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枯れ葉掃除

作者: さば缶

 老人は玄関の戸を開けた。

「今日はいい天気だな」


 表に出ると、地面いっぱいに枯れ葉が散らばっていた。

「さて、今年もこの時期がやってきたか。ちょっとは情緒を楽しみたいところだが、放っておくわけにもいかん」


 老人はほうきを手に取った。

「よいしょ。よいしょ……」


 風のない朝だったが、枯れ葉が一枚、ひらりと舞い上がった。

「おや。風もないのに勝手に動くとは、困ったもんだな」


 枯れ葉はひらひらと空中を漂ったあと、老人の頭上で止まった。

「……何だ。まるで俺を見下ろしてるようだぞ」


 不意に枯れ葉がきりりと鋭い音を立てながら回転しはじめた。

「危ないっ……」


 くるくる回る枯れ葉の縁が、まるでカッターの刃のようにきらめいた。

「まさか、本当に襲ってくる気か。だが、俺も昔取った杵柄ってやつがあるからな」


 老人は両足をやや広げ、ほうきを構えた。

「来いよ。枯れ葉だろうが侮れんようだが……俺の流儀は変わらん」


 枯れ葉が急加速して、老人の頬をかすめた。

「くっ……。早い。しかも痛いじゃないか」


 老人の頬にはうっすらと赤い線が入っていた。

「まさか葉っぱに切られるとはな。お前もやるじゃないか」


 そのとき、玄関先に散らばっていた他の枯れ葉もじわりと動き始めた。

「おいおい、一枚だけじゃないのか」


 複数の枯れ葉が集まって小さな渦をつくるように飛び回った。

「もしや、みんな俺を狙っているってわけか。だがな、こっちは毎年お前らを掃除して生きてるんだ。簡単に引き下がれんぞ」


 玄関先いっぱいの枯れ葉が、にわかに大きくうねり出す。

「いよいよ本気で来るのか。こりゃ厄介だが……受けて立つしかないな」



 そこへ、渦の中心からまばゆい光が生まれた。

「何だ……ただの枯れ葉じゃなかったのか。魔法か、妖術か、まったく派手だねぇ」


 光は女性の姿を形作った。髪を長く揺らし、柔らかな笑みを湛えている。

「私は枯れ葉の精。あなた、ちょっと頑固そうだけど……悪くないお顔してるじゃない。うふふ……」


 老人はほうきを握ったまま、一瞬だけ顔を強張らせた。

「お、おい。そんな色っぽいアプローチをしても、俺はそう簡単に心を乱されんぞ。婆さんを亡くしてから随分経つが、だからと言って……」


 枯れ葉の精はしなやかに身を寄せ、甘い声音を落とす。

「まあまあ。せっかく気持ちよく晴れた朝ですもの。仲良くしませんか。ほうきなんて置いて、私と……」


 老人はわずかに頬を赤らめ、鼻の下を伸ばしかけたが、すぐに首を横に振った。

「ふん。悪いが、俺はそんな誘惑に身をゆだねるわけにはいかん。ひとりで生きてきたからこそ、曲げないものがあるんだよ」


 枯れ葉の精は妖艶な笑みを消し、冷たく頷いた。

そのままスッと後ろに下がると、抱き寄せていた光がかき消されるように薄れた。

しんと静まった空気のなか、先ほどまでひしめいていた枯れ葉が一斉に舞い上がる。


 老人はその動きに合わせてほうきを構え直した。

「どうやら、ハニートラップは諦めたようだな。だが、ここからは黙って勝負を挑んでくるわけか……こっちだって望むところだ」



 枯れ葉は一切声を発しないまま、鋭い回転音だけを響かせて老人に襲いかかってくる。

老人はほうきを豪快に振り、迫る一団を左右へと薙ぎ払った。


「ちりぢりになりやがれ……!」


 空中で散らばった枯れ葉が、地面を転がりながら再び集まりはじめる。

「くそ……一度払ってもすぐにまとまるとは厄介だ」


 老人は素早く後退し、縁側の段差を蹴って飛び乗った。

「少し高いところから狙えば、まとめて叩き落せる。昔の剣道の稽古を思い出すぞ……」


 ほうきの柄を水平に構え、老人は大きく息を吸い込んだ。

「ここだ……!」


 枯れ葉の群れが突風のように荒れ狂い、勢いを増して上空へ持ち上がる。

「やるな。だが俺だって、このままやられはせんぞ」


 老人はほうきを振り上げ、素早く横へ大きくスイングした。

渦を巻く枯れ葉が一瞬で散り散りになり、庭先を舞い乱れる。


「……まだ終わりじゃないだろう。来いよ。何度でも叩き落としてやる」



 声なき枯れ葉は、またしても妖しくうごめき、人の形へと凝縮していく。

腕にあたる部分がねじれるように広がり、鋭い刃のような形状を作り出す。


「お前ら、だんだん本気になってきたな。だが、俺も気合を入れなきゃならん」


 老人はほうきを脇へ構え、深く腰を落とした。

両腕に力を込め、まるで剣術のように正眼にほうきをかまえる。


