変なカブトムシ
夏休みの始まった七月の下旬、僕は家の近くの公園に行った。
ビルに囲まれた街で暮らす僕にとって、この公園はオアシスのような場所だ。敷地の北側に雑木林のような場所があるのだが、常に日陰ができるので、夏でも比較的涼しくて快適なのだ。僕は暇な時、いつもここに涼みに来ている。
ここには無数の昆虫たちが暮らしている。外界と切り離されたこの場所には、独自の生態系が形成されている。ここは昆虫たちにとって、人間のためだけの人工物で覆われた町中より、はるかに過ごしやすい場所に違いない。言うなればここは、昆虫たちのための空間なわけだ。
僕は今日も雑木林をのんびりと歩き回り、木々を一本一本じっくりと観察して、珍しい昆虫を探していた。
少しそうしていると、角が小さくてさらに右に曲がっているカブトムシを見つけた。よく見るとこいつは角だけでなく胴体も小さく、前羽の色が淡くて柔らかく、且つ常に半開きのままになっていて、その隙間から後ろ羽が見えてしまっていた。後から知ったことだが、これは羽化不全と言いう状態で、土の中の何らかの障害物によって成長が妨げられることでこうなってしまうらしい。羽化不全の昆虫は多くの場合、生存競争で勝ち残れず、早くに淘汰されてしまうそうで、野生で羽化不全個体を見つけるのは稀なことらしい。
僕は初めて見る形のカブトムシに、興味津々だった。僕はこいつをチビ角と呼ぶことにした。
僕がこいつを見つけた時、こいつはか細い腕で木にしがみつき、一生懸命に樹液を舐めていた。きっとお腹が空いていたのだろう。邪魔するのは良くないと思い、僕は少し離れたところで、ただその様子を見守っていた。
少しすると、チビ角よりも大きな角を持ったカブトムシが樹液によってきた。色の濃い前羽がつやつやしていて、日光を反射して所々白く光っている。心做しか脚も太い気がする。こいつはデカ角と呼ぶことにした。デカ角はチビ角を見つけると、樹液を独り占めするために戦いを挑んだ。
勝者はもちろんデカ角の方だった。デカ角はチビ角を軽々と持ち上げ、容赦なく弾き飛ばした。チビ角の身体が軽かったせいか、かなり遠くまで飛ばされていたが、幸いにも柔らかい雑草の上に落下していた。デカ角は邪魔者がいなくなって満足したのか、優雅に樹液を舐め始めた。
樹液は一匹で舐めきれるほど少なくはなかった。どうせ一匹じゃ舐めきれないのに、わざわざチビ角を追い出すなんて、デカ角は変なカブトムシだなと思った。少しくらい分けてあげたって死ぬことはないだろうに。
僕は雑草の上でひっくり返っているチビ角の方に目を向けた。チビ角は身体を起こし、先程までいた木に戻ろうと羽をはためかせるが、不完全な羽では上手く飛べないようである。飛ぶことを諦めたチビ角は地面を這って戻ろうとするが、その弱々しい脚では到底たどり着けるとは思えない。
そんなチビ角を見て、何もせずにはいられなかった。僕は指で樹液を少しすくい取り、それをチビ角の方に差し出した。チビ角は最初は警戒して後退りしたが、僕に敵意がないことに気づいたのか、ゆっくりと樹液を舐め始めた。
その瞬間、僕の中に親心に近い庇護欲のようなものが芽生えた。僕は、チビ角を家に連れて帰って世話をすることにした。
家では、土や朽木を入れた透明なプラケースでチビ角を育てた。毎日ご飯をあげて、土を湿らせたりして、チビ角が元気でいられるように丁寧に世話をした。たまにチビ角をケースの外に出して、僕の腕に乗せてやると、よちよちと手の甲にまで這っていき、指の先を舐めた。指で樹液をあげたせいで、チビ角は僕のことを樹液の出る木だと勘違いしているようだった。僕はその度に指先に少量の昆虫ゼリーを乗せておいた。
お世話と並行して、僕はお父さんと一緒にインターネットで調べた情報を使い、チビ角の羽化不全の改善を試みた。その成果もあって、前羽の形が次第に整っていき、少しの距離ではあったが飛べるようになった。角が曲がっているせいで上手くバランスがとれず、不格好な飛び方にはなっていたが、それでもチビ角はケースから出る度に、嬉しそうに部屋中を飛び回るようになった。回数を重ねるうちに飛べる距離や時間も長くなっていった。ただ、飛び疲れると僕の指に戻って来ることは最期まで変わらなかった。
十月の下旬、外もだんだん肌寒くなってきた頃にチビ角は死んでしまった。成虫のカブトムシの寿命は二、三ヶ月程度らしいので、チビ角はカブトムシの中でも長生きした方だったようだ。僕のお世話の甲斐もあったのだろうか。そうだったら嬉しいのでそう思うことにした。
チビ角が死んだ時はとても悲しかったが、こんなにも長生きしてくれたことに感謝もしていた。世話の焼ける奴ではあったが、チビ角と過ごす時間はとても楽しかった。短い間だったが、チビ角は間違いなく僕の家族だった。
僕は庭の土を掘って、そこにチビ角を埋葬してお墓を作った。お墓には、お母さんと一緒に近所の花屋で買ってきた茶色のルドベキアをお供えしておいた。その花の花弁がチビ角の色にそっくりだったからだ。