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婚約破棄、それは静かな布石  作者: 朝比奈ゆいか
第1章・婚約破棄事件と王国の秘密
1/21

1.記録官の沈黙

はじめまして☆朝比奈ゆいかです。

少しずつになりますが、これから投稿を続けていけたらと思っています。

まずは、読んでくださる方が一人でもいたら本当に嬉しいです!


元々、読むのが大好きで、「こんなお話が読んでみたいな」と思いながら、少しずつ世界観を作り込んできました。

今回の物語は、そんな思いから生まれたものです。

もしよろしければ、気軽に覗いていってもらえると嬉しいです♪

王宮からの封書が届いたのは、いつもより風の冷たい朝だった。

中央記録庁 整理総務課――その片隅、膨大な文書の山に囲まれた机で、若き記録官リディア・レストールは静かにその封筒を受け取った。宛名は自分宛、送り主は王宮査問局。封蝋を外し、内容を淡々と読み進める。


文面には、こう記されていた。


――査問会開催通知。対象:ノエリア・レストール。告発者:レオネル・ヴェルンステッド。

――容疑:素行不良、複数の男性との不適切な関係、貴族としての品位に欠ける行動のため、婚約破棄を申し込む。


その文字列は、他人行儀なほどに整然としていた。

リディアの机の上には、もう一通の封筒が置かれていた。赤い糸で綴じられ、封蝋が二重に施された文書――《精査完了報告書》

リディアの目が、ほんのわずかに細められた。だが、手元の紅茶に口をつけるその仕草には、何の揺らぎもない。冷静に、淡々と、そして美しく――彼女の動作は常に一分の隙もない。


「……ようやく」


そのひとことは、誰に向けたものでもなかった。だが、その声は確かに、微かに安堵を孕んでいた。


その頃、査問会の対象となっているノエリアは、自身が告発されていることも知らず、屋敷の一室で筆を動かしていた。

控えめな光の差す書斎で、真剣な表情の少女は、丁寧に宮廷式の手紙文を書き写している。


「ノエリア様、今日は筆がよく進んでいらっしゃいますね」


優しく声をかけたのは、年配の女中マリア。ノエリアは少しだけ顔を上げ、笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。練習していた礼文の形が、ようやく手に馴染んできた気がします」


その表情には曇りがなかった。どこかおっとりとしながらも、しっかりとした芯を感じさせる笑顔。

王宮での礼儀、格式ある言葉遣い、貴族社会に通じる筆記法――どれも彼女が努力で身につけてきたものだ。


中流貴族であるレストール家に養女として迎えられて一年。子爵家出身の彼女は、レストール伯爵の命で、王都の上流階級にも恥じぬ振る舞いを身につけるべく、家庭教師のもとで教育を受けていた。

