8.査問へ至る静かな連鎖
ちょっとずつ話が動いていく回です。
今回は、あちこち場面が飛ぶので、もしかしたら読みにくいかも……?
でも大丈夫、リディアはいつも通り静かに頑張ってます(たぶん…笑)
間に合わないかもしれない――
ふと、そんな予感が胸をかすめた。
リディアは視線を伏せ、封筒を一つ、そっと机に置く。
それは、まだ“上層への申請”に至っていない整理記録だった。
妹ノエリアの名誉を守るため、制度の中で静かに反証を積み上げていく――そのための布石。
騒ぎ立てず、確実に、裁ける形で事実を記録し続けるつもりだった。
けれど、想定外の動きがあった。
王室査問庁に提出された、正式な査問請求――
申請者は、ヴェルンステッド侯爵家。
公的には、婚約者家門からの申し立てとされていた。
だが、その文書構造には、妙な“滑らかさ”があった。
必要書式、証言者の整合、手続きの順序。すべてが過不足なく整っている。
むしろ、侯爵家単独では手が回らないような調整すら、事前に済ませてあるように見えた。
(……裏にいるのは、別の誰か)
リディアは、静かに息を吐いた。
おそらく、セレスタン公爵――カティアの父だ。
娘の暴走に気づいた彼は、それを咎めるのではなく、
逆に制度の正道を利用する形で、傷を最小限に抑えようとしたのだろう。
――娘が“無軌道な令嬢”ではなく、“被害を受けた側”として扱われるように。
王子の婚約者候補の座を守るために。
そのために、査問の主導者を“ヴェルンステッド家”に見せかけたのだ。
制度を動かす力を持つ上位貴族同士の調整。
表の筋書きは整った。
だが、それは同時に、リディアの準備を根本から塗り替えるものであった。
非公開で積み上げていた記録は、“証拠”ではなく“反論”として扱われることになる。
公の場で、制度の名の下に、ノエリアが問われる――その前に、間に合わせなければならない。
制度は、正しく動いている。
ただし、“あちら側の整合”によって。
リディアは顔色一つ変えず、けれど、静かに焦っていた。
妹が公の場で傷つけられる前に。
制度の中で、正しさを証明するために。
すべては、その瞬間のための布石だったのだから――。
*
カティア・セレスタンは、満足げに微笑んでいた。
自室の鏡台の前、口紅を塗り直しながら、彼女は確信していた――
もう勝負は決まっていると。
「ロディスもエルヴァンも了承済み。証言の段取りも済ませたし……あとは、婚約者に“真実”を告げるだけ」
真実、という言葉に、小さく吹き出す。
事実かどうかなんて関係ない。
言葉は誰の口から発せられるかで、意味を変える。
そして、自分は“貴族の花”――
王妃候補筆頭とも囁かれる存在だ。
舞踏会の夜、見知らぬ令嬢が王子と踊った。それだけならまだ許せた。
けれどその少女が、あろうことか貴婦人たちに「礼儀が整っている」と囁かれ、
王妃候補に名が挙がるかもしれない――そんな“噂”が流れた瞬間、
何かが、耐えられなくなった。
それだけじゃない。
「王子が、あの子に気があるらしい」――
そんな話が、耳に入ってしまったのだ。
冗談めかして語られたその一言が、胸の奥に冷たい棘となって残った。
私の未来を奪うのは、努力でも、家柄でもない。
“ただ王子に気に入られただけ”の、名もなき令嬢――
それが、どうしても許せなかった。
「ノエリア・レストール、ね……」
その名を唇の端で転がすたび、苛立ちが増す。
けれど、もう終わりだ。
そうなるように動いてきた。そうなるように、“整えて”きた。
ロディスとエルヴァン――
二人の男爵家の次男たち。
社交界での名声はまだ低いが、父母を通せばそれなりに影響力もある。
彼らが“噂の裏付け”を証言する手筈になっている。
もちろん、見返りも与えるつもりだ。
自分の後ろ盾はセレスタン公爵家。
どんな小貴族でも、一度関係ができれば立場は変わる。
「父に言えば、すぐに査問請求も通るわ。……まあ、まだ話してないけど」
少しだけ視線を泳がせた。
父には、まだ何も話していない。
正確には――最初に止められているのだ。
『動くな』と。
けれど、動かなければ失うものが多すぎた。
誇りも、立場も、そして“選ばれた未来”も。
「私が王妃になるのよ。こんなところで引いてどうするの……」
そう、あの夜から決めていた。
この令嬢を排除しなければ、自分の未来は奪われる。
だったら、動くしかない。
