士様は約束通りリラが家に入るまで見守ってくれていた。



「リラ、帰ろうか。」

アルベルトから声をかけられ、リラは現実に引き戻された。

「そうね。私の役目はこれで終了よね。」

そう言うと、名残惜しい気持ちに蓋をして、

「スワン、さようなら。」

そう、声をかけて公爵邸を後にした。



そして、公爵邸の窓からその光景をオスカーが見ていた事は誰も気づかなかった。



入学したての頃、アルベルトは誰彼構わず優しかった。顔もいい。家柄もよく、もてる。本人は無自覚なのが恐ろしいが、声をかけられた女子は誰もがアルベルトと両思いだと勘違いするような言動が多い。公爵令息で無ければ、他の男子学生から非難を浴びていたのでは無いかと思う。ただ、今の王族には学園に通う年頃の者はいない。学園に通う学生で今、一番身分が高いのがアルベルトだった。公爵家と関係を持ちたいと思う者は多く、誰もアルベルトに対して苦言を言わなかった。ただ、リラはそんなアルベルトを毛嫌いしていた。リラが気に入った絵がアルベルトが描いたものだと知るまでは。


画廊でたまたま見た絵を気に入って、夕食を1週間程パン1個で凌げば何とかなる値段だった事もあり、購入を検討していたリラ。自分が描いた絵を購入しようとしているリラをたまたま画廊に足を運んでいたアルベルトが見て、声をかけた。アルベルトは学園では絵を描いている事は秘密にしている。今でもリラしか知らない。公爵家の名前で評価されたくないからというのがその理由だ。


そこから少しずつ画廊で話をするようになった。画廊のオーナーは少し年上のナタリーという落ち着いた大人の女性。アルベルトが絵を描いている事が世間に知られないように、アルベルトが画廊に来た際には個室を使わせてくれる。


話している内に、リラが絵以外にアルベルト自身には興味が無く、逆に嫌っているという事がアルベルトには新鮮だったらしい。リラが画廊にいるのを見つけるとアルベルトが個室に呼ぶようになった。何度目かの画廊の個室で、リラには騎士様という初恋の相手がいる事もアルベルトには話していた。白馬に乗っていた事までは話せなかったが。白馬に乗った王子様、典型的な女子の憧れに酷似していて、それだけは恥ずかしくて口にできなかった。


アルベルトは自分に興味が無いリラが気に入った、というわけではない。心地よかったのだ。自分の身分に無関心である事が。だから、本音で話せる友だちになってほしいと言ってきた。


「リラぐらいだよ。僕に惚れないのって。」

アルベルトがおかしな事を言うので、リラは注意した。思わせぶりな態度をとるアルベルトが悪いと。そこからアルベルトも誰彼構わず声をかけたり、優しくする事はやめた。

すると、男子学生の中に本当にアルベルトと気が合う者も出てきた。そこからの学園生活、アルベルトは親友に囲まれて楽しく学園生活を送れている。


リラは学園ではそこまで親しくしていない。リラの寮の部屋にはアルベルトの絵が飾られている。万が一にも作者がアルベルトだと気付かれないためにも、学園ではそこまで仲良く無いふりをしている。


だからリラとアルベルトは公爵邸の前で別れた。


そして、リラはまっすぐに寮の部屋に戻ってきた。

リラの部屋に飾られたアルベルトの絵。大聖堂のオルガンが描かれている。規模は全く違うが、リラが騎士様と出会った日に弾いていたオルガンを、そしてその日の事を思い出す絵だった。リラが初めて買った絵だ。

ただ、今日はその絵を見るとオスカーの冷たい視線が頭をよぎる。昨日までは見る度に暖かい気持ちになれたのに、今は悲しい気持ちが湧いてしまう。リラは首を振って隣にかかっている絵を見た。

「スワン。」

思わず声が出てしまう。白馬の絵。リラはその絵をいつまでも見続けた。



それから10日。画廊で会ったアルベルトから

「姉さん、早産は免れたらしいよ。今は安静にして、出産までは領地で過ごすらしいよ。お腹の赤ちゃんも元気だって連絡がきた。」

それを聞いて、リラはホッとした。もし、赤ちゃんに何かあったらと思うと気が気じゃ無い日を過ごしていたから。

「それで、お願いがあるんだ。」

アルベルトは続けた。

「姉さんがどうしてもリラに会いたいらしい。僕と一緒に領地に来てくれないかな?」

リラは

「無理。」

即答した。


リラとアルベルトの婚約、これはアルベルトが受けている燐国からの婚約の打診を断るための偽装婚約。アルベルトがリラに頼み込んで、公爵家に挨拶に行ったのが1週間前。それで終わるはずだった。アルベルトと約束したのもその1回だけ。半年後にアルベルトが自分の家族に婚約解消を告げてお終い。他の人、リラの家族でさえ何も知らないままま終わる。そう言われて渋々了承した。


アルベルトが偽装婚約を言い出した理由、絵の道を続けるため、本人はそう言っているが、実はそれ以上に大きな理由がある。

アルベルトが画廊のオーナー、ナタリーに恋をしている事にリラは気付いていた。アルベルトの絵が一定の評価をされるようになったら、告白するつもりである事にも気付いていた。


隣国との婚約では、解消となると問題が多いが、リラとの婚約だと、まだどちらも学生だから口約束のみで済ますつもりだった。内内な事なので、大々的には発表しない。解消するにもハードルは低い。ナタリーにも知られる事は無い。アルベルトがそう考えた事は容易に分かった。

ただ、リラにも利点はあった。アルベルトの直近の作品、白馬の絵をリラは欲しくてたまらなかった。ただ、以前に比べてアルベルトの絵の評価が上がっている。リラが手を出せるような代物ではなくなっていた。


リラが気に入っている事を知って、アルベルトは白馬の絵を交換条件に出してきた。

リラは白馬の絵、今なら分かる、スワンをモデルにしたこの絵を譲り受けた代償に、偽装婚約のための一度だけの公爵家訪問を果たしたのだった。


「一生のお願いだ。姉さんがリラに会わせないと婚約を認めないと言い出してる。僕に婚約を打診した隣国の令嬢、姉さんの友だちの年の離れた妹さんらしい。僕の事を姉伝いに聞いて気に入ってくれたらしいんだ。姉さんもその娘の事、結構気に入ってるみたいで、リラの事は認められないって言い出してるんだ。

これで最後にするから。」


アルベルトとの約束は公爵邸で家族全員と会う事だった。前回は急遽とは言えど、ミレイナに会えてはいない。約束を果たしたとは言い難い。


リラは決心した。

「分かった。次が絶対、最後よ。」


そう、リラが告げるとアルベルトはホッとした顔でリラにお礼を告げた。

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