21.承認という鍵
「……それでも、過去が見られるなんて、強すぎませんか?」
セディリウスの言葉は、ただの驚きではなかった。
その声には、理屈を超えた一抹の不安……そして恐れすらにじんでいた。
「たとえば――軍事の会議や、機密のやり取りが行われた場所に、その術を使われたら……。
過去の発言がそのまま“見えてしまう”のだとしたら、それが外部に漏れる可能性もあるわけですよね。
……正直、想像するだけで、少し怖さを感じます」
王はしばし黙していたが、やがてその思いにうなずくように応じた。
「……その懸念は、ごく自然なものだろう」
王は、セディリウスの問いを否定せず、静かに受け止めた。
「実際、過去の痕跡を還元するという術は、誤って使われれば危うさを孕んでくる。
個人の私生活から、軍事の機密、政治の密談に至るまで。
“見えてはならぬ過去”が覗かれる可能性があるとすれば、それは制度の根幹を揺るがしかねない」
「では、それを防ぐために……なにか、明確な制限があるのですか?」
「ある。術そのものに、はっきりと“鍵”がかけられている」
王の声音は冷静で、しかし揺るぎない。
「記録還元術は、誰にでも使えるものではない。
術そのものの行使に、クラヴィスの許可が不可欠となる」
「……クラヴィスの?」
「加えて、使用目的は厳格に定められている。
“裁き”または“整合審査”という公的な手続きの中でのみ許可され、私的な使用は一切禁じられている。
記録された内容も、術式終了後はこの球体へと封印されることとなる。
そのため、複製も出来ない上に、黒曜石の間へ立ち入れない者たち以外、閲覧は不可能だ」
セディリウスは、少しだけ目を見開いた。
「では……制度の外で、勝手に使うことは……」
「不可能だ。制度に組み込まれた術式である以上、承認がなければ発動そのものが成立しない」
一拍の静寂を挟み、王は続けた。
「だが、たとえ痕跡を還元できたとしても、それだけで制度が動くわけではない。
その記録が“整合”されていなければ、記録として認められることはない」
「……整合……」
セディリウスがその言葉を小さく繰り返すと、王は頷き、続けた。
「整合とは、記録と事実とが完全に一致していること。
話の流れに不自然な点がないか、証言と文書が食い違っていないか。
たった一つの曖昧な言い回しや、矛盾があるだけで、術はそれを“整っていない”とみなして拒絶する」
「そこまで、厳密に……?」
「当然だ。
整合精査局と呼ばれる機関がある。詳細については後ほど触れるとして、
そこでは、補導が収集した記録をもとに、魔術的・論理的両面から審査が行われる。
証言、書面、痕跡、そのいずれかでも一致を欠けば、“整合不成立”として記録は保留とされ、理に記録される段階には至らない」
セディリウスは思わず姿勢を正す。
それはもはや魔術というより、“裁き”の構造に近い。
「つまり……ほんの少しの嘘や、記憶違いでも……」
「それでも、“整合未満”と判断される。
制度は、意図の有無を問わぬ。ただ、記録と現象が一致しているか。それだけが基準だ」
「整合されていない記録に、制度は一切応じない。
どれほど重大な出来事であろうと、整合を欠けば、“記録されなかったもの”として扱われるのだ」
セディリウスは、静かに息を呑んだ。
「……では、逆に、それを無理に使おうとすれば……?」
王の目に、わずかな冷色が差す。
「発動はせぬ。
だが、そのような試みは、“制度の逸脱”と見なされる」
「制度の……逸脱」
「記録を偽る、整合の手続きをすり抜ける……
それは、理そのものを欺こうとする行為と判断されるのだ」
王は明確に言い切る。
「整合は、世界の安定を保つ“理”の根幹。
それを曲げようとすれば、罰は重い。
“整合剥奪”――すなわち、理との接続を永久に断たれる裁きが下る」
「……!」
「どれほど優れた魔術の適性を持っていても、整合を失った者には、いかなる術も二度と扱えなくなる。記録に背いた者は、理からも拒まれる。
そして場合によっては、関わった事象の記憶さえも、制度によって封印されることがある。それが、我らの制度だ」
セディリウスは、深く息を吐いた。
力を持つことが許されるのは、それに見合う責任と構えを備えた者だけ。
そう語っているような王の眼差しに、彼は少しだけ頷く。
だが……
「……それなら逆に、作られた記録でも、整合されていれば動いてしまう可能性もある……?」
セディリウスの呟きに、王はすぐに頷いた。
「そのとおりだ。
理は、“整っているもの”に反応する。
たとえそれが、作為によって緻密に組み立てられた記録だったとしても、矛盾さえなければ、真と見なされることもある」
言葉を切り、王はひとつ息をついた。
「だからこそ、“記録”とは別に、もう一つの柱が必要になる。
それが、“中立観測”という魔術だ」
「中立、観測……ですか」
「ああ。
記録というものは、どうしても主観を帯びる。
証言者の立場、記述者の感情、それに記憶の曖昧さ……
整えようとする意志があるほど、逆に歪んでしまうこともある」
「……では、中立観測というのは、そうした歪みを防ぐために?」
「そうだ。
“中立観測”とは、先ほど説明した記録還元術と同様、特別な訓練を受けた補導が使える、記録補助のための魔術。
証拠となる、その瞬間の光景を、ありのままに封印するための術式だ」
「そちらも、映像として残すのですね」
「そう。音と光を封印する。
ただ記録還元術とは明確な違いがある」
