真なる救いの与え主
翌日。目的の村に向けて馬を走らせている一同。村は既に見える距離にあった。レオナルドとジャンが並び、先陣を切る。
「あの村にテオドールが……」
カーラが鋭い目つきで呟いた。
「カーラ、殺気立ってるわね」
「当然よ! ネクロマンシーは一瞬でも『合意』したら終わりなの。あんたも気持ちで負けちゃだめよ!」
いくつかの家からは煙が立ち上り、小屋の風車はゆっくりと動いている。一見のどかな様子であるが、しかし、その村にはどこか異様な雰囲気が漂っていた。
「レオナルド、あれを見ろ!」
「待て、速度を落とすぞ!」
先頭の二人が何かに気づいた。広場に人が集まっている。その人々と向かい合うように立っているのは、深紅のローブを身に纏う老齢の男――テオドールだ。
「よし、ここからは歩いていこう」
スタンレーの言葉に従い、一同は村の入口付近で馬を降りた。そしてゆっくりと広場へ近づく。
「私はただ、誰にも苦しんでほしくないだけなのだ。考えたいときに考えたいことだけを考え、常に幸せな夢を見続けていれば、辛い労働にも耐えられる。私は純粋に、全ての人間の『生きる』という苦しみを、溶かしてやりたい。その一心で存在しているのだよ」
テオドールは既に村人たちとの接触を始めていた。彼は優しく、そして言葉巧みに村人たちに語りかけ、ネクロマンシーの恐ろしさを隠しながら、その魅力をアピールしていた。
「そこの男、テオドールだな!」
ジャンが大声で言うと、村人たちが一斉にこちらを見る。テオドールは相変わらず、絵画から抜け出てきたかのような不気味な空気に包まれているが、村人たちは警戒を解いていた。既にテオドールの言葉に心を奪われ始めているようだ。
「おお、待っていたよ、君たち」
自然と村人たちの波が割れる。村人たちがざわつく中を通り抜け、一同はテオドールの前へと出る。
「我々はアストリア王国のヴェリタス王の命でここへ来た。魔術師テオドール、人々の心を操る行為を直ちに中止し、立ち去れ」
ジャンが高らかに宣言した。ただし、武器は構えない。戦闘になれば勝てる確率は低く、また、村人たちが戦闘に巻き込まれてばかりの人生に絶望することで、ネクロマンシーの契約に合意してしまう恐れがあるからだ。
「君たちは誤解しているようだ。操るなどとんでもない。私は彼らに拒絶されれば、即座に立ち去るつもりだった。だが、彼らは私が滞在することを、話をすることを受け入れてくれた。だからここに居るのだよ」
テオドールの口調は極めて穏やかであった。しかし一同は、その穏やかな口調の裏に潜む闇を確かに感じていた。
「この世は不平等で、苦しみと絶望に満ちている。そう思うだろう? 産まれた時は誰もが喜び、笑ってくれる。まるで主役のように扱ってくれる。だが――」
静まり返った広場に、少しかすれた声が響く。
「それで? 我々は一体何者になれる? 我々は一体、何者になったつもりで生きている?」
その言葉が耳に入った瞬間、カサンドラの眼が揺れ動いた。彼女は自身の運命、そして生きる意味について、これまで何度も自問自答してきた。テオドールの言葉は、その心を見透かしているかのようだった。
「産まれた瞬間から、何ひとつ思い通りにならない。いつも何かを我慢して、自分の気持ちに嘘をついている」
思わず言葉を失い、聞き入ってしまう一同。
「そもそも、この世に我々のために創られたものなど何ひとつ存在しない。何を願おうと、どれだけ努力しようと、完全に叶うことなどない。この世に本当の幸せなど存在しない」
「そ、そんなこと、ないわ!」
カサンドラが絞り出すように言った。
「確かに苦しいこともあるわ。でも、諦めずに努力して、そうして叶うことも沢山ある」
「そうだ。喜びも悲しみも経験し、人間として成長していく。その過程の先にこそ、本当の希望や幸せがあるんだ」
スタンレーがカサンドラを援護するように述べた。だが。
「『成長』とは、所詮は目的を達成するための手段のひとつだよ。本当の望みはこうだろう。何の不安も苦労もなく、労働もせず、遊んで暮らしたい。永遠に幸せに生きていたい。もう誰にも、死なないでほしい。神はその人類共通の願いを叶えることができていない。だが、私にはできる」
テオドールの言葉が、カサンドラたちの心を揺さぶろうとする。
「いいや、それはおかしい。俺たちが戦ってきた不死者は皆、意思を持っていない様子だった。意思がないのに、どのように幸せになるんだ」
「ああ、それは、望まないことに協力してもらうときだけだよ。本人が望むことをやるときは意思が戻る。本当は私も戦争などさせたくはないんだが……今の私はイザヴェルの支配下にあるからね。彼らに武器を持たせず、単純な攻撃しかさせないのも、そういう理由だ」
作戦どおり、スタンレーとカサンドラが問答を続ける。他の四名は警戒を解かずに黙ってその様子を見ている。
「納得できないわ。人間は自由に考え、行動できる。だから人間なのよ。ネクロマンシーはその自由を、人間の尊厳を奪ってる!」
二人はひたすら、テオドールの話の矛盾点を指摘する形で攻める。
「残念だが、そもそも、この世に自由な意思などないよ。生きる者は皆、法や運命という名の鎖に縛られている。『男だから、女だから』『働かないなんて、結婚しないなんて』……自分で考えているようで、その意思や感情は全て、いつかどこかで周囲から植え付けられたものに過ぎない。だが、私の魔法なら、その鎖を断ち切ることができる」
一同は、テオドールの言葉に動揺していた。彼の言葉には嘘偽りがなく、真に博愛と慈悲を体現しているように思えたからだ。
「私は君たちの意思を奪うとは一言も言っていないよ。むしろ逆だ。何を考えてもいい、何をしてもいい、君たちの心を、魂を、その鎖から解放してあげたい。永遠の安らぎを与えたい」
ついに、一同は返す言葉を失った。しかしテオドールを拒絶するその気持ちだけは、最期まで手放さなかった。
「ふむ……実に強い意志だ。君たちはあくまで、この村の人々がネクロマンシーに合意するのを止めたいようだね。ならば、こうしよう」
テオドールは村人たちの方に視線を向け、宣言した。
「明日の正午、それまで私は待つ。今日一日考えて、そしてネクロマンシーに合意してくれる者は、またここへ集まってくれ。当然、それまでの間、私は一切の攻撃的行為を行わない」
そう言って、テオドールは瞑想するように座り込み、動かなくなった。村人たちはしばらくざわついていたが、次第にそれぞれの仕事に戻っていった。