22.継承とは選ばれること
セディリウスは、ひとつ息を吐いた。
王とのやり取りを終えても、胸の奥に残る何かが、静かに揺れている。
(……協力する。そう言った。それは、間違いじゃない)
リディアと共に役割を果たす。
自分が承認者として、制度に関わっていく覚悟は、たしかにある。
それでも――
(それでも、心のどこかに……拭いきれないものが残ってる)
思い返すたび、胸の奥がざらつくようだった。
制度の仕組みは理解できた。
記録と整合、そして承認。
どの段階にも、理と構造があり、誤魔化しの余地がない。
王の言葉は明確だったし、これ以上ないほど理路整然としていた。
そして、自分がそこに立ち、リディアと協力していかねばならないことも分かった。
(……だからこそ、だ)
理解はしている。納得もした。
それでも、「本当に自分が選ばれるべきだったのか」という問いは、今もまだ消えていなかった。
むしろ説明を受けたことで、その疑問はさらに強くなった。
クラヴィス魔術。
理に従い、記録を礎としてのみ発動する。制度の中に組み込まれた、極めて構造的な魔術。
怒りでは動かず、願いでは届かず。
整合された記録だけが、その扉を開く。
……仕組みとしては、理解できたつもりだった。
だが、それと「選ばれた理由」が重なるわけではない。
未来視が発現した。
それが証明であることは、これまでの会話で理が選んだということなのは理解した。
王もそれを導き手の継承と認めてくれた。
(でも、それでも……なぜ“自分”だったのか)
思わず、目を伏せていた。
疑問というより、それは……胸の奥に沈殿する、自分自身への問いだった。
「……情けない話ですが」
自然と、言葉がこぼれていた。
「理屈としては納得できています。制度も、仕組みも、承認の構造も。
でも、それでもなお……どうして私なのか、という疑問は、やはり残っています」
王は黙って聞いていた。
その静けさが、かえって背中を押すように感じられた。
「……妹のほうが、ふさわしかったのではないかと、思ってしまうのです」
言葉にしてしまったあとで、セディリウスはわずかに視線を落とした。
セシリアはまだ十三歳だ。
だが、その歳にしてすでに、並外れた観察眼を持っている。
人の心の動きを察し、それを軽々しく口にせず、相手の立場を見極めたうえで黙していることもできる。
年若いながら、王族に求められる資質を備えているのだと、兄として常々感じていた。
「理が“選ぶ”というのであれば……
そういう存在こそが、ふさわしかったのではないかと」
口にしてしまったあとで、自分でも驚くほど心が波打った。
決して、セシリアを妬んでいるわけではない。
むしろ、彼女のことは誇りに思っていた。
まだ十三歳。
けれど、その歳にしてすでに、周囲の空気を読み、人の立場を見極め、必要とあらば黙って寄り添える力がある。
導くというのならセシリアの方がふさわしい…と。
(……きっと、あいつのほうが、ずっといろいろなものが見える)
そんな感覚があった。
自分はすぐに顔に出るし、感情をそのまま口にしてしまうこともある。
考えるより先に動いてしまう癖も直らないままだ。
導き手に本当に求められるものは、まだ自分にはよく分からない。
けれど、少なくとも“冷静でいられる力”は、その資質の一つなのではないか。
そう思うと、自分よりも、セシリアのほうが、よほど向いているように思えた。
静かに吐き出した言葉。
自分でも、情けなくとても未熟な考えだと分かっていた。
でも――それでも、聞いてほしかった。
(本当に、俺でよかったのか?)
心のどこかで、ずっと聞きたかった問いを、ようやく口にすることができたのだった。
王はその言葉を受けて、しばし黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……お前の悩みは、よく分かる。
私もかつて、なぜ自分なのかと問うたことがある。
だが、その答えを、理は明かしてはくれなかった」
王の声は静かだったが、そこには確かな重みがあった。
「私には兄がいるであろう?
