20.クラヴィス魔術とは…
長らくお待たせしました。
内部の設定修正に思いのほか時間がかかってしまいました(´;ω;`)
黒曜石の球体は、静かに淡く光を灯していた。
その光には脈動も主張もない。
けれど、セディリウスには、それがまるで“何も語らない証人”のように思えた。
セディリウスは球体から目を逸らせずにいた。
その沈黙が、かえって胸の奥を締めつけた。
父が言った言葉が、何度も頭の中を巡る。
(制度が動いたのは、怒りじゃない。……想いだった)
本当に、そんなことでいいのだろうか?
この国の裁きは、記録と理に支えられた“揺るがない力”だと教わってきた。
感情に流されるものじゃない。そう思っていたのに――
リディアがノエリアを守りたいと願った、その想いが、力になって、制度を動かした。
(……それでいいのか?)
頭の中に、答えの出ない問いが浮かぶ。
そして、気がつけば、口を開いていた。
「父上。ひとつ、伺ってもよろしいでしょうか」
なるべく冷静に言ったつもりだった。
でも、自分でもわかっていた。声の奥に、不安がにじんでいた。
王はゆっくりと顔を向ける。
セディリウスは視線を戻し、黒曜石の球体を見つめた。
「クラヴィスの魔術は……どうやって動いているんですか?」
聞きたかった。ただ、それだけだった。
自分がこれから向き合うことになる“この国の力”。
それが、何によって動き、何をもって正しいとされているのか。
知っておきたかった。
一瞬、空気が止まったような気がした。
王は、淡く光る球体をじっと見つめる。
その光の奥に、何かを思い出しているように、そっと息を吐いた。
「……そうだな。そろそろ話しておこうか」
王は、光を放つ球体をゆっくりと見つめたまま、語り始めた。
「クラヴィス魔術が動くには、三つの段階がある。
どれか一つでも欠けたら、魔術は発動しない」
その声に、セディリウスは自然と背筋を伸ばしていた。
言葉の一つ一つが、静かに重く響いていた。
「まず、一つ目は“記録”だ」
「何が起こったのか。誰が、いつ、どこで、何を言ったのか。
すべてをはっきりと書き残すこと。
曖昧な話じゃなく、誰が読んでも分かる形でな」
「証言でも、持ち物でも、魔術の痕跡でもいい。
まず大事なのは、“感情”じゃない。“見える証拠”だ」
一拍おいて、王は続けた。
「……人の記憶は変わる。
時間が経てばあやふやになるし、思い込みで書き換わってしまうこともある。
本人は本気で“見た”と思っていても、実際とは違うことだってあるのは分かるだろう。」
「でも、理とクラヴィス魔術は、それを許さない」
王は、光をたたえた球体をじっと見つめたまま、ゆっくりと言葉を続けた。
「たとえ、どれほど強く想っていたとしても。どれほど深く、誰かを守りたいと願っていても……その気持ちだけでは、魔術は動かぬ」
その声に、セディリウスは息を呑む。
「理は、曖昧なものを嫌う。気持ちの強さではなく、形に整えられた記録だけを信じる。……それが、この国の裁きのあり方だ」
王は、今度はセディリウスに視線を移した。
「裁きというのは、感情をぶつける場所ではない。どれだけつらくても、どれほど理不尽でも、それを示す証拠がなければ、制度は動かない」
「だから、記録が必要になる。誰が、いつ、どこで、何をしたのか。それを誰が語ったのか。どんな物証があったのか。
それらを、誰が見ても同じように読める形で、きちんと文書に整える」
「怒りや涙ではなく、構造のある証拠として…それだけが、魔術に届く」
セディリウスは、喉の奥がひりつくのを感じた。父の言葉が、自分の胸の奥に、静かに響いてくる。
あの査問会。
リディア・レストールは、何も語らず黙々と査問会の記録を執っていた。
ただそこにいて、言葉もなく、感情も見せず。
静かに全てが終わるのを見届けるかのように。
けれど今思い返すと……すでにすべてが“終わっていた”のだと思う。
王は目を伏せ、ふと独り言のように口を開いた。
「……たとえば、“言った”“言わない”で揉めることがあるだろう。
人の口は、何も残さない。だが、紙は違う。筆跡も、印も、日付も。
記録は、確かにそこに残る」
「魔術は、その“整えられた記録”にしか反応しない。