何よりも目立ちすぎてはならない。礼を失ってはならない。誰よりも慎ましく、品位を守れるよう、自らに言い聞かせて日々勉学に励んでいた。

それも、婚約者であるレオネル・ヴェルンステッドと、その実家である上位貴族・ヴェルンステッド侯爵家の名を辱めぬために。


屋敷では、使用人たちとも分け隔てなく言葉を交わす。

「お嬢様」と呼ばれながらも、決して威張らず、むしろ朗らかな笑顔で小さく会釈を返す彼女の姿に、屋敷の者たちは次第に敬意を抱くようになっていた。

けれど、それはあくまでこの屋敷の中だけのこと。


「……気をつけすぎるのも難しいですね」


ぽつりと漏らした言葉に、マリアが首をかしげる。


「何か、ありましたか?」


「いえ。大丈夫です。……ちょっと、ふと考えただけで」


つい先日、茶会の席で背後から囁かれた“家柄にそぐわぬ”という言葉が頭をよぎる。

微笑むノエリアの顔は穏やかで、どこまでも柔らかい。けれどその奥には、誰にも見せぬ小さな不安が潜んでいた。

彼女は知らなかった。静かに迫りくる査問会の影を――そして、自分がその渦中にあることを。


その夜、ノエリアは伯爵に呼ばれ、静かに応接間へと向かった。扉を開けると、すでにリディアがいた。伯爵の傍ら、控えるように静かに立っている。


「ノエリア。君宛ての査問会通知が届いた」


伯爵は、いつもと変わらぬ落ち着いた声でそう告げた。目の前に差し出された文書には、確かに自分の名前が記されていた。


――査問会開催通知。対象:ノエリア・レストール。告発者:レオネル・ヴェルンステッド。

――容疑:素行不良、複数の男性との不適切な関係、貴族としての品位に欠ける行動のため、婚約破棄を申し込む。


ノエリアの手が微かに震えた。


「そ、そんな……なぜ……私、何も――」


すぐに否定しようとした。けれど、「複数の男性との不適切な関係」という文言に、言葉を失う。

そんなこと、していない。けれど、その“証拠”があると告発者が主張している以上、自分の言葉だけでは否定しきれないのだ。


 (証拠って、何? 何を見て、レオネル様はそんなことを?)


混乱と恐怖が胸を締めつける中、伯爵は静かに口を開いた。


「何があっても、真実を話しなさい。」


その声音は、驚くほど淡々としていた。だからこそ、胸の奥に重く沈んだ。

隣に立つリディアは、ただ黙って彼女を見つめていた。表情は変わらない。普段通り、無表情で多くを語らない――リディアらしい振る舞いだと、頭ではわかっていた。

けれど、今だけは、その沈黙がひどく冷たく感じられた。


 (……迷惑を、かけてしまった)


何も語らぬ姉と、静かに見守る義父の姿に、ノエリアはただただ、身を縮めた。


「私は、していません……」


絞り出すようにそう告げながらも、その言葉の弱さに、自らが打ちのめされる。

レストール家に恥をかかせてしまった。証拠も知らず、どう否定すればいいのかも分からない。いったい、どうすれば――。


 (でも……だから、ちゃんと話さなきゃ。私が……私の手で……)


その夜から、ノエリアは一人で必死に動き始めた。


けれど、知ろうとしても、誰も何も教えてくれなかった。


屋敷の使用人たちはいつも通りだったが、社交界の周囲は冷たかった。噂の詳細を尋ねようとしたお茶会では、あからさまに話題を逸らされ、誰も答えようとはしなかった。


 (……あの時も。あの茶会でも……)


背後から囁かれた「家柄にそぐわない」という言葉が思い出される。


 (誰も、教えてくれない。証拠が何かすら、わからない……私は――見下されているのだ。

  きっと、レオネル様にも……

  婚約を破棄されるほどに、価値のない人間だと、そう思われていたのかもしれない)


そして数日後――


査問会当日の朝、ノエリアは少し痩せていた。目の下に薄い影を落としながらも、それを隠すように、丁寧に身支度を整えた。


「私はしていない。……だから、真実を話す。それしか、私にできることはないから」


誰にも迷惑はかけたくない。その一心で、心に言い聞かせた。


そのまま、刻限が訪れる。


王宮西棟に設けられた査問会室。その広間には、最上位から下位貴族を含む複数の傍聴者たちが列席し、重く張り詰めた空気が満ちていた。


中央の証言台には、ノエリア・レストールが一人立っていた。その姿は小柄で、控えめな薄青のドレスに身を包み、どこか幼さすら残る表情が強張っている。


「では、告発者より証言をいただきます。レオネル・ヴェルンステッド殿」


進行官の声に促され、証言席へと歩み出たのは、整った顔立ちの青年貴族――ヴェルンステッド侯爵家の嫡男、レオネルだった。彼は、ほんの少し哀れみを含んだ視線でノエリアを見やり、低く落ち着いた声で語り始めた。