優秀で、穏やかで、人望も厚い。
周囲は誰もが、兄こそ王にふさわしいと疑わなかった。
私自身も、そう思っていた」
淡く揺れる光の中、王は遠い過去を思い返すように目を伏せる。
「……けれど、未来視を得たのは、私だった。
その数日後、石板に兄の名が浮かび、彼は補佐としての魔術適性を告げられた。」
「ただそんな兄は、未来視を得なかったことを、一度も恨むことはなかった。」
セディリウスは驚いた。
「未来視を得ず次代の王にはなり得なかったのに、それに対して一度も恨む事はなかったと……?」
「ああ……。心の奥底では分からないがな。
だが恨み言を言われたことも、先代の王に言った事もないと聞いている。
兄は選ばれなかったことで、自ら制度を学ぶことを選んだ。
そして今では内部整合監査室の主任監査官として、王たる私の判断さえ監査する立場にいる」
「……王の、判断を?」
「そうだ。制度の中立性を保つためにな。
兄は今も、誰より厳しい目でこの国を見ている。
それは“選ばれなかった者”にしかできない強さだと、私は思っている」
静かな敬意を込めたその声に、セディリウスは思わず背筋を伸ばした。
自身の迷いが、小さく照らされていく気がした。
「本来であれば兄は、魔術適性の掲示を受けたことで、クラヴィスに近い立場で支えるという選択肢も持ち得た。
だが、彼は魔術を継がなかった。
あえて、政治と制度調整という中立の立場に身を置き、クラヴィスではなく私を支える側に回った」
一拍置き、王は少しだけ目を細めた。
「今でも兄との関係は良好だ。職務としての会話も交わしている。
だが、なぜ兄に未来視が受け継がれなかったのかという疑問だけが、ずっと心に残っていた」
そう言って、王はそっとセディリウスを見つめる。
「……だが、制度や歴史を知るうちに、私はようやく理解したのだ」
「……かつて、導き手が現れなかった時代がある。
クラヴィスの継承は成されたが、理は導き手を選ばなかったのだ。
理由はその次の時代に明らかになった。心の形が噛み合わなかったからではないかと」
王はゆっくりと記憶を手繰るように言葉を継ぐ。
「当時の王族は、制度に選ばれなかった者が傷つかぬよう、子を一人しか持たないという選択をした。
選ばれなかった苦しみを、繰り返さないために……とな」
セディリウスの眉が、かすかに動いた。
「その選択は、結果として制度の継承を危うくした。
王位を継ぐはずだった子に、未来視は発現しなかった。
理は、その者を導き手として選ばなかったのだ」
王は目を伏せ、小さく息を吐く。
「その理由がわかったのは、後になってからだ。
当時クラヴィスを継承した者と、導き手になるはずと言われていた王族の者。
――二人の関係が、極めて悪かったのだ」
「……関係、ですか」
「ああ。表向きは互いに礼を尽くしていたが、内実は犬猿の仲だったという。
互いの価値観も、対話も、まるで噛み合わなかった。
理はそれを見抜き、導き手の継承を拒んだのだろう」
「つまり……制度は形だけ整っていても、
その中にある関係性までが見られている……?」
「そうだ。制度を支えるのは形式だけではない。
クラヴィスと導き手――二人がともに在ること。
その在り方こそが、理の認める制度のかたちだったのだ」
ここで王は、声の調子を少しだけ変え、語り継ぐように言葉を紡いだ。
「理は、誰かを“選ぶ”のではない。
ただ、制度に適う形を見出したとき、その者に“役割”を与えるだけだ。」
王はセディリウスを見つめる。
「クラヴィスと心の形が合うこと。
そして、未来視を見てなお、立ち止まらず、見届けようとする覚悟を持つこと。
それが、導き手として必要な資質だと思っている」
「確証があるわけではない。だが、私にはそうとしか思えない。
過去の導き手たちは皆、クラヴィスの在り方を理解し、未来を受け入れ、前に進む力を持っていた」
「お前は、見た。そして、怯えながらも、それでも前に進もうとしている」
「それが、理の見る“器”なのだと……」
小さく息を継ぎ、王は続けた。
「クラヴィスの術は、記録と理を扱う。
だが、導き手には“人間”としての芯が求められるのではないか。
たとえば、不正を前にして立ち尽くさぬ心の強さ。
たとえば、誰かの痛みに共鳴する柔らかさ。
そういった揺らぎが、時に制度を守る力にもなると感じているのだ」
「武力ではない。
だが、強さは必要だ。
誰かのために、傷つく覚悟のある者でなければ、理はその扉を開かない」
「セシリアは賢い娘だ。
だが、まだ何も背負っていない。
お前は……もう、背負っている。
それが、今の違いだと私は思っている」




