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カサンドラという女の人生

 数年前、カサンドラはまだ故郷で父と共に暮らしていた。それなりに良い家で、それなりに良い食事をとれる。カサンドラにとっては、特に不自由のない十分な生活だった。


「カサンドラよ、私は心配だ」


 二人が食事を終え、テーブルを片付けている時、カサンドラの父がふいに言った。彼は、カサンドラが結婚しようとしないことに不満と不安を感じていた。


「お父さん、またその話?」

「当然だ。母さんが亡くなって、私もいつまで生きていられるか分からない。それに、慣例とはいえ女に私の仕事を手伝わせるのは……」


 カサンドラの父はインクイジターであった。魔女の疑いのあるものを拷問し、魔法を使う瞬間を捉えるなどして、裁判所に引き渡す。つまり、魔女狩りの仕事だ。そしてこの国には、未婚の子供は親の仕事を手伝って生きるべきである、という慣例があった。


「私には無理よ。この能力が失われるかもしれないし――」

「かまうものか。未来は神が与えるものであり、逆らうべきものではないんだから、先に知る必要はない。それに私は、お前には普通の女として、普通に幸せになってほしいんだよ」


 カサンドラの父は複雑な表情を浮かべていた。彼は、娘の能力を尊重するつもりではいる。しかし同時に、その能力がもたらす危険性を恐れているようであった。また、カサンドラ自身も、この能力のせいで心の奥底に少なからず闇を孕んでいると、そう感じているのは事実だった。


「幸せにはなりたいわよ。でも、お母さんを殺した、あの男の顔が、やっぱり忘れられない――」


 カサンドラは少しだけ嘘をついた。こう言えば父が引き下がることを知っているからだ。


「はぁ……もう少しだけ待とう。お前の苦しみも分かるさ。だが、私の、父としての苦しみも考えてみてくれ」


 その日の深夜、カサンドラはまだベッドに横たわったまま、ぼんやりとしていた。目を閉じると過去の様々な出来事が駆け巡って、寝付けなかったのだ。彼女は母親の形見のバングルをそっと撫でる。


「私も、お父さんみたいな勇ましい顔に産まれたかった」


 幼い頃に口にした言葉をなんとなく呟いて、カサンドラの意識は眠りに落ちた。


     *   *   *


 ある日。カサンドラの家に忍び込んだ者が居た。その者の名はカーラ。魔女だ。この魔女は壁をすり抜ける魔法を使い、いろいろな家に忍び込んでは飲み食いをして、すぐにどこかへ隠れて、そうして生き延びていた。


「来たぞ、魔女だ!」

「きゃっ!」


 それはカーラにとっては不運だった。カサンドラは、カーラが家に忍び込むことを予知していたのだ。カサンドラの能力を知る彼女の父は、仲間たちにうまく伝えておき、ここで待ち伏せをさせていた。


「くそっ、人間ふぜいが……」

「はは、お手柄ですね、アルバートさん!」

「とんでもない。娘が異変に気づいてくれたからだよ。カサンドラよ、よくやった」


 魔女カーラは、アルバートという男が娘と呼んだその女の顔を、貫くような目つきで焼き付けていた。そしてこの日から、カーラに対する拷問が始まる。しかし――


「追え、逃がすな!」


 数日後、収容されている魔女たちが一斉に脱獄するという事件が発生した。当然のことだ。カーラは壁をすり抜ける魔法に相当の適性があり、呪文や動作を必要としない。数日おとなしく過ごし、看守たちの警戒心が緩んだ頃に脱獄する、というのがいつもの手口だった。


「お父さん! お父さん!」


 看守たちが騒がしく走り回る中、カサンドラは天井とシャンデリアが崩れ落ちてできた瓦礫の山に向かって、そう叫んでいた。よく見ると、カサンドラの父――アルバートの頭部だけがその山から出ていた。


「ごめんなさい! 私が、未来なんて変えようとしたから……」

「カサ、ンドラ。お前は、幸せになろうとして、行動したんだろう? なら、謝るな」

「でも、でも――」


 言葉を見つけられないカサンドラに対し、アルバートは血を吐きながら、ゆっくりと語る。


「私は正しいと、思うことをして、生きてきた。だから、お前も、正しいと思うことをして、生きていきなさい。お前は何も、間違えて、いないよ」


 その時だった。


「あら、カサンドラじゃない。何日ぶりかしらね」

「あっ」


 一瞬、カサンドラの呼吸が止まる。彼女の目の前に、自身が検挙した魔女、カーラが現れたのだ。


「透視の魔女はあんたのことを『哀れな子だ』なんて話してたけど、どっちにしてもあんたは重罪よね? あたし、知ってるのよ?」


 カーラがカサンドラに近づき、耳打ちする。カサンドラの表情が青ざめた。カサンドラは魔女狩りに加担したことに罪悪感を覚え、魔女たちにちょっとした『手助け』をしてしまったのだ。


「おい、魔女、娘から離れろ」

「何、まだ生きていたの? 残念だけど、あんたの願いは叶わない」


 そう言って、カーラは呪文を唱え始める。


「オーゴン、ステンガス、ステンガス、オーゴン。悪魔の手よ、天の目を閉ざせ、永遠の結びを引き千切れ!」

「ぐうっ」


 カーラが両腕を広げると同時に、カサンドラが苦しそうに胸を押さえ、うずくまった。


「カサンドラ! おい、娘に、何を……」

「確かこの国では、魔法に『汚染』された者は国外追放になるのよね? あはは! いい気味ね! あんたが死んだ後、この子は家も財産も失い、浮浪者のように野垂れ死ぬのよ!」


 ガラッ。その時、カサンドラのちょうど頭上にあたる天井が崩れ落ちてきた。カサンドラはそれに気づいたが、得体の知れない苦しみに、身動きが取れない。このまま落下してくれば、間違いなく彼女は死ぬだろう。


「ああ……」


 彼女は、このまま死ぬことを受け入れるかのように目を閉じる。カーラはその様子を黙って見ていた。しかし。


「きゃっ」


 カーラが突然、カサンドラに手のひらを向ける。ぶわっ。突風が生じ、動けない状態のカサンドラを吹き飛ばした。カーラの指先から、少量の血液が飛び散るのが見えた。インクイジターによって爪を剥がされたのだ。


「ど、どうして……?」

「ふん」


 カーラは質問を無視した。


「……じゃあね、カサンドラ。もしお互い生きていたら、また会いましょう?」


 そう言い残すと、カーラは床をすり抜け、どこかへ消えた。この場に残るのは、いまだ苦しんでいるカサンドラと、もはや虫の息のアルバート。


「神よ、どうか、カサンドラに幸せを、与え――」


 彼は最後の力を振り絞り、祈りを捧げる。だが、彼の最後の言葉は、もはや誰の耳にも届かなかった。

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