「その魔術が最も重視するのは、“感情印象の導出”だ。
誰の言葉によって、どんな感情を呼び起こしたか。
言葉にされなかった感情の波を、行動や空気ごと封じ込める。
主語、行動、場面、断定、そして感情。
この五つの情報を手がかりに、発言や行動に矛盾がないか、あるいは感情によって偽りが誘導されていないかまで記録できる。
特に、この“感情”を重点的に抽出し保存することも可能で、その時の空気を改ざんすることは不可能だ。
単なる映像記録ではなく、“その瞬間に確かに存在した感情”までも素材とする魔術――それが中立観測だ。
そして、その魔術の行使者には、判断を加えることが許されていない」
セディリウスは思わず眉をひそめた。
「許されていない……?」
「そうだ。沈黙契約というものがある。
観測中は一切の言葉も、私的な思考も判断も、すべて封じられる。
だからこそ、中立なのだ。
どれほどの貴族でも、この魔術は使えん。
行使できるのは、整合制度の中でも最も信頼された補佐官のみ。
これもクラヴィスの命によってのみ、発動が許されている」
「つまり……」
「つまり、クラヴィスが『中立観測を行え』と命じた時、それは“整合素材として、制度上有効な記録を取得せよ”という意味になる。
逆に言えば、観測が行われたという事実だけで、その素材は一段上の信頼を得る」
王は静かに言葉を結んだ。
「理は、整ったものにしか反応しない。だが、整っていれば、どれほど巧妙な偽りでも発動してしまう。
それを防ぐ最後の補助線が、“中立観測”という魔術だ。
我が国の制度とは、理を扱うがゆえに、常に人の眼を必要としているのだ」
王の言葉が落ち着くと、セディリウスは少しだけ口元に手を当てた。
理が、整ったものに反応するというならば……最後に必要なのは。
「……けれどそれでも、まだ鍵が足りないように思えます」
「察しがいいな。まさに、そこだ」
王は、黒曜石の石板に視線を落としながら、静かに告げた。
「クラヴィス魔術の発動に必要な三つ目の条件が、“承認”だ」
王の言葉に、セディリウスは小さく息を呑んだ。
「整合された記録があり、観測によって素材が揃っていても……
それを理に接続してよいと、認める者がいなければ魔術は動かない」
「その承認権を持つのが、“導き手”と“クラヴィス”。つまり、お前とリディア嬢だ」
セディリウスは王の言葉をそのまま反芻し、静かに頷いた。
「……今後は、私たち二人で、その最終判断を担うということですね」
「ああ。お前は、すでに未来の断片を視た。
それは、導き手としての継承が完了した証だ。
そしてクラヴィスも、既に次の継承者であるリディア嬢へと役割を渡している」
「これからの整合判断も、魔術の発動も、
お前たち二人の“眼”を通して、世界に選び取られていくことになるだろう」
セディリウスは、しばし沈黙したまま、自身の右手を見つめた。
(承認……俺が、それを?)
脳裏をかすめたのは、過去に見た記録の断片だった。
初代導き手は、確かに特別な知力を持っていたわけではない。
むしろ、脳筋とすら呼ばれるような、純粋すぎる人物だった。
(……まあ、俺にも似たようなところがあるけど……)
小さく自嘲が漏れた。
だがその似ているは、裏を返せば、不安でもある。
「……正直に申し上げますと」
セディリウスは、目線を王に向けた。
「自分のような者が、承認権を持っていいのか……不安です。
頭が切れるわけでも、情報に精通しているわけでもない。
軽率な判断で、魔術が発動してしまうようなことがあっていいのかと」
王は、その言葉にふと目を細めた。
「……その不安を持っていること自体が、承認に値する資質だと思っている」
「え?」
「世界にとっての真実を決定づける立場に、軽く踏み込める者などおらん。
そして、そもそもお前は一人ではない。
お前の目は“未来を記憶する眼”であり、リディア嬢の目は“整合を見極める眼”だ」
「どちらか一方では成り立たない。
それが二人体制の本質であり、互いに歩み寄るための仕組みだ」
王の声は、そこに重みを持って静かに響いた。
「リディア嬢や歴代クラヴィスのように、すでに多くの整合記録を扱ってきた者でも、未来を視たわけではない。
逆にお前は、理に繋がる素材を触れるほどの知力が足りない。
だが、未来視を得た。
だからこそ、二人は協力せねばならんのだ」
セディリウスは、少しだけ目を伏せた。
リディアとは、これまでほとんど言葉を交わしたことがない。
誰と親しいのかも分からず、何を考えているのかも掴めない。
けれど王の話を聞けば聞くほど、彼女の知の深さは疑いようがなかった。
(頭が切れて、冷静で……それでいて、何を考えてるのか、本当に分からない)
記録に長け、整合を見極める眼を持ち、クラヴィスの魔術さえ扱う……
そんな人物と、これからは仕事を通して接点を持つことになる。
(俺の判断は、いつも拙くて、未熟で……)
感情のままに動いてしまう自分と、感情を封じて動く彼女。
きっと、うまくいかないことの方が多いだろう。
それでも。
(……それでも、今日視た未来を、忘れてはいけない)
セディリウスは、まっすぐに顔を上げた。
「……責任の重さが、よく分かりました。
だからこそ、リディア嬢と協力して、その役割を果たしていかなければならないのですね……」
「未熟な身ではありますが、頑張っていきたいと思います」
「うむ。そうあってくれればいい」
王の声音はどこか穏やかで、その静けさが、かえって深い重みを持って感じられた。