「ノエリア・レストール嬢は、私の婚約者でした。しかし、ある頃から、彼女が複数の男性と親しげに接している場面を、何度も目にするようになりました。舞踏会や茶会の席だけでなく、廊下の陰や庭園の隅――控えるべき距離感を逸脱していると感じたのは、一度や二度ではありません」


傍聴席から、驚きの声が漏れる。


「最初は、私の勘違いかもしれないと思っておりました。しかしその後、私のもとに複数の貴族青年が現れ、こう言うのです。『ノエリア嬢とは互いに想い合っている。どうか婚約を解消してほしい』と。しかも一人ではなく、三人、四人と……。そのような相談を受ければ、誰しも不審に思うでしょう」


レオネルの表情には、やや陰を帯びた苦悩が浮かぶ。


「さらに――私はこの目で、ノエリア嬢が男性宛と思われる包みを持ち歩いているのを数回、目にしました。伯爵家の使用する装飾やリボン、控室の近くで男性と二人きりになった直後にその包みがなくなっていたことなどから、私は贈り物だと判断しました。もちろん、確証はありません。しかし、彼女の婚約者として、それを看過することはできませんでした」


裁定席の前に立つレオネルは、ゆっくりと頭を下げた。


「申し訳ありませんが、私は侯爵家の嫡男として、責任ある判断を求められる立場にあります。彼女の行動が誤解である可能性も考えました。ですが、数多の噂と、私自身が見た数々の場面を前にして……もはや、婚約を維持することは不可能と判断しました」


言葉のひとつひとつが、柔らかく装われている。だが、確かにノエリアの名誉を傷つけるに足る証言だった。


ノエリアは俯いたまま、その手をぎゅっと握り締めていた。


次に名を呼ばれたのは、ロディス・フラーナム――男爵家の次男であり、社交界では温厚で目立たぬ存在とされていた青年だった。


彼は緊張に肩を強ばらせながらも、証言台へと歩み出る。その足取りはぎこちなく、視線はしきりにノエリアへと向けられた。


「……以前、舞踏会でノエリア嬢と一度だけ踊ったことがございます。それ以来、ずっと……忘れられなかったのです」


静まり返った広間に、控えめな声が響いた。


「それから数日後、私は彼女に声をかけられました。場所は、舞踏会のあと、控室の裏手でした」


ノエリアの眉がわずかに動き、目が大きく見開かれる。彼の語る“その日”の記憶に、まるで心当たりがなかった。だが、それを否定する言葉は、まだ許されていない。


「彼女は微笑みながら、私の手を取り……こう言ったのです。『あの時のダンス、楽しかったわ。またお会いできて嬉しい』と」


傍聴席に、再びざわめきが起こる。


「そして、小さな包みを渡されました。開けてみると、手刺繍のハンカチと、香り袋が入っていました。それはもう、誰が見ても――恋文に等しい贈り物でした」


言葉を継ぐロディスの声に、どこか酔ったような熱が宿る。


「私は……本気になってしまいました。彼女も、私に特別な好意を持ってくれているのだと……そう、確信していたのです」


彼はそう言って、懐から丁寧に畳まれた包み紙を取り出す。白地に青銀の模様が浮かぶ、それは確かにレストール伯爵家の格式ある贈答品に使われるものだった。

続けてノエリアが自ら刺繍したと言われているハンカチと香り袋も一緒に。


「これが、その時に受け取った包み紙と頂いた物です。私はずっと、大切に……」


震える手で差し出されたそれを、進行官が慎重に受け取る。


「証拠品として、こちらでお預かりいたします」


淡々としたその一言が、場の空気に鋭い余韻を残した。


ノエリアは、全身を強張らせていた。差し出されたその包み紙には、まるで見覚えがなかった――いや、何よりも、彼にそんな贈り物を渡した記憶すらない。

だが、証言と物証が揃ってしまえば、その真偽を問う機会すら奪われる。場内には、見えざる重圧が静かに広がっていた。


次に名を呼ばれたのは、エルヴァン・トリューク。地方の男爵家に生まれた三男であり、若さと粗削りな野心を隠しきれない雰囲気を纏った青年だった。

堂々とした足取りで証言台へと上がった彼は、口元にかすかな笑みを浮かべながら、傍聴席の視線を受けることにすら慣れたような態度を見せた。


「……ノエリア嬢と初めて会話を交わしたのは、ある小規模な茶会の折でした。彼女はとても丁寧で、控えめな態度でしたが……あのときの一言が、ずっと耳から離れないのです」


