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花束を君に

作者: 小山らいか
掲載日:2025/10/18

「え……」

 朝、席に着こうとして、自分の机の中に白い小さな紙が入っているのが見えた。

 ――机の中には何も入れていないはずなのに。

 おそるおそるその紙を取り出す。すると、手のひらくらいのサイズの画用紙いっぱいに黒のごく細いペンで絵が描かれていた。中央には大きなひまわり。そのまわりには小さな花が鏤められている。花や葉の輪郭が細かくていねいに表現されていて、色がついていないのにとても美しく感じられた。何だろう、これ。裏側を見ると、文字が書いてあった。

 ――この絵に色をつけて、机の中に入れておいて。佐藤より

 佐藤って……。うちのクラスの佐藤くんは、窓際のいちばん後ろの席にいたはずだ。振り返ると、彼はこちらを見ていた。右手で、何かを書く仕草をして、すぐに目をそらす。

 何で彼がこんなことを……。次の日の朝も、同じように机には小さな画用紙が入っていた。今度はバラ。いくつもの花が折り重なって描かれている。

 その紙をとると、昨日持って帰って色をつけてきたほうの紙をそっと机に入れた。振り返ると、佐藤くんはこちらを見てほんの少し微笑んだように見えた。

 次の日も、その次の日も、机の中には花の輪郭が描かれた小さな紙が入っていた。私が色をつけたほうの紙は、机に入れておくと翌日にはなくなっていた。

 高校2年になって2週間。佐藤くんとはまだ言葉を交わしたことがない。少し長めの、目にかかるやわらかそうな髪。銀縁の眼鏡の奥の、落ち着いた瞳。クラスのなかでは、おとなしくて目立たない存在だ。その彼が、どうしてこんなことを……。


 もしかしたら、中学校の同級生だったのかもしれない。ふとそう思って、家に帰って卒業アルバムを開いてみた。卒業してから1年以上経つが、まだ一度も手にとったことがなかった。佐藤、ね。よくありそうな名前だが、同じ学年には1人しかいなかった。

 佐藤大樹。――え、ダイキ?

 ダイキとは、中学の美術部で一緒だった。驚くほど緻密な絵を描き、色遣いも独特だった。その技術の高さから先生からの信頼も厚く、2年からは部長を務めていた。でも当時の彼は短髪で、眼鏡もかけていなかったし、がっしりしていて背も今ほど高くなかった。何より、あんなおとなしそうな感じじゃない。本当に、彼はあのダイキなんだろうか。もう一度、アルバムを見る。クラスの集合写真には、いたずらっぽい笑顔のダイキが写っていた。そして、集合写真の右上に、別枠でぼんやりした表情の自分の顔がある。思い出したくない過去が蘇る。


 中学2年生の終わりごろ。美術部から絵画コンクールに推薦する絵を二つ選ぶことになっていた。部長と副部長がそれぞれ推薦する絵が選ばれるのがそれまでの通例だった。副部長の梨花は、迷わずダイキの絵を選んだ。そして、もうひとつは梨花の絵が選ばれるだろうとみんな思っていた。梨花は誰もが目を惹くような鮮やかな色彩が特徴の絵を描いた。しかし、部長のダイキが選んだのはなぜか私の絵だった。淡い色彩の、どちらかというと目立たない、静かな絵。

 もちろん、気の強い梨花が黙っているわけがない。その日から、私の生活は一変した。仲間だったはずの部員たちの、冷めた視線。何となく誰からも避けられているような感覚。

 ある朝、何気なく自分の机の中に手を入れると、ぬめっとした感触があった。驚いて自分の手を見ると、真っ赤に染まっていた。机の中にあったものを取り出してみると、画用紙にべっとりと赤い絵の具が塗りたくられている。そして、次の日も、その次の日も机の中にはしぼり出した絵の具が塗りたくられた画用紙が入っていた。

 あの日の記憶。自分の手にべっとりついた絵の具のあの感触が、死ぬほど嫌だった。何度手を洗っても、消えることはない。私は絵を描くことができなくなった。そして、いつしか学校に足を向けることができなくなり、卒業まで学校には戻れなかった。


 それから10日間、毎日小さな画用紙は机の中に入れられていた。そして、10日目の画用紙の裏には、こんなメッセージがあった。

 ――金曜日の放課後、教室に残って待ってて。

 誰もいなくなった教室で、私は佐藤くん――ダイキと向かい合っていた。彼は、中学生の頃のあの自信に満ちた面影がまったくなかった。

「ダイキ……だよね。どうして、こんなこと……」

 彼は質問には答えず、一枚の大きな画用紙を私に差し出した。

 そこには、彼が輪郭を描き、私が色をつけたたくさんの花が集められていた。バラ、ひまわり、カーネーション……繊細に描かれた淡い色合いの花々が、生き生きとそこにあった。余白には幾重にも重ねられた緑色のグラデーション。あふれる花を取り巻くようにきらきらと輝く細いリボン。それは、まるで花束のようだった。 

