第7話 後ろは壁、前方にジオ。これは壁ドンというやつか!
私は今、とても機嫌の悪いジオから見下されている。それも壁とジオに挾まれ、威圧的に見下されている。
いわゆる、壁ドンというやつだ。
いったい何に怒っているのだろうか?
「さっきのヤツは誰だ?」
さっきの奴? 誰の事を言っているのだろう?
私はジオの言いたいことがわからず、首を傾げながら見上げる。
「さっきとは、いつのことだ?」
「少し前にイーリアと話していた奴だ」
少し前……私はジオの斜め背後から、こちらの様子を窺っている二人を見る。確かジオが来る直前に話をしていたのは、護衛のリオールだ。
「リオールだ」
「……違う。イーリアの手を握っていたヤツのことだ!」
「ん? ああ、レファーニ男爵子息と名乗っていたな」
「レファーニ……あの特に名産も無い領地の者か」
酷いな。確かに特産も無く、海も山も無く、ただ痩せた土地が広がっているだけのレファーニ男爵領だ。だから貧乏貴族といっていい。
「そんな者が俺のイーリアの手を握って、何を楽しそうに話していたのだ?」
楽しそう? 私は普通に受け答えしていただけだ。私の手を握っていたのは思わずという感じなのだろう。
「ジオ。そんなことより、私に見せたい物があると言っていたのではないのか?」
「そんなこと? 俺のイーリアの手を握って楽しそうにしていたのにか?」
笑っていない笑顔で、私を見下さないで欲しい。
はぁ、これはジオの勘違いだ。別に楽しそうにしていたわけではない。
今日は学園が休みの日なので、ジオが王城に遊びにくるといいと、誘ってくれたのだ。
最近、暖かくなってきたから、王城の庭の花が見頃になってきたのだろうかと、私は快く了承した。
午前中はジオも忙しくしているということなので、私は昼過ぎに王城に到着して、ジオに充てがわれた離宮に、護衛のアルベルトとリオールを伴って向かっていたのだった。
ん? 普通は侍女を伴って行くのではないのかって?
本当に幼い頃は私にも移動するときに侍女がついて来ることがあった。しかし、いつの間にか護衛二人と共に行動することが、常となってしまったのだ。
だから、これが私の普通なのだ。
ジオに充てがわれた離宮に赴くには、いくつかのルートがある。
一つは馬車に乗ったまま王城の敷地内を移動し、離宮にたどり着くルート。これは馬車が通れる道を行くため、かなり大回りして行くことになる。
もう一つは王城の庭をズバッと通り抜けるルートだ。これは最短距離なのだが、護衛の二人から庭ルートは禁止されてしまった。
別にいいじゃないか。整えられた歩道ではなくて、林になっているような場所でも、怪しい地下に続く扉の中を探検したあとに行っても、誰かが逢引しているのをぐふぐふと観察してから行っても、いいじゃないか。
まさか王弟があの夫人と不倫だなんてっというスキャンダルを、こっそり王妃様にチクったら、次からは護衛二人に庭ルートを禁止されてしまった。
最後のルートは、王城の中を通って、離宮に繋がる渡り廊下を通って行く方法だ。庭ルートを禁止されてからは、王城の中を通り抜けるルートを通ることになっている。
私はいつものように、王城の一階の人々が行き交う中、普通に歩いていた。城に勤めている使用人の人たちは、私がジオの婚約者だということはわかっているので、壁際に寄って頭を下げている。
そこに後ろから私を呼び止める声があった。
「サルヴァール公爵令嬢様!」
「……」
無視だ。この声には聞き覚えがないので、私の知り合いではない。公爵令嬢である私を呼び止められる存在はそこまで多くはない。
王族の方々か、同じ爵位であるいずれかの公爵家の方々かになる。だから、私を呼び止められる者ではない。
もちろん、各家の当主は別だが、ただの公爵令嬢に私的な用なんてあるはずもないので、声をかけられることはない。
とは建前として説明しておくが、このように私を見かけたからと言って呼び止める輩は、大抵ろくな者がいない。
『神託をして欲しい』だとか、『好きな人との相性を見て欲しい』だとか、『自分を蹴落としたものに天誅を与えて欲しい』だとか、私には無理だということをいい加減に理解して欲しい。
私には神の声なんて聞こえないし、天誅って何! そんなものは無理だからね! ……という者たちが声をかけてくるのだ。
だから無視でいい。
「サルヴァール公爵令嬢様!」
しかし、今回の者もしつこかった。歩いている私の前に回って、行く手の邪魔をしてくる。