彼は言葉を選ぶように間を置き、ノエリアへとちらりと視線を投げた。


「『この空間では、あなたが一番落ち着いて見えるわ』――そう言って、微笑んだんです。舞踏会で踊ったのもその後で……その時もまた、彼女は私に向けて、まるで心を許したような視線と会話を楽しみました」


自然な語り口に、傍聴席が静まり返る。


「……そして後日、とある茶会の終わりに、私は中庭のガゼボで彼女と二人きりになりました。

その場にいたのは、私たちだけ。まるで時間が止まったように、周囲の音も気配もすべて遠のいて……あの中庭は、この世界から切り離されたような、静かで澄んだ空間でした」

「彼女は、そんな空気の中で、ごく自然にプレゼントの包み紙を取り出しました。そしてこう言ったのです――『この香り、あなたに似合うと思ったの。私のお気に入りなの』と」

「誰にも見られないと知っているかのような、その仕草に……私は、彼女が私だけに心を向けてくれたのだと、そう確信したのです」


それを裏付けるかのように、彼は慎重に懐から包み紙を取り出した。

それは、先ほどロディスが提出したものと同様、白地に青銀の紋様が浮かぶ、レストール伯爵家の正式な贈答用包みだった。


「これが、ノエリア嬢から直接いただいた物です。信じていただけるか分かりませんが、私にとっては宝物でした」


進行官が包み紙を受け取る。淡々とした口調で告げる。


「こちらも証拠品として、お預かりいたします。」


エルヴァンは一礼し、証言台から静かに退いた。

広間には、再び重苦しい沈黙が満ちる。


進行官が一歩前に出ると、視線を全体に向けて告げた。


「証言台に立った証人は、以上の三名です」


言葉を切り、静かに続ける。


「なお、本件には他にも関係者とされる人物が複数おりますが、当人らの強い意向、および関係家門の名誉保持の観点から――本査問会への出席は見送られております。

ただし、その証言内容はすでに提出されており、いずれも先の証人二名と同様の趣旨であることが確認されております」

「なお、物証の提出はございませんが、当時の状況に関与していたとされる侯爵家嫡男、レオネル・ディアレスト殿より、証言内容の信憑性についての確認が成されております」

「以上で、現在の証言はすべて出揃いました」


進行官の冷静な声が、広間の空気をさらに重く沈ませる。

並んだ証言はどれも、ノエリアに不利なものばかり――もはや、形勢は揺るがない。


「被告、ノエリア・レストール」

進行官が彼女に視線を向け、事務的に問いを続けた。


「本件において、自らの潔白を示す証拠、または虚偽の告発を裏づける証言はありますか?」


沈黙が落ちる。ノエリアはほんの一瞬、視線を彷徨わせ、そっと唇を噛んだ。

そして、肩を落としながら答える。


「……いいえ。用意できてはおりません。……ですが…無実です……」


その声は、広い審問の間に吸い込まれるようにかすれて消えていった。


王は何も言わず、ただ静かに彼女を見つめていた。

記録官席のリディアもまた、表情ひとつ変えぬまま、淡々とペンを走らせ続けていた。

ここまで読んでくださってありがとうございます!

誰か一人でも、この物語に興味を持っていただけたら嬉しいです。


ゆっくりの更新になるかもしれませんが……今はこの世界を書いていくのが本当に楽しくて、もしかしたら毎日更新しちゃうかもです!

そんな気持ちで、ひとつひとつ丁寧に綴っていきます。

これからも、どうぞよろしくお願いします!

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