19.崩壊の記録を越えて
日々の忙しさに追われ、更新が遅くなりました(汗)
黒曜石の間に、再び静けさが戻っていた。
語り終えた父王は、わずかに目を閉じ、静かな息を整えている。
正面の石板には、いまなお微かな揺らぎが残り、断片的な映像が
ほのかな音とともに浮かび続けていた。
《黒曜の祭壇に並び立ちし者》という一文が、光を帯びて表れた。
セディリウスは、まだ言葉を発せぬまま、その場に立ち尽くしていた。
(……それが、この国の始まり)
胸の奥で、古の記憶と、いま語られた真実が静かに重なっていく。
かつて世界が崩壊しかけた時代。
天才と呼ばれた青年と、若き武人の友情。
そして、必然ともいえる“制度の核”との出会い。
王の声が、再び低く響いた。
「武人は、導き手として民の声を束ね、国のかたちを作った。
そして青年は、記録者として制度の枠組みを整え、理の安定を取り戻した」
球体の文字が、さらにゆるやかに変わる。
《この地は、ヴァルメリア王国と名を改める》
《ふたりの血脈は、それぞれ王家とレストール家として受け継がれた》
「そうしてこの地は《ヴァルメリア王国》と呼ばれるに至った。
ふたりの血脈が、それぞれ《王家》と《レストール家》の源となったのだ」
セディリウスは、知らず息を呑んでいた。
「《ヴァルメリア王国》となった事で
武人は、“カルナス”の名からヴァルメリアと姓を改め、王家として冠した。
それが、今の我らの家名の由来だ。
もう一方の知略の青年の系譜こそが、レストール家に連なる。
……この国の制度とともに、ふたりの名もまた受け継がれてきたのだ」
(……やはり……)
セディリウスの胸に、ひとつの思いが静かに芽吹く。
王家とレストール家。
表と裏の立場にありながら、災厄を避けるため
長きにわたり共に歩み続けてきたふたつの家。
その流れが、今また新たな継承によって動き出している。
自分が未来視を得たことも、偶然などではないのかもしれない。
だが、それでも釈然としなかった。
ほんの数日前まで、ただの王子だった自分に、そんな役割が……
「でも……私は、まだ十八です」
「レストール家の方も、まだ二十歳だと聞いています。
……そんなに若くても、継承されるものなのでしょうか?」
王は静かに、しかしはっきりとうなずいた。
「継承は、年齢や順番では決まらぬ」
「本当に誰かを守りたい、と強く願ったとき……その想いが“理”に届けば、継承は起きる」
「……想いが、理に……」
セディリウスは、王の言葉の意味を反芻しながら、胸の内で静かに考えた。
本当に誰かを守りたいと願ったとき、その想いが理に届く――
けれど、自分にはそのような強い想いを抱いた記憶はない。
……ならば、なぜ。
なぜ自分にまで継承が起きたのか。
理由も確信もないまま、ただ変化だけが先に訪れたという事実が、得体の知れぬ不安となって胸に残っていた。
「では……父上」
「その……クラヴィスを継いだのは、レストールの……」
言いかけて、言い直す。夢の中で見た名を、彼ははっきりと覚えていた。
「……リディア・レストール様、でよろしいのでしょうか」
「そうだ」
セディリウスはしばし黙ったまま、考えを巡らせた。
あの姿は――間違いなく、彼女だった。
「……あの、もしよければ……まだ、お聞きしてもいいでしょうか」
「以前、王宮の夜会で、あのレストール家に引き取られたノエリア嬢とお話したことがあります。そのとき、彼女の丁寧な振る舞いと、周囲から距離を置かれているような空気が気になって……」
王は黙って続きを促した。
「……あの家は、社交の場にもほとんど出てこない、不思議な家だと聞いていました。父上が密かに面会されているのを見たこともあります……
でも、なぜなのか、ずっと分からなくて」
「……ノエリア嬢が不当に扱われていないか、気がかりだったのだな」
「はい。ですから、声をかけて、舞踏会で一曲踊っていただきました」
舞踏の記憶が蘇る。控えめな笑顔。礼儀正しく、けれどどこか遠慮がちだった少女。
「話してみると……とても真面目で、優しい方でした。
レストール家の皆さまが教育を整えてくださって、日々支えてくださっていると
そう、彼女は言っていました」
王は穏やかに頷いた。
「レストール家は、社交の表には出ぬ家系だが……
その実、この国の根幹を担っている。
理と記録、秩序の柱を静かに支えてきた、陰の役目だ」
王は一度言葉を区切り、球体に視線を落とした。
「表情にこそ出さぬが、誠意は行動にこめる。
それがあの家の流儀であり、クラヴィスという役目の本質でもある」
「……行動で……」
「リディア嬢がクラヴィスを継承したのは……
おそらく、誰かを本気で守りたいと願った、その瞬間だったのだろう」
王は穏やかに言葉を続けたが、その声にはかすかな重みが混じっていた。
「しかも、それが妹であるノエリア嬢だったという点には、大きな意味がある。
いま、彼女は“偽り”によって貶められようとしていた――それも、理に反する形で」
