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地震予知

 私の一番最初の記憶は、地震で慌てる父の姿だった。震源地からは離れているが、泥炭地のため余計に揺れる土地だった。家には赤ちゃんがいて、父は幼児の私をねこ(一輪車)に乗せたまま、家まで走った。



 小学校の図書室で、F.ポール & J.ウイリアムスン「海底の地震都市」を読んだ。あかね書房/少年少女世界SF全集の一冊である。電気を通すと深海の圧力に耐える膜「イーデナイト」により深海にドーム都市が建設可能になった世界、一つの深海都市(ナンセイショトウ)が地震で壊滅したことをきっかけに地震予知が実用化された世界である。しかし大地震が来ることが予知されても住民の避難が間に合わなくなった状況で、小さな人工地震で大地震を発生させないようにする、という話である。その前に小松左京の「日本沈没」が映画とテレビドラマになっていて、日本沈没の小説は読まなかったけど、地震予知について書かれた啓蒙書みたいのは読んでいた。プレートテクトニクスとか相模トラフ巨大地震(関東大震災(クラス))の「69年周期説(河角廣(かわすみひろし)、1964年)」などはこれらで知った。

 多分そんなバックグラウンドがあったから、前回の地震の本も読んだのだと思う。


 「海底の地震都市」では微小な地震や地殻変動、岩石の電気抵抗の変化などのデータから地震を予知していたと思う。地下からの熱量や重力の変化もあっただろうか。物語中では、主人公の海底艦隊士官候補生が、得られたデータからは予知できなかった小規模の地震を同僚だけが予知していたことに疑問を持つ場面から始まっている。その地震は水爆を利用して起こされた人工(人為的な)地震であることが発覚して、というところから物語が転がって、人工地震による「減災」が語られる。


 ただし、上記の方法では現在でも地震予知は成されていない。唯一、火山の噴火を「予知した」とされるのが2000年の有珠山噴火(北海道)であった。

 有珠山は当時、30年〜50年おきに8回の噴火観測記録があり、噴火直前に火山性地震が発生することが知られていた「行儀の良い」火山であった。2000年3月27日に地震が始まり、30日に露出した断層・地割れが発見され、31日13時07分に噴火した。28日00時50分に室蘭地方気象台が臨時火山情報を発出、11時に北海道大学有珠火山観測所の岡田教授が麓の壮瞥(そうべつ)町役場で「噴火の前兆は始まっている」と会見、気象庁地震予知連絡会の会見などを参考に地元3町村が一部地域に自主避難を呼び掛け、400人が避難した。29日午後には洞爺湖畔の洞爺協会病院が入院していた全患者(約200人)を被害予想地域外に避難させた。同日18時15分には岡田教授が「一両日中に噴火する可能性が高い」と会見、3町村が避難勧告、18時30分に避難指示、9500人が避難した。30日15時20分には虻田(あぶた)町海側地区(約1,900人)に避難指示。JR北海道は函館発札幌行きの特急列車を長万部で運転打ち切り、洞爺駅からの避難列車に転用した。そして31日に噴火(前回噴火1977年8月から22年7ヶ月ぶり)、住宅被害は全半壊451戸、被害金額103億円、最大16,000人が避難したが噴火による直接の死者は0人であった。



 地震の予知は2つの方法がある。

 1つは地震のシリーズごとに過去の記録から発生間隔を出して現時点でどれくらいのアレルギーが溜まっているか推測する方法(+ 微小地震の頻度変化を加味して)である。昨年(2024年)8月8日には、日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震を受けて「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」(8月8〜15日)が発出された。

 もう1つは直前の何らかの変化(微小地震や重力異常の変化、動物の異常行動、電磁波の伝搬異常など)から予測するものだが、オカルト扱いされることも多い。

 ただしどちらも、現在のところ成功していない(予知がなされていない)。長期的な地震発生確率の算出はされていて(これは予知とは認められない)、ハザードマップ作成や避難計画の事前作成が一部の地域で行われている。



 前回投稿で島村は「地震予知はできない」との立場であった。森谷は電磁波の伝搬異常で予知しようとしていた。同じ研究室、同じ講座で意見の相違があった。


 同じような対立は、関東地震(関東大震災、1923年。大正関東地震)の前にも見られている。1905年、東京帝国大学理学部地震学教室の今村明恒助教授は(みなみかんとうの)地震100年周期説を発表した。その中で「過去の江戸大地震よりも火災などで被害が増大し、10〜20万人の死者が出る可能性がある」と述べた。一方、上司である主任教授の大森房吉(地震計の開発者としても知られる)は、「過去の地震統計を根拠に地震予測をすることが、学問的に許されるか」「一般人に動揺を与える可能性がある、社会的な影響を考慮して発言すべきた」と述べた。のちに1923年9月1日に関東地震が起き、その被害の大きさから関東大震災と言われることとなった。死者10万5千人のうち実に9割が火災による死者であった。ただしこれは長期的予測の範疇であり、被害(死者)は予測と一致したが、地震の予知ではない。


 なお、69年周期説の予測期間内(1978年〜2004年)には関東地震のシリーズの大地震は起こらなかった。関東地方で起こる大地震には現在予想されている東京直下型地震を含むプレート内地震(マグニチュード6〜7(クラス))と相模トラフで起きる関東地震のシリーズのプレート間地震(マグニチュード8(クラス))の2つのシリーズがあり、前者は70〜80年、後者は約200年間隔であるとの主張(南関東地震活動期説)が提唱されているが、これも学会の定説にはなっていない。

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