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婚約破棄、それは静かな布石  作者: 朝比奈ゆいか
第1章・婚約破棄事件と王国の秘密
10/21

10.静かなる起点

夜が明けきる前の王宮は、まだ静けさを保っていた。

窓の外には淡い光が差し始め、白い石壁にわずかな色彩が戻りつつある。

王宮中枢の私室――そこに、セディリウスと王は向き合っていた。

未来視を告げた直後だった。

王は、机上に置かれた《精査完了報告書》に手を触れることもなく、静かに口を開く。


「……少しは落ち着いたか」


セディリウスはわずかに頷いた。だが、胸中は未だ波立ったままだ。

脳裏には、あの焼け落ちた王都の景色が繰り返し浮かび上がる。黒く煤けた街並み、砕け散った黒曜石球体――そして、静かに背を向けて消えたリディアの姿。

……なぜ、あの時、彼女は振り返らなかったのか。

絶望していたわけではないように、彼には思えた。

どこか――諦めでも、怒りでもなく。

むしろ、全てを抱え、静かに背負い続けた何かがそこにあったように感じた。

もはや整合も裁きも果たせぬほど崩れた世界の中で、なお彼女は、その場に留まり続けていたのではないか――

そんな風に、セディリウスはあの光景を思い返すたび、胸の奥に言葉にならぬ圧迫感を覚えた。

それが、自らが今手にした“責務”という重さと、どこか通じるものなのかもしれない――

だがその意味に、まだ明確な答えは持てずにいた。


「……すべてを整理できたわけではありません。でも――あの崩壊の光景だけは、今も鮮明に焼きついています」


声に出した途端、わずかな震えが自分の内側から漏れ出していくのを感じた。

あれは夢ではない――回避しなければ訪れるかもしれない現実の一端だ。

それに対して王は、揺るがぬまま答えた。

その声は静かだが、決して優しくはない。事実だけを告げる、重い声音だった。


「忘れるな。お前が視たのは“避けるべき未来”だ。

だが、その未来を回避するのは、お前一人の力ではない。

この国は、王家とクラヴィス――ふたつの柱によって支えられている。

クラヴィスと共に、この制度を保たねばならぬ。

それが――未来視を継いだ王家の責務だ。」


セディリウスは拳を軽く握りしめた。

掌にこわばる感覚がじわりと広がる。未来を背負う重み――それが現実のものとして、静かに彼の身体にのしかかっていた。


「……ですが、そのためには、僕はまだあまりに知らなすぎるのです。

父上――さきほど仰っていましたね。“制度の始まりを教える時が来た”と。」


目を伏せていた王は、静かに目を細める。

その眼差しには、僅かな覚悟と、王としての責務の重さが滲んでいた。


「そうだ。お前が継承を果たした以上――もはや避けては通れぬ話だ。」


短く告げると、王は椅子を静かに後ろへ引き、ゆっくりと立ち上がる。

その所作には迷いがない。ただ静かな決意だけがあった。


「ついて来い。黒曜石の間へ向かう。」


セディリウスは一瞬だけ息を整え、無言で頷いた。

そして父の背へと静かに従う。まだ幼い頃、王宮を歩く父の背を小さく見上げて追いかけていた日の記憶が、一瞬だけ脳裏をよぎった。

だが今は違う。父の背は、王としての責務を背負う重みを帯びている――その意味を、少しずつ理解し始めていた。


王宮の私室を出ると、静寂の中にふたりの足音だけが石造りの回廊に響く。

先導する王の足取りは迷いなく、やがて彼らは王宮奥部の一角――封印区画へと至る儀礼回廊へ踏み入った。

そこは、王家とクラヴィスの資格者のみが許される禁域。

衛士たちは誰ひとり声を発することなく道を開き、一礼して退いた。

衛士の表情にも緊張が宿っている。日常とは違う空気が、確かに今ここにあった。


セディリウスの心臓がわずかに脈打つのを、自分でも自覚する。

この先に何が待っているのか――それをまだ知らぬまま、ただ一歩ずつ進んでいく。

幾重にも重なる封印扉が、静かな魔術の光を伴ってゆっくりと開かれていく。

その度にわずかに空気が変わり、まるで別の領域に踏み込んでいく感覚を覚えた。


やがて、最後の扉が音もなく開かれた先に――静謐な空間が姿を現した。




黒曜石の間――


そこは王宮の最奥に隠された、まったく異質な空間だった。