「少しだけお話をさせてください。サルヴァール公爵令嬢様」
金髪のひょろいと言っていい青年が、メガネの奥の鳶色の瞳を私に向けて、立ちはだかったのだ。
突然現れた青年の姿に、護衛のアルベルトが私の前に出て、青年から私の身を隠すように移動する。こういうときは、きちんと護衛の仕事はしてくれる。
「あ……突然、引き止めてしまい申し訳ございません。私はレファーニ男爵が第一子。ヒューレットと申します」
自分がかなり無礼なことをしていると理解したのだろう。私を引き止めたあとに、勝手に名乗りだした。
うん。それもマナー違反だ。せめて私が誰かと尋ねてからにして欲しい。
「ヒューレットと申す者。己の立場をわきまえて、ここから去れ。でなければ、力尽くで排除する」
アルベルトは腰に佩いている剣に手を添えながら、威圧的に青年を脅した。
こういう輩の対処も慣れたものだ。言葉で引かなければ、暴力の沙汰になると脅している。
そのアルベルトの脅しに、レファーニ男爵子息は両手を顔のところまで上げて、敵意はないことをアピールしはじめた。
いや、君が取るべき行動は、ここから去ることだ。
うーん? 歳はそこまで変わらなそう。しかし、王城にいるということは、学生ではなく、王城に勤めている文官なのだろう。使用人の衣服とは違い、上品なスーツと言いたいが、少々くたびれている感がある。それにサイズが合っていないので、誰かのお古を着ているように見える。
「あ……申し訳ございません! 一言お礼だけ言わせてください!」
お礼? いや、初めて会う人からお礼なんて言われる筋合いはない。
「サルヴァール公爵令嬢様! 貴女のお陰で、妹の命が助かりました! ありがとうございます!」
……声が大きい。このフロアー全体に響いているじゃないか。
それから、見ず知らずの人の妹を助けた記憶なんてない。
アルベルトは去れと言っているにも関わらず、勝手に話しだした相手に向って剣を抜き出す。
ここで殺人は駄目だ。相手が襲って来た場合は別だが、ただの公爵令嬢の護衛が王城を血で汚すのはよろしくない。これは脅しのパフォーマンスだ。
「この冬にサルヴァール公爵令嬢様が配ってくださった薬のおかげです!」
薬? ああ、薬草畑で実験として栽培していた希少種の薬草が大量に収穫できたので、魔女ごっこだと言って遊んでいたやつか。
何が希少種だ。少し環境を変えれば普通に栽培できるじゃないか! と、父に文句を言いながら出来上がった大量の薬を渡したな。あれは結局どう処理をしたかは聞いていなかった。
私は手に持っていた扇を広げ、口元にもってくる。
「ねぇ、リオール。あの薬ってどう処理をしたのかしら?」
「はい。お嬢様。あの特効薬は王家に献上されて、殿下がお嬢様の名前を出して、布教活動に使われ……貧しい者たちの治療に使うように国中に配られました」
「リオール。布教という怪しい言葉が聞こえましたが?」
「気の所為です。お嬢様」
気の所為ではないと思う。しかし今は問い詰めないでおこう。ひと目があるからな。
「アルベルト。剣を収めなさい。レファーニ男爵令息様。薬は毎年、猛いを奮う伝染病の死者を少しでも減らせればと思っただけですわ。お礼を言われるほどのことはしておりません」
実際、薬草が生えすぎて処理に困ったから、全部突っ込んでしまえと思っただけだ。大したことはしていない。
私の言葉にアルベルトは剣を収め、一歩横にずれた。私と男爵令息が、話ができるようにしてくれたが、私はそこまで話し込むつもりはない。
「しかし! しかし! 我がレファーニ男爵領は貧しく、薬を買う余裕が無いのが現状です!」
そうだろうね。一度領内を通り過ぎたことがあったけど、土地が痩せているから、作物が育たないし、そもそも川がないので、農業用のため池を作るべきだね。
まぁ、私が口を出すことじゃないけど。
「サリキエラ病は罹ると絶望的な病です! 薬はあるものの高価すぎて私達のような者には手が届きません! 私も妹が病に罹ったとわかったときは、妹の死が頭をよぎりました」
……あの、この話を私は聞かなければならないのだろうか。表面上は笑顔でいるものの、そろそろジオが遅いと迎えに来そうなのだけど。
「そんなときです! サルヴァール公爵令嬢様が特効薬を無料でお配りになっているという噂が耳に入ってきたのです!」
いや、私は配ってはいない。作ったあとは、父がどうにかするだろうと、投げつけただけだからね。
