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婚約破棄、それは静かな布石  作者: 朝比奈ゆいか
第1章・婚約破棄事件と王国の秘密
4/21

4.夢の継承

こんにちは。朝比奈ゆいかです☆

本来、第3話で一区切り……のつもりだったのですが、よく考えたら今回のほうが区切り感ありますね(笑)

王子がようやく「夢」を見まして、少しだけ物語の地盤が動き出すお話になっています。

静かな回ではありますが、今後の伏線にも関わるので、ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。

焼け焦げた街が、目の前に広がっていた。


王都――オブセリオン。その象徴たる白い石造りの街並みは黒く煤け、崩れ、沈黙に包まれている。記録の象徴である黒曜石の球体は、割れていた。それに連なる整合審査庁も、封印記録庫も、燃え崩れたまま放置され、誰も修復に手をつけていない。

街の壁面からは魔術刻印が剥がれ落ち、掲示板には、かつて存在した“記録番号”の枠すら残っていなかった。

もはや、誰も「記録に基づく裁き」など口にしない。

それは、秩序という枠組みそのものが、人々の手から滑り落ちていたことを意味していた。


「……こんな……馬鹿な……」


王子――セディリウス・ヴァルメリアは、夢の中でそう呟いていた。だが、夢とは思えなかった。空気の焦げる匂い、熱風、叫び声、それらすべてが現実のようで――そして、なにより、自分の心臓の鼓動が、本物だった。


破壊された記録庁を横目に、彼はひとり、王宮の奥へと駆けていた。誰もいない審盤の回廊を抜け、奥へ奥へと。何かを求めて、探している。名前を呼びながら。


……だが、たどり着いたその先で――彼は、ひとりの背を見た。


漆黒の石に照らされて、ゆっくりと遠ざかっていく、静かな歩み。

細身の背、整った所作。振り返ることも、言葉を残すこともなく、彼女はただ、記録の奥へと消えていく。


リディア・レストール。


呼び止めようとしても、声が届かない。

手を伸ばしても、届かない。


――まるで、彼女がもうこの世界に希望を見出していないかのように。


「リディア………リディア・レストール…!」


届かなかった。

…その瞬間――世界が崩れた。




目覚めた時、セディリウスの手は冷たく濡れていた。汗に濡れた額を拭う余裕もないまま、彼は上体を起こし、揺れる呼吸のまま立ち上がった。


「……夢……?」


けれど、それが“ただの夢”ではないことは、彼にはわかっていた。

子どもの頃から、王である父に言われていた言葉がある。


――ある日、莫大な夢を見るかもしれない。そのときは、すぐに来い。


心臓が、まだ速く鳴っている。王宮の静寂の中に、自分の息遣いだけが響いていた。

夜着のまま、セディリウスは扉を開けた。侍従たちの制止を振り切り、足音を響かせて向かった先――それは、王の私室。


扉が音を立てて開かれる。


「……父上!」


書見机の前にいた王は、視線をゆっくりと上げた。

手元には、まだ開かれたままの一冊の報告書――

《精査完了報告書》。それを閉じることも忘れたまま、ただ、立ち尽くす王子を見据える。


「……夢を見ました。大きすぎて……覚えきれない。でも、滅びだけは、はっきりと――」


静寂が落ちる。

夜明け前の空気の中で、王のまなざしがゆっくりと変わる。

そして、ほとんど呟くように――


「……お前も、継承したか」


その一言に、王子――セディリウスははっと息を飲む。

それが何を意味するのか、誰よりも知っていた。


「では、あれは……やはり……未来?」


「間違いなく、この国の“ありうる姿”だ」


王は静かに椅子から立ち上がり、重たい足取りで書見机の脇へと歩く。

壁にかけられた鐘を打ち鳴らすと、程なくして扉の外に待機していた侍従長が現れた。


「本日予定されていた全ての公務を、延期する。延期の理由を正式な公文書にして出さなくていい。とにかくスケジュールを空けてくれ」


「……はっ、かしこまりました」


扉が再び閉じる音が響いたとき、王の声は低く、硬くなっていた。


「この国において“未来視”は、王となる者が選ばれた証であると同時に――」

「その未来を背負う覚悟を、強いられる瞬間でもある」


「……覚悟」


「そうだ。未来視は、ただ見るためにあるのではない。見ることで、“決してそうならぬよう”に行動するためにある」


セディリウスは唇を噛む。あの光景が、脳裏に焼きついて離れない。


「……でも、僕には、何をどうすればいいのかも……わかりません」

セディリウスの声はかすかに震えていた。

「あの夢の中で、誰もが秩序を見失っていました……王都のすべてが、崩れていたんです。周辺の都市や、隣国まで……。なぜ……どうして、あんな未来が……?」


言葉にならない感情が胸の奥で渦巻くなか、セディリウスの脳裏には、ただ焼け落ちた王都の映像だけがこびりついていた。

それだけではない。記憶の断片には、王都を取り巻く交易都市や他国の国境地帯まで、静かに、確実に瓦解していく光景があった。


まるで、世界そのものが崩れていくような夢だった。


王は、わずかに目を伏せ――低く、静かに呟いた。


「……そこまで、だったのか」


それは、想定していた“未来視”の範囲を明らかに超えていることを悟った声だった。

王家に代々継承されてきた未来視は、通常、一国の危機や政変といった、局所的な未来を告げるものにすぎない。

だが今回は違う。国家の枠すら越え、“理”という世界の秩序そのものが崩壊しかけていた。


王は書見机に戻ると、開いたままだった報告書に静かに視線を落とす。


「……お前が見たのは、“クラヴィスが動かなかった未来”だ」


「クラヴィス……?」


聞き慣れぬ名に、セディリウスは戸惑いの色を浮かべる。


「そうだ」

王は、はっきりと応じた。

「クラヴィスが動かぬとき、記録も、整合も、裁きも、何ひとつとして機能しなくなる。この国は――いや……今のお前の話を聞く限り、世界が灰に還る可能性すらあるということだ」