どれだけ信じていようと、どれだけ真実であろうと、証明できなければ、“整合”とはみなされない」
セディリウスは、ほんのわずかに肩を強張らせた。
……では、記録がなければ、裁けないのか。
たとえ何があったとしても、証拠が残っていなければ、正しさは届かないというのか。
言葉にできぬ問いが胸の奥でうごめく中、王が静かに続けた。
「……もちろん、すべての出来事が記録されているとは限らない。
その場に誰かがいて、書き残す意志があって、記録する術を持っていなければ――
証拠そのものが、最初から生まれない」
「日常の中で、そんな都合よく記録が残るはずもないだろう?」
「だからこそ、我々には“記録還元術”という手段がある」
セディリウスは、眉を寄せた。聞き慣れない言葉だった。
「記録……還元?」
セディリウスが問い返すと、王はゆっくり頷いた。
「ああ。“記録還元術”――空間に残された痕跡から、過去に起きた事実を引き出す魔術だ」
「たとえば、誰かがとある場所で何かを話したとしよう。書類を広げていたり、魔術を使っていたり。そうした行為は、ほんのわずかに空間に痕跡を残す」
「それは目に見えるわけではない。けれど、術式によって丁寧にたどれば、過去の状態が浮かび上がる。――まるで、記録を再生するように、な」
セディリウスの眉がわずかに動いた。
「そんなことが……本当に……」
「ただし、誰にでもできるわけではない」
王の声が、少し低くなる。
「この術を含めた、制度の補佐に関わる魔術を使うには、いくつもの厳しい条件を満たす必要がある。
まず、理に認められ、名前を記された者であること。
そのうえでクラヴィスと導き手が適性を判断し、必要な訓練を経た者だけに、記録還元の魔術を含めた様々な魔術が付与される」
「そうして選ばれた者たちは、“補導”や“影衛”と呼ばれ、制度の補佐として働いている」
「補導は主に記録の還元や整合支援を担い、影衛は防御や監察を担当する。どちらも制度の中にあって、感情を持ち込まぬことを誓い、私情で動くことは許されていない」
セディリウスは、胸の奥にひっかかるものを覚えて問いかけた。
「……“補導”や“影衛”……?」
「記録還元術については、勝手に使えるわけではないんですよね?」
「もちろんだ」
王は即座に肯定し、重ねて言葉を添えた。
「この術は、制度によって厳しく制限されている。
使用にはクラヴィスと導き手、そして理からの許可が必要だ。
対象も目的も明確でなければならず、私的な覗き見のようなことは――決して許されない」
王はそう前置きしたうえで、机に目を落とし、ゆっくりと続ける。
「還元術とは、空間に残された痕跡をもとに、記録を再構成する魔術だ。
その場で交わされた言葉、置かれていた物、微細な気配――
全てが、わずかに空間に刻まれ、“整合”の素材となる。
だがそれは、過去そのものではない。“過去を記録として整理するための構成物”だ」
セディリウスは、小さく眉を寄せた。
「……つまり、痕跡を拾い集めて“そのとき”を再現してる、ということですね」
「そうだ。ただし、整合されて初めて記録となる。
痕跡が不十分だった場合、還元された記録には“整合率”が付けられる。
――つまり、その再現がどれほど正確かを示す指標だ。
基準に満たなければ保留される。
制度は、そのような曖昧さを許さない構造で成り立っている。
ゆえに――整合の補佐として、“補導”の役割が必要とされるのだ」
「補導……」
先ほど聞いた名を、セディリウスが繰り返す。
王は、うなずいた。
「影衛と補導――制度の裏で記録を補佐する者たちだ。
彼らは感情を記録に持ち込まぬよう訓練され、行動も制度下に記録されている。
私情で動くことは、いかなる理由があろうとも許されない」
王はふと顔を上げ、セディリウスに静かに視線を向ける。
「……記録は、“整える者”がいてはじめて制度として成立する。
痕跡が曖昧でも、事実が見えづらくても、記録のかたちに整え、責任をもって扱う者が必要だ。
それが――クラヴィスの役目だ」
セディリウスは、深く息を吐いた。
制度とは、思っていた以上に緻密で、そして厳格だ。
記録とはただの証拠ではなく、“整合された意志”そのものとして機能している。
そう理解し始めていた。