「お陰で妹の病は治りました!」
サリキエラ病は風邪の一種の病だ。これはその病の特性をわかっていれば、対処療法で完治する風邪。
この病は魔力の制御を阻害する物質を菌が毒素として出すのだ。これにより魔力の暴走が起こり、身体が耐えきれず、血を吹き出しながら死に至る病。
だから、病人に魔力を使わせればいいだけの話。とはいっても、これは初期症状で魔力の枯渇を促せば、菌が繁殖する栄養源である魔力が無くなり、菌が繁殖しなくなるというものだ。
因みにこれを発見したのは、私がそのサリキエラ病に罹ったときに、はしゃいでいたら治っていたということからだ。
まぁ、今は研究中らしいので、口外してはならないと、父に念を押された。が、恐らくこれは医師と薬師のモニョモニョがあるため、話すなということだと受け取った。
大人の世界は色んなモノが絡み合っているので、一筋縄ではいかないのが世の常というもの。致し方ない。
ということで、高額で庶民が手を出せないという薬の『高額』という部分から崩すことにした。
とある山にしか生息しないというアランカラエラという薬草を、一般栽培できるようにすれば、価格を抑えた薬ができるはずだと考えたのだ。
ふん! 何のこと無い。魔力を吸い取るという薬草は痩せている土地ではないと育たなかったのだ。
そんなこんなで、大量のアランカラエラの薬草の栽培に成功したのだ。それは全部を薬にするよね。
って、何故に私は男爵令息から扇を広げている手を握られているのだろう?
私が疑問に思っていると、横から素早く手が出てきて、男爵令息の手を叩き落とす。
「無礼者! お嬢様、大事はないでしょうか?」
リオールが手刀で男爵令息の手を叩き落としたのだ。アルベルト、本来なら君が動くべきだったな。
いや、まさか男爵令息が私の行く手を阻んだばかりか、近づいて手を握ってくるとは予想外過ぎた。
「リオール。もう良いわ」
リオールは男爵令息から握られた手を、ハンカチで拭いているが、それは意味がないと思う。もしかして、これはお前は汚いんだぜとわからせようとしている? リオール、王城に登城しているから、身なりは綺麗にしていると思う。
「お嬢様。このような者の話に付き合う必要はありません。このことは公爵様に伝えさせていただきます」
父にか? 私は別に構わない。私はにこにこと笑みを浮かべていただけなので、悪いことはしていないからな。
「レファーニ男爵家の者。お嬢様に対しての数々の無礼は、サルヴァール公爵家より正式に抗議をさせていただきます」
……そっちか! いや、そっちはヤバイ。レファーニ男爵家がお取り潰しになるか、目の前の男爵令息が廃嫡されるかのことになる。
貴族社会は身分に厳しい。
彼が行ったことは、かなり問題視されることだ。噂が出回ればレファーニ男爵家は潰されるだろう……はっ! ここには王城に勤める使用人の方々の目がある。既に終わっているかもしれない。
「イーリア。何をしているのかな?」
そこに私の名を呼ぶ者が現れた。視線を向けると、今日は制服ではない王子らしいきらびやかな衣服を身に着けたジオが、男爵子息の後ろに立っている。
笑顔でいるものの、その目は笑っていない。
ジオが現れたことでアルベルトとリオールがスッと私の背後に移動をした。これは別にジオが怖くて、私の後ろに隠れたという意味ではない。
これが彼らの定位置という意味だ。
「ジオ様。ごきげんよう」
私は何事も無かったかのように、ニコリと笑みを浮かべ、ドレスを少し持ち上げ、頭を下げる。
ひと目があるため、公爵令嬢と婚約者の第二王子という立場を明確化しているのだ。
サルヴァール公爵家にジオが来たときは、『今日は何する?』から始まるのだが、王城ではそんな態度は見せてはいけない。
「イーリア。あまりにも遅いので迎えにきましたよ」
ジオは、リオールに手を叩かれてから呆然としている男爵令息を、ひと睨みしてから私の方に近づいてきた。そして、私の右手を取って無言で歩き出す。
凄く怒っている。私の手首を掴んで、引っ張っている背中から、無言の圧力というものを感じる。
何か私は悪いことをしてしまったのだろうか?
離宮の渡り廊下に繋がる角を曲ったところで、ジオが立ち止まった。そして、私の腕が引っ張られ、背中に壁が当たり、私が逃げないようにか、両手を壁についたジオに見下されている。
いわゆる壁ドンというやつだ。
「さっきのヤツは誰だ?」
という感じで、冒頭の状態になったのだった。