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婚約破棄、それは静かな布石  作者: 朝比奈ゆいか
第1章・婚約破棄事件と王国の秘密
7/21

7.静けさの裏で

何も言わないって、何も見てないこととは違うんですよね。


今回はそんな“沈黙の観察者たち”が動きます。

リディアはひとつ息を整え、扉の前から静かに離れた。

応接間に残された二人の気配を背に、彼女の足取りは確かだった。


(――これ以上、油断はできない)


私情を記録にはできない。だが、制度の整合を崩すこともまた、許されない。


扉に手をかけようとしたその瞬間、向こう側から低く抑えられた声が届いた。


「リディア様。定時報告を」


押し殺すような静けさの中にも、どこか柔らかな響きがあった。

リディアはその声に応えず、静かに扉を押し開けた。

現れたのは、記録官補佐の青年だった――

まだ若く、階級も高くはない。だが、報告の所作に無駄はない。

声もまた、感情を抑えつつも妙に滑らかで――


(……この職にしては、表情が豊か)


そうリディアが内心で評するほど、青年の言葉にはわずかに“温度”があった。




歩みを進めた先は、レストール邸内――クラヴィスとしての職務を担うために、父の手で新たに設けられたリディア専用の部屋。

書架と封印文書、整然と並ぶ筆記具。その中心に据えられた机へ、リディアは音もなく腰を下ろす。


ひと呼吸置いて、ようやくリディアが口を開いた。


「続けて」


「午後の茶会にて、セレスタン令嬢、フラーナム子爵令息、トリューク家嫡男の三名が、それぞれ別の場でほぼ同一の証言を展開。

 すべて『ノエリア嬢が王子殿下に積極的に接近した』という主旨です」


リディアは椅子の背に静かに身を預け、瞼を伏せた。


「文言の一致率は?」


「極めて高いです。主語・行動・時間・場所が完全に一致。加えて、“あれは礼儀ではなく誘惑だった”という感情的評価が添えられていました。

つまり、“整合素材の五要素”のうち、四要素が一致。感情のみ魔術による補強が未済です」


補佐の言葉に、リディアは手元の記録に視線を落とす。


主語――ノエリア。

行動――王子の袖を引いた。

時間――舞踏会の夜。

場所――王子の側にて。

感情的評価――『礼儀ではなく誘惑だった』


(……ここまで整いすぎている)


自然な証言であれば、語彙の差や記憶の揺れがあるはずだ。

だがこの三名は、まるで台本でも読んだかのように、同じ言葉で語っていた。


(これは――再現ではない。整合を模した偽証)


クラヴィスとしての判断基準が、静かに切り替わった瞬間だった。

リディアは素材ファイルを横に滑らせ、整合補佐に視線を向けた。


「中立観測の発動手配は?」


「次回茶会に向け、補導に申請済みです。現地配置の承認も下りました」


「よろしい。観測は“感情印象の導出”を主目的とするよう伝えて」


補佐の青年は軽く頭を下げ、再び静かに控える。

彼の振る舞いはあくまで“公式”だが、妙に馴染んでいる。

感情的な揺れもなく、だが冷たくもない。

リディアがふと視線を戻すと、彼はすでに次の報告書を手に取っていた。


(……この仕事に向いているわね)


思考の端に、そう評価が浮かぶ。

だがそれは、職務上の適性にすぎない。

“信頼するか”――その判断は、まだ下すべきではない。


代わりに、草案用の記録ファイルを開く。

まだ封印申請には至らない、予備構成段階。

だが、この仮構成こそが、クラヴィスだけに許される布石だ。


(裁きは、整合の果てにだけ許される)


感情で動くことはない。だが、記録に明らかな“嘘”が混じったとき――

それは制度として、正されなければならない。




その茶会は、セレスタン家の私邸にて、親しい令嬢たちを招いて催された私的な集まりだった。

公式な催しではないが、上流階級においては、こうした場が情報共有と印象操作の温床になることも少なくない。


カティア・セレスタンは、いつも通りに優雅な所作で紅茶を口にしながら、ため息混じりに呟いた。


「……本当に困るのよ。あの子、自分の立場がまるで分かってないのだから。

王子殿下に近づいていい身分じゃないって、誰か教えてあげればいいのに」


数人の令嬢が苦笑し、視線を逸らす。

それを肯定と受け取ったのか、カティアはわずかに笑みを深めた。


「舞踏会の夜、見ていたわ。あの子、王子の袖を引いてたのよ? 無理やりって感じで。

あれ、踊りに誘ってたんだと思うけど……正直、場違いだったわね」


少しだけ声を落とし、言葉に熱を帯びさせる。


「“礼儀”だなんて言われても、私にはそうは見えなかったわ。……あれは、“その気”だった。そうとしか思えないもの」


その声には毒と誇りが溶け合っていた。


――その場には、誰とも知れぬひとりの令嬢が同席していた。

控えめな装いと所作で目立たぬよう振る舞うその人物は、実は補導局より任を受けた中立観測の補導官。

彼女の魔術はすでに発動しており、会話の初手から、声と表情、空気の震えまでも静かに記録していた。

“感情”を含めた五要素――主語、行動、場面、断定、そして感情――そのすべてを、確かに。


カティアはそれに気づくことなく、紅茶に微笑を浮かべたまま、次の話題へと移っていった。




その報告は、整合補佐の青年の手を通じて、リディアのもとへ届けられた。

封筒には、補導官による観測内容を記録した魔術封印映像と、概要をまとめた文書が同封されていた。


――セレスタン邸にて、カティア令嬢が私的な茶会の場で発言。

主語、行動、場面、断定表現、そして感情。

中立観測官によって、“整合素材の五要素すべてが一致”と記録された。


リディアはその文書と、補導官によって封じられた映像記録を並べるようにして確認し、淡く目を伏せる。


(これで、五要素がすべて揃った)


整合は成立した。

制度上、“魔術による記録封印”の許可条件が、すべて満たされたことを意味する。

だがその中身は、妹ノエリアを貶めるための、計算された偽りの証言だった。


(これを、制度が“真実”として扱うのなら――)


リディアは静かに、椅子から身を起こす。


「補導へ通達。“整合成立。記録封印準備に入る”と」


「承知しました。封印処理を整合精査局へ回送します」


制度に従い、整合された記録が“真実”として処理される。

けれどその裏で、ただ一人、それに抗う資格を持つ者がいる。


クラヴィス――理の整合を担う資格者。

けれどその名の下、いまリディアが下した判断は、制度よりも早いものだった。


(私は、“管理官”ではいられなくなった)


それは“妹を守る姉”としての決断。

静かに整った制度の中で、唯一、そこから逸れる覚悟。

この日、クラヴィスによる記録封印申請は――制度に基づき、正式に開始された。

だがその裏で、記録には決して現れない“私的な決意”が、静かに積み重ねられていた。

ここまで読んでくださってありがとうございます。


この回、地味だけど……実はけっこう後々効いてくるやつにしてます…一応…(笑)


気づかないふりをしてる人ほど、ちゃんと見てるのかもしれませんね。

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