煌びやかな装飾も、王権を示す紋章もない。ただ静かに、冷たい光を湛える石壁が空間を包み込み、静寂が重く積もっている。

そこにあるのは、誇示ではなく――国家そのものを支えるための無機質な機構。


部屋の奥、封印結界に守られるようにして据えられたのは、一枚の古びた黒曜石の石板。

その手前の祭壇には、黒曜石で削り出された重厚な承認印――王家の承認を司る印鑑が慎重に安置されている。

そして部屋の中央、低く組み上げられた台座の上に――


静かに浮かんでいた。

黒曜石の球体が。


淡い光がわずかに揺らめき、まるで呼吸しているかのように静かに鼓動を刻んでいる。

その位置は、手を伸ばせば届くほど近い。けれど、そのわずかな距離の先に、言葉にできぬ緊張が満ちていた。

ここには――整合された記録が積み重ねられている。

国家の制度が依拠する「事実」そのものが、ひとつずつ封じられ、覆すことのできない形で保存されているのだ。

虚偽も憶測も許されず、ただ証拠に裏付けられた真実だけが、この球体の内部へと収められていく。

これが国家の心臓部。

この封印装置が、裁きと秩序の根拠であり、王国の制度を静かに支え続けている。

すべての記録は、ここで守られ、裁かれ、積み重ねられていく――それこそが、王国最大の秘密であり、《制度の核》だった。


王はゆっくりと祭壇の前に歩を進め、振り返る。

その背中は、もはや父としてではなく、“王”としての威厳を纏っていた。


セディリウスの視線は、祭壇中央に浮かぶ黒曜石の球体へと吸い寄せられていた。

あの時、夢で砕け散った球体――。

今こうして実物を目にしても、現実感はまだ曖昧なままだった。

……だが、確かに今はここにある。静かに、沈黙のまま、揺らめく光を宿し続けて。

けれど同時に、セディリウスは理解していた。

この球体が崩れる未来は、ありえない幻ではない。

ほんのわずかな綻び――整合が失われ、制度が機能を止めれば、この光景も現実になり得る。

それが“未来視”の重さなのだと、改めて胸の奥が冷たく締め付けられた。


「……これが、この国を支える制度の核だ。」


セディリウスは静かに頷いた。

目の前に浮かぶ黒曜石球体――それが、自身の未来視で崩壊した象徴だったことを、改めて実感する。

だが今はまだ、この制度は動いている。

それを守るために、自分はここにいる――そう胸の奥で静かに覚悟を刻んだ。


「……これが……クラヴィス、なのですか……?」


思わず口にした王子の問いに、王はわずかに首を振った。


「違う。」


その声は、静かにだがはっきりと響いた。


「これは制度の核――

事件や証言の記録を蓄え、整合を判定し、国家の真実として封印する装置だ。

“クラヴィス”とは……その記録を整え、整合を成立させ、最終の裁きを執行する資格を持つ者の名だ。

制度を支える実務の中枢――それが、クラヴィスだ。」


セディリウスは静かに球体に視線を戻す。

まるで全ての真実が、この黒曜石の中で眠っているように思えた。

だが――なぜ、ここまで記録が絶対のものとされるのか。

その疑問が、ふと口を衝いて出た。


「……なぜ、これほどまでに“記録”が国家の核に据えられているのですか?」


王は淡く目を伏せる。

それは、長く秘された問いであり――やがて語るべき宿命でもあった。


「――それを知るには、制度の始まりまで遡らねばならぬ。

なぜなら、この制度は、かつて国家そのものが崩壊しかけた末に生まれたものだからだ。」


その声に、ほんの僅かな苦みが滲んでいた。

ヴァルメリア王国の根幹に横たわる、決して語られぬ過去――その重みが、王の言葉の背後に確かにあった。


そして王はゆっくりと一歩踏み寄り、低く、静かに告げる。


「次に教えるべきは、“この国がどうしてこの制度に至ったのか”――その起源だ。」


セディリウスは、わずかに息を整え、静かに頷いた。

王の背後――封印区画の奥、黒曜石の石板が静かに佇んでいた。

あの中には、すべての制度の出発点となった《始まりの記録》が今なお封じられている。

今回からしばらく、制度の中枢部分に踏み込みますので、あとがきは控えめに進行します。

引き続きお付き合いいただければ幸いです。

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