王たるものの器
アストリア王国、王の間。カサンドラ、スタンレー、そしてカーラは、ヴェリタスの前で跪拝している。
「申し訳ございません。わたくしが居ながら、太陽の索引を破壊されてしまいました」
「うむ。確かに残念だが……まあよい。仕方のないことだ。むしろテオドールと遭遇して、無事に済んだことを喜ぶべきだろう。君たちが生きてさえいれば、希望はある」
ヴェリタスは報告が記された羊皮紙とスタンレーたちの方を見て、少しだけ眉尻を下げた。だがそこにスタンレーたちに対する失望の意は含まれていないようだ。
「そして、そこに居るのが遺跡内で保護したという女性だね。カーラというのか、顔をよく見せてくれないか」
「はい、陛下」
カーラがゆっくりと顔を上げる。ヴェリタスはカーラの目をひたと見つめて、言った。
「君は――魔女だね」
「は、はい。おっしゃるとおり、魔女で、ございます」
カーラは肩に力を入れ、消え入りそうな声でそう答えた。彼女はこれまで、魔女であることを隠しながら生きてきた。故郷を追われ、命を狙われ、孤独と恐怖に怯えながら。ゆえに、『魔女』という単語を聞くだけで命の危険を感じてしまうのだ。
「カーラよ。よく生きていてくれたね」
「えっ?」
ヴェリタスの言葉に、きょとんとした顔をするカーラ。
「君の苦労は、私のような者には理解しきれないだろう。だが安心してくれ。このアストリア王国に、君を苦しませるものなど存在しない。なぜなら、民も、魔女も、王も、全て役割が違うだけの人間だからだ」
ヴェリタスは報告の記された羊皮紙を元通りに丸める。その手つきにはどこか慈しみのようなものがあった。ヴェリタスはいつものように穏やかな笑みを浮かべ、続ける。
「私は君に、魔女としての役割を期待したい。当然、君のことは徹底して保護する。例えば、兵たちには『カサンドラの旧友の占星術師が来た』とでも発表しよう。そしてこの闘いが終わった際には、スタンレー、カサンドラと同様、ルミナリア半島に家をあげよう。どうかね?」
ヴェリタスの、その一点の曇りもない眼差しを見て、カーラは気づけば再び頭を垂れていた。
「この上ないお心遣い、本当にありがとうございます。陛下、あたしは陛下のために全身全霊で闘うことを誓います」
「よろしい。では早速、君の泊まる部屋を用意させよう。まずはゆっくり休みなさい。スタンレー、カサンドラ。もちろん君たちもだ。続きは後日としよう」
そうして、王の間を出た三人。雲ひとつない蒼天、艶やかに茂る草木。暖かな空気に包まれて呆然とした様子のカーラを見て、カサンドラとスタンレーは微笑んだ。
「カーラ、私の言ったとおりだったでしょう?」
「ええ……正直、まだ実感が湧かないわ」
「はは、うまくいき過ぎて不安なんだろう。だが何もおかしいことではない。今までは周囲の環境のせいで悪人に仕立て上げられていただけで、君は何も間違えていないんだからな」
「な、何よ、何も知らないくせに……」
カーラはスタンレーのことを、恥ずかしそうに睨んだ。カサンドラとスタンレーはまた微笑んだ。
「あ、皆さん、こんにちは!」
中性的な声を発しながら駆け寄ってくる、特に小柄な兵士。
「おう、ピエール。今日は訓練の日か?」
「はい、今日は騎士館にアルフレッド様がいらしてるんです! スタンレー様はまだ会ったことないですよね?」
「そうだな。一度顔を合わせておきたい。後で行くとしよう」
「ふふっ、ピエールは今日もご機嫌ね」
カサンドラがそう言うと、ピエールははにかんだ。ピエールの髪が、太陽の光を受けて黄金色に輝いている。
「あ、それと、カーラ様……でしたよね? お体は大丈夫ですか?」
「えっ、あたし? ええ、大丈夫よ。ありがとう」
「まさかあんな所で、しかもカサンドラ様のご友人だなんて、びっくりでした! 落ち着いたらぜひ、お話を聞かせてくださいね!」
ピエールは話もほどほどに、敬礼をして去っていった。ただでさえ小さな姿が、遠ざかるにつれて小さくなってゆく。その様子はまるで幼子のようで、少し愉快だった。
「では、俺は騎士館に顔を出してくる」
そう言って、スタンレーはピエールの後に続いた。
「私たちは客室へ向かいましょう。そろそろ部屋の準備ができるはずよ」
「そうね。ところで、あの可愛い子、あんたのことが好きみたいね? あんたのことを見る時だけ目の色が違ってたわよ?」
「そうなのよ、どうしましょう」
「なにが『どうしましょう』よ! まんざらでもない顔しちゃって! さっさとくっつきなさい!」
カーラの黄色い声が辺りに響いた。二人はゆっくりと歩き始める。菜園で育てられている作物が、いつもより青々として見えた。
* * *
数日後の夜。カーラは用意された部屋で、窓の外を見つめていた。静かな夜空には無数の星が輝いている。カーラは、ほんのりと漂う、眠ろうとする草木の香りを肺に満たすように、深く息を吸った。今までにない、そしてこれからも決してないだろうと諦めていた、心からの安息。しかし、その美しい時間の中で、カーラは一抹の不安を拭い切れずにいた。
「まさかイザヴェルが魔女で、しかもネクロマンシーに適性があったなんて。一体何を考えてるの……あっ」
カーラは思い出したように、あるものを取り出す。それはパピルスに挟まれた土だった。これはテオドールと遭遇した遺跡、ソリス・ネミスのものである。
「やっぱり。パピルスに『痕跡』が染み込んでる」
土を窓から捨て、パピルスに息を吹きかけるカーラ。そしてあらかじめ拾っておいた幾つかの小石を、床に円形になるように並べると、その中央にパピルスを置き、小声で呪文を唱え始めた。
「ヴェスティギア、セクヴェレ――きゃあっ!」
ぱんっ。銃を撃つような破裂音と共に、全ての小石が砕け散った。そして――
「誰か――視ているな――」
次の瞬間、パピルスがあった場所にはテオドールが居た。しかしその姿は黒い霧のようになっていて、その存在はおぼろげだ。
「まあよい。君が優れた魔術師ならば、近いうちに会えるだろう。安心したまえ、私が望むのは話し合いだ――」
「カーラ!」
「大丈夫か!」
「カーラ様、どうされましたか!」
カサンドラとスタンレーが、衛兵と共に勢いよく扉を開けて入ってきた。だがその時には、既にテオドールは消え失せていた。
「……あたしは大丈夫。でも、陛下に知らせなくちゃ」