 ――きれい。

「これ……きれい、だよな」

 その言葉に、何となく違和感を覚える。ダイキは寂しそうにつぶやいた。

「俺には……わからない。自信がないんだ」 

 

 美術部の部長だった彼は、絵を描くことが好きで、そして自信も持っていた。自分には絵の才能がある。そしてもちろん、人の絵を見る目もある。梨花の絵ではなく私の絵を選んだときも、まわりから何を言われようと自分は正しいと信じていた。

 ところが、卒業する少し前、勧められて受けた検査で、こんな結果を告げられた。

 ――色覚異常。

 日常生活にはほぼ支障はないという。ただし将来、職種によっては影響を受けることがある。……そんな医師の説明も、途中からは頭に入ってこなかった。

 足もとが大きく揺らぐのを感じた。自分が見えているものは、他の人とは違う。独創的だと褒められていた自分の色遣いは、本当はただ見え方が人と違うだけなのかもしれない。

「あのとき、梨花じゃなく優里の絵を選んだことに迷いなんてなかった。でも今思うと、俺は間違っていたのかもしれない。……俺のせいだ。優里が学校に来れなくなったのも、絵が描けなくなったのも」

 絵筆を手にとったのは2年ぶりだった。小さな画用紙の花に色をつけながら、なぜか部活にいたころの楽しかったことばかりが頭に浮かんだ。

 誰も悪くなんてない。ただ、人間関係にちょっとした歪みが生まれて、そこにたまたま私がいた。それだけのことだ。私ひとりいなくなっても、日常は何も変わらない。

「高校に入って、優里が学校にちゃんと来ているのを見て、本当に嬉しかったんだ。でも、いつまた嫌なことがあって来れなくなるかもしれない、そう思ったら、気が気じゃなかった。今年同じクラスになって、ずっと考えてた。何か自分にできることがないか……馬鹿みたいだな、俺。こんなことしたって、なんの意味もないのに」

「心配……してくれてたんだ」

 ふっと温かいものを感じた。高校に入ってからも、何となくまわりとの距離がうまく取れずにいた。とにかく、何事もなくその場にいられればいい、そう思っていた。

 ――まさか、ダイキがこんなふうに思い詰めていたなんて……。

 まるで別人のように変わってしまった彼に、かける言葉を探した。私なら大丈夫。ダイキは悪くない。もう一度、自信を持ってほしい。あの頃のように。

「これ、返すね」

 私は手渡された絵を彼に差し出した。困惑している彼の目をまっすぐに見る。

「ダイキが自分で描いた絵がほしい。ダイキが見たままの……花束みたいな絵を」

 誰がどんな診断を下そうと、ダイキの絵はすごく素敵だった。思い出してほしい。中学生の頃、夢中になって描いていた、あの姿を。

 ダイキは少し首を傾げたまま、何かを考えていた。私はもう一度、花束の絵に目を落とした。どこからか、ブラスバンドの練習する音がかすかに聞こえてくる。

「俺……ほんとは人物画が得意なんだよな」

 ダイキの顔に笑みが浮かぶ。ちょっと人をからかうような、いたずらっぽい笑顔。中学生の頃の姿が重なる。

「……何言ってんの。花束の絵は? こんなに私にたくさん花を描かせておいて」

 思わず言い返した。すると、ダイキは嬉しそうに私を見た。

「優里の絵、描いてやろうか。ピカソみたいなやつ」

「ピカソって……絶対、何か悪いこと考えてるでしょ」

 二人して、笑った。あとからあとから、笑いが込み上げてきた。こんなに笑ったのは久しぶりだった。

「――また、やろうよ、あれ」

「え?」  

「ダイキが描いた絵に、私が色をつけるやつ」

 すると、ダイキは急に真剣な顔になった。目を伏せる。長い前髪から覗く頰が少し赤くなっている。

「……いくらでも、描くよ。優里が、喜んでくれるなら」

 言葉が胸に響いた。顔が熱くなる。私は顔を上げられず、ただダイキの指先を見ていた。 


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― 新着の感想 ―
少女漫画かっ! はい、ちょっと突っ込んでみました。 まっ、病気持ちのキャラクターって少女漫画の定番ですからね。但し多分昔限定。 それとダイキ君。メジャーな名字なのに学年にひとりだけって・・。しかも2…
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