それは、ただの比喩ではなかった。

クラヴィスが動かない未来は、ヴァルメリアという国家の崩壊にとどまらず、世界そのものが“秩序”という名の骨組みを失う未来なのだ。


セディリウスは、はじめてその言葉の意味を、骨の芯から理解しはじめていた。


夢で見た、あの背中。

黒曜石の球体の前で、静かに背を向けて歩き去っていった――リディア・レストール。

あのとき、なぜ彼女の背に“絶望”ではなく“重さ”が宿っていたのか。その理由が、ようやく輪郭を帯びてきた気がした。


王は報告書を閉じ、深くひとつ息を吐いた。


「……そろそろ、この国の成り立ちと、クラヴィスの真実を教えるときが来たようだ。そしてお前は……その者と協力し、未来に備えなければならない」


未来視を見た直後でも、王の背は揺るがなかった。

その姿は、もはや父ではない。

国の未来をその身に抱え、生きる“王”そのものだった。



――時は少し遡る。


査問会の終結を告げる鐘が鳴ったのは、陽が沈みきる直前だった。

傍聴席を静かに後にしたリディアは、ノエリアと目を合わせることなく、宮廷の奥へと歩を進めていく。


声をかけようとは思わなかった。

――いや、本当は、かけたいと思っていたのかもしれない。

けれど今は、それよりも先に、やるべきことがある。

彼女の笑顔を曇らせるものすべてを、ひとつずつ排除していくこと。

そのために、今すぐ動きたかった。ただ、それだけだ。


慰めや共感といった感情の接触は、今のノエリアには不要だと……そう“理解することにした”。

それは、感情を抑えるための言い訳であり、冷静さを保つための選択だった。


胸の奥で燻るこの感覚。

あの査問会で、無礼な言葉を並べ立てた貴族たちを前に、声を上げることもなく、ただ傍聴席に座っていた自分。

だが、その沈黙の内側では、確かに言葉にできない熱が揺れていた。


――これが、“怒り”なのだと。

ようやく、その名前に辿り着いた気がした。


クラヴィスの魔術継承以降、感情の大半は制御下にある。

だがそれでも、義妹を貶められたとき、自身の中に残された“人間としての熱”が確かに動いた。

そしてその熱を、リディアは冷静に観察していた。


必要なのは、言葉でも情でもない。

静かで確かな「次の一手」――それだけだった。


足音ひとつ響かせることなく、リディアは王立書庫の扉を開いた。

内部には誰もいない。時間外の立ち入りが制限されないのは、王室文書管理官としての特例によるものだ。


書見台には、先に提出済みの精査報告とは別の一冊――今後の対処戦略をまとめた内部整理用の記録が広げられている。


これは、黒曜石球体に提出される“整合済記録”ではない。

あくまで、内部整理と今後の対処戦略のために書き綴るもの。


筆記の先頭には、淡々とこう記された。


《査問会当日・傍聴記録(内部整理用)》

・王太子殿下による未来視発現、想定より半日前後の前倒し。

・整合異常箇所については、初回報告書と照合予定。証言配置の偏りは継続中。

・王家側動向を見越し、今週分の主業務は縮小。対応可能状態に移行。


整った文字列は、まるで魔術陣のように整然と並ぶ。

だがそのどれもが、ただの事実と判断の積み重ねだ。


セディリウスの未来視が発現するだろうことも、特別な啓示があったわけではない。

ただ、自身がクラヴィスを継いでからの日数や経過した事象の密度を見れば、王子の継承も“そろそろ”だと、経験則で割り出せただけの話。


そこに魔術的な確信などない。

ただ、整合を保つ者として当然の観察と予測にすぎない。


そして、その手を止めた時――ふと、彼女の脳裏には、封印記録を保管する“あの場所”が思い浮かんでいた。


黒曜石の球体。


今もきっと、封印区画の奥で、記録に触れず沈黙を保っている。

裁きが動くその時に向けて、静かに時だけが進んでいた。


リディアは視線を書面から外し、宵闇が差し始めた窓辺を一瞥する。

そして、静かに独りごちた。


「――さて。ここからが本番、というわけね」


その声には、感情というものが欠片も含まれていなかった。

ただ、ひとつの機構が、音もなく動き出したことを――静かに、記録しただけだった。

最後まで読んでくださってありがとうございます!

これでようやく、“表向きの導入”がひと通り揃いました。

王子の未来視も発現し、リディアの布石もまた静かに積まれ始めています。


次回からは、いよいよ“あの静かな傍観者”――リディアの裏側に迫るパートに入ります。

1話~3話で彼女が何をしていたのか、どんな思いで動いていたのか。

静かだけど確実に、事件に手を伸ばしていくリディアの視点をお届けします。

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