日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ
「三屋清左衛門残日録」は、還暦目前の藤沢周平が定年後の生き方を考えていた頃の著作。用人という江戸での重職を辞し家督も譲った三屋清左衛門の国元での隠居暮らしを描写。
日記の題名を「残日録」としたが、嫁の里江に「今少しおにぎやかなお名前でもよかったのでは…」と言われ「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シの意味でな。残る日を数えようというわけではない」と応えた。
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登場人物の中で、特に印象に残るのは、植田与十郎。「むじな屋」という居酒屋で、鰊と大根の古漬けを食しながら旧交を温める様子 と 意気地ナシだと自覚しながらも友を罠に嵌めた仇が誰かを突き止め果敢に闘いを挑む姿勢 のアンバランスが面白い。
老いてなお未ダ遠キ道を目指す彼らの心意気に遠く及ばない自分を不甲斐なく思わないほどに枯れてしまった。
中風で倒れ右半身麻痺の不自由を味わいながらリハビリの苦しさを厭う大塚平八の姿も、身につまされる。
子供の頃からの友人である平八が中風で倒れ、見舞った清左衛門の心は沈んでいる。幸い命に別状なく話もできるが、右半身が麻痺して歩けないのに、平八は、家人に愚痴を零しながら日々過ごし、リハビリに努めようとはしない。
今も町奉行を続けている佐伯に呼び出されて料亭涌井に行った清左衛門は、平八のことを話す。佐伯は、「だから奴はダメなんだ」と、平八の努力を厭う生き方を詰る。
どこか過ぎ去った事ばかりに心をとらわれるようになっていた清左衛門は、中風で倒れた平八が歩く練習を始めているのを目撃し、いよいよ死ぬるその時まで、力を尽くして生き抜かねばならぬ、と平八に教えられた気がして、何か内側から力が沸いてくる。