「どうだ、今の俺は若い頃の面影くらいは残っているかもな……」


 枯れ葉の人型は声を出さず、頭部にあたる部分を傾けるようにして老人を見据えた。

瞬間、足元からすくい上げるような攻撃が襲いかかる。

老人は紙一重で跳び退り、さらに頭上から振り下ろされる刃をかろうじてほうきで受け止めた。


「ぐっ……! なかなか重いじゃないか……」


 軋むほうきを必死に支えながら、老人は相手の動きを見極めようとする。

刃のような枯れ葉が左右から波状攻撃をしかけてくるが、老人は体を捌き、ほうきを器用に操っていく。


「まだまだ、衰えてはいないぞ……!」


 そう呟くや否や、老人は思い切りほうきを振り上げた。

枯れ葉の刃を弾き飛ばした勢いで、そのまま上段から一撃を叩き込む。


「決まれっ……!」


 鋭い衝撃が庭先に鳴り響き、枯れ葉の人型はぐしゃりと形を崩す。

が、完全に散ることなく、まだうごめいている。


「タフなやつらだ。だが、ここで弱音を吐いてたまるか……!」


 老人は一気に懐へ飛び込み、連続でほうきを振り下ろした。

地に落ちた葉がさらに砕け、小さく乱れながらあちこちに散っていく。


「これで終わりか……? まだ動くなら、やるぞ」



 気配を探るように辺りを警戒していた老人は、次第に胸の鼓動が落ち着いていくのを感じた。

重く荒々しかった空気が、徐々に和らぎはじめる。


「ふう……。限界だな。まさか落ち葉相手に、ここまで本気を出すとは思わなかった」


 ちらりと視線を落とすと、地面に散らばった枯れ葉の一部が、すうっと光を帯びて収束していく。

現れたのは先ほどの女性の姿。ハニートラップを仕掛けた美しい顔立ちが、弱々しく揺らいでいた。


「あなた……まさかここまでやるとは思ってなかったわ」


 老人は息を整え、ほうきを杖代わりにつきながら、その姿を見つめた。

「俺はただ、毎朝の日課をこなしているだけなんだがな。お前たちを倒すつもりもなかったんだ。けど、やらなきゃやられる、そういう勝負になっちまった以上は手を抜けん」


 枯れ葉の精は寂しそうにかすかな微笑みを浮かべていた。

その口元がほんの少し開きかけるものの、今は声にならないようだった。

そして瞳を細めながら、音もなく深く礼をする。


 老人は額の汗を拭い、静かに頷いた。

「……言わなくても伝わるさ。お前たちにだって誇りがある。戦ってわかったよ。お互い、つまらん理由で争ってるんじゃないってことがな」


 枯れ葉の精はかろうじて立ち上がり、ふわりと広がった長い髪をなびかせた。

彼女の周囲に散らばっていた枯れ葉が、ひっそりと音も立てずに集まってくる。

やがてそれらは、穏やかな風のように舞い、彼女を包むように宙へと溶けていった。



 老人はほうきを抱え、地面に残った葉を見下ろした。

「強かったな……。お前たちの静かな怒りも、どこか誇り高いもんだった。まさか掃除でここまで熱くなるとは思わなかったが……昔の血が騒いだよ」


 やがて朝の空気が緩み、優しい光が庭を照らし始める。

老人はもう一度、ぐるりと周囲を見回した。

見ると、声なき枯れ葉たちは再び地面に戻っており、そこにあるのはただ散らばった枯れ葉だけ。


「大したもんだ……。あれだけ大暴れしていたのに、今はひっそりしてる」


 老人は軽く肩を回し、くたびれたほうきを下ろした。

「ふう。さあ、まだ掃除は終わっちゃいない。今日はもう少し丁寧にやるか。お前たちみたいな強敵が相手なら、俺も鍛錬にはちょうどいい」


 ほうきを握り直し、穏やかな微笑みを浮かべたまま、老人は枯れ葉を少しずつ集め始める。

いつもの地味な日課のはずが、命がけの死闘となり、さらに妙な縁まで生まれた。

それでも老人は、かつて剣を振るってきた自分の人生を懐かしむように感じていた。


「ま……こういうのも悪くないか」


 言葉を漏らした瞬間、一枚だけ残っていた枯れ葉が、ふわりと風に乗って舞い上がった。

それは静かに老人の目の前を横切ると、さやさやと心地よい音を立てて地面に降りる。


「ほう……。またいずれ、勝負するつもりかな。いいだろう。その時はもっと身を軽くしておくぜ」


 そう呟き、老人は微笑んだまま、最後にその一枚を拾い上げる。

そして大切そうにそっと握りしめ、庭の隅へ運んで下ろした。


「強敵と書いて、友……か。こりゃちょっと気恥ずかしいが、悪い気はしないな」


 風がさわやかに吹き、散った葉がかすかな旋律のように舞い踊る。

老人はほうきを片手に、深い呼吸をしてから再び動き始めた。

いつもの掃除とはまるで違う疲れを感じながらも、どこか満ち足りた気分で、枯れ葉をかき集めていく。

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