人間を半分卒業した感じ
朝、小一時間、散歩した。腕を上げたり肩を回したり指の屈伸をしたりリハビリしながら歩いた。最近、自覚した衰えを再確認しつつ歩きながら、出来ることが半減した自分の姿を想像すると、半分人間を卒業した生物のような気がして、もう、いつ卒業してもいいか、と思ってしまう。
しかし、投げやりになれば碌でもない結果が待っていることは、何度も経験した。お迎えが来るまでは、諦めずに、半人間、四半人間、一割人間に甘んじようと思う(胃婁造設は「幽明境に留まらせる」術。断固拒否したい)。
公園の滑り台下のベンチで休んでいると、一人のボランティアが坂を下りてきてトングで空き缶や吸殻を拾ってビニール袋に入れ始めた。私は、彼に「どうもありがとうございます。」と声をかけて、そこを後にした。公園管理センターに着いたので、トイレに行き、再度、休憩した。頻尿症の年寄りにとって、トイレの場所は、それが分かってなければ散歩できないほどの重要事項なのだ。休憩室には、先客が三人居て、他愛ない会話をしていたが、それに加わらず、一息ついたら、そこから真っ直ぐ家に向かった。
家に着いて、シャワーを浴びたら、リハビリを済ませた達成感を味わった。