そしていま、整えた。
あとは、最後の一押し――
レオネルに、“あの贈り物”のことを思い出させるだけ。
彼は迷っていた。ノエリアに傾いている節もあった。
でも、それも今日で終わる。
彼が動けば、婚約は破綻し、ノエリアは王妃候補から外れる。
すべては、予定通り。
そう信じて、彼女は立ち上がった。
*
レオネル・ヴェルンステッドは、城下の私邸でひとり、机の上に置かれた小箱を見つめていた。
手を触れるでもなく、ただ、じっと。
蓋を開ければ中身は知れている。
だが――問題は、そこに書かれた名だ。
「……ノエリア、なのか?」
記録紙には、確かにノエリア・レストールの筆跡。
けれど、彼女がこれを自分に贈るようなそぶりは、記憶にない。
彼女はいつも控えめだった。
言葉を選び、距離を保ち、けれど礼儀正しく、誠実で――
誰よりもまっすぐな人だった。
なのに。
(王子に近づいている、だなんて……)
舞踏会の後、噂は瞬く間に広がった。
カティア・セレスタンが涙を浮かべてそう告げたときでさえ、信じ切れなかった。
けれど、今――目の前に“贈り物”がある。
箱に指先を伸ばしかけ、彼は動きを止めた。
もしこれが彼女の意志で贈られたものなら――
自分は、裏切られていたのだろうか。
「……そんなはずは……」
声が、かすれた。
彼はまだ知らない。
この贈り物が、ノエリアが礼儀作法の練習として書いた丁寧な文面を使い、家族がそっと包装を整えて届けたものだったことを。
彼女は、自分の立場をわきまえ、過剰な好意を示すことを避けてきた。
けれど――その文面には、確かに彼を気遣う気持ちがにじんでいた。
それは、誰の嘘でもなかった。
ただ、静かに届けられた、本物の想いだった。
それが今――疑いの色に塗り替えられようとしている。
(自分は、何を見ているんだ……?)
信じたい。けれど、揺れる。
カティアの言葉が、彼の中に染み込んでいた。
――“一度、婚約を解消してみたら?”
――“少しでも評判が落ちれば、王子との縁談は流れる”
――“その後で、支えてあげればいいのよ”
優しい提案のようでいて、そこには確かに――意図があった。
そして今、届いた贈り物。
整えられた証言。動き出した制度。
「……本当に、これでいいのか……?」
問いかけは、答えのないまま宙を彷徨う。
*
一方その頃、リディア・レストールは整合報告書の見直しを終え、静かにペンを置いていた。
書類はまだ未封印。
“証拠”ではなく、“反論”として整え直す必要が出てきたのだ。
整合補佐から届いた報告には、査問会の正式日程が記されていた。
あと数日――ノエリアは公の場に立たされる。
(記録の上では、彼女は“告発対象”)
その文字列を読みながら、リディアの表情は変わらなかった。
けれど、その内心には、確かに静かな焦りがあった。
「本来なら、もっと整合の矛盾を精査してから動くはずだった」
書きかけの予備記録を封じる。
そのままでは間に合わない。
今はもう、“整ってから出す”のでは遅い。
(先に打つ。制度に従いながら、その隙間に布石を置く)
リディアは立ち上がった。
資料を整え、視線を遠くに投げる。
制度を信じている。
けれど、その制度が“整合された嘘”に従って動くなら――
真実は、記録の奥に沈んだままだ。
「……クラヴィスが裁きを行えるのは、記録が整っているときだけ」
だからこそ、整えるべきなのは――記録そのもの。
そのとき、補佐官が静かに扉をノックした。
「査問会場の配置について、王室より確認がありました」
「通して。……あと、影衛と補導の配置図も一式まとめておいて。
王が、こちらの態勢を確認したがっているはずだから」
「かしこまりました」
扉が閉まる。
リディアは、深く息をつき、机の中央に一冊の新しい記録簿を開いた。
表紙には、まだ何も書かれていない。
けれど、彼女にはもう、そこに記すべき“構成”が見えていた。
記録で、歪められた真実を正す。
それが、クラヴィスとしてのやり方。
――裁きの場は、嘘ではなく記録で導く。
静けさの中、彼女の手が動き始めた。
書いてる本人が「ん?場面飛びすぎでは?」って思ったので、
読んでて「え、今どこ?」ってなったらすみません(笑)
カティアもレオネルもやたら元気(?)に動き始めて、
リディアは静かに机に向かってるだけなのに、なぜか一番重たい空気背負ってます。
次回、ちょっとだけザワッとするかもなので、お楽しみに!