その言葉に合わせるように、球体が淡く脈動した。
王の目は、どこか遠いものを見ているようだった。
「記録がゆがめられれば、裁きの制度そのものが崩れかねない。
理に背く偽りが、真実として記されてしまえば、正しい秩序は機能を失う。
……本来なら、そうした危機にこそクラヴィスは動く。
だが今回は、違う」
王はふと視線を落とし、低く、静かに言葉を置いた。
「今回の出動は、“制度のため”ではなく、“個人の怒り”が引き金だった。
妹を守ろうとした、ただその想いが、制度の奥底にまで届いた。
……結果として、制度が動いたのだ。
だがそれは、リディア・レストールという人物でなければ、決して起きなかっただろう」
王はふっと息を吐いた。その声音には、どこか複雑な色がにじんでいた。
「本来、クラヴィスの継承者は、感情を表に出さぬよう育てられる。
……それは、感情の揺れが、理の整合を乱すことを避けるためでもある。
だが、実のところ、教育だけの話ではないのだ」
王は、ほんのわずかに目を伏せる。
「クラヴィス魔術そのものが、継承者の感情を沈めるよう、構造的に組み込まれている。
理と繋がる力は、安定こそがすべてだからな。
……そのため、思考は澄み、判断は鈍らずに済む。だが代わりに、“心”を奪う」
そこまで語ってから、王はほんの少し、呼吸を整える。
「――とはいえ、すべてを無にすることは、できなかった。
あの魔術には……ただひとつ、“救い”のようなものが組み込まれている。
それが――誰かを、どうしても守りたいと願う気持ちだ」
王の言葉は、静かだったが、どこか遠い過去を見つめるような響きを持っていた。
「感情が乏しくなるよう設計されていながら、
それでも、“愛する者を守りたい”という願いだけは消さずに残されていた。
……いや、むしろ、それだけが強く残るようになっているのかもしれないな。
制度の中で冷たく育てられる継承者たちにとって――
たったひとつ、心をつなぎとめるための、最後の砦のように」
セディリウスは、静かに王の言葉を受け止めていた。
球体の脈動が、また一度、淡く光る。
「リディア嬢がクラヴィスを継いだのは……
おそらく、その想いが強くなりすぎた――その瞬間だったのだろう」
王はそう締めくくり、ふと小さく笑んだ。
「しかも、相手が悪かったのだろうな。
クラヴィスに、その想いの矛先を自ら向けさせてしまったのだから……」
そして、最後の言葉は、語りかけでも説明でもなく。
ただ、ふと漏れたような、疲れをにじませた独り言だった。
「けれど……それでも。
どうしても守りたいと願った存在が、目の前で傷つけられようとしていたなら――
……たとえ制度がどうあろうと、その想いは、封じきれなかったのだろうな」
その声音には、深い理解と、ほんのひと匙の諦め。
そして、静かな覚悟が滲んでいた。
王の言葉に、セディリウスはようやく気づき始める。
リディア・レストールという人物が、何を背負っているのか。
そして、あの夢で感じた胸の痛み、あれがなぜ起こったのか。
(……だから、あんなにも心が動いたのか)
「……父上、……教えてください」
言いながら、ほんの少しためらいが生まれた。
でも、それでも口にしたい疑問だった。
「その……未来視が現れたのは、制度がぐらついているせいではないんですよね?」
王は静かに首を横に振る。
「違う。お前が未来視を得たのは、役目を継いだからだ。
数日前にリディア・レストール嬢がクラヴィスの役目を継ぎ、お前が王家の継承を受けた。
ただ、それだけのこと。だがそれは、決して偶然ではないはずだ。
このタイミングで役目が継がれたこと、その意味は、やがて見えてくるだろう」
セディリウスは、こくりとうなずいた。
だが、その心の奥には、まだ拭いきれない迷いがあった。
「でも……もし、あの夢の中の出来事が、本当に起こるとしたら……
誰かが、わざとそんな未来に向けて、仕組んでいる……なんてことは……」
言いながら、自分でもその考えに少し怯えた。
そんな大それたことが、もしも本当にあったとしたら。
王はほんの短く、目を閉じる。
「……その可能性は、まったく無いわけではない。
制度そのものではなく、それを悪意でゆがめようとする誰か、そう考えるべき時期に来ているのかもしれぬ」
セディリウスの胸の奥に、ひんやりとした不安と、ぽつりと灯る小さな決意が並んで立った。
まるで背中に、目に見えない何かが手を添えてくれたような感覚だった。
(……俺が見た未来、あれは、ただの夢じゃない)
(リディア・レストール嬢の背中が、あんなにも遠ざかっていった……)
セディリウスは視線を落とし、小さく息をついた。
胸に残るあの光景は、今もはっきりと脳裏に焼きついている。
まだ、何もわかっていない。
自分の立場も、役割も、そして……あの夢の意味も。
この回で1章を終わらせる予定でしたが……まだ続きます。
もう少しお付き合いください( *・ω・)*_ _))ペコ