第4話 心配性の婚約者
私は王族専用の控室で、あの時のことを反省している。あれは襲ってくる水竜を片手で捻り潰す、ヤバイヤツ認定されるべきだったと。
ああ、ここには居ない私の護衛の声の空耳が聞こえてきた。
『そういうことじゃない』
『相変わらず残念な感じですね』と。
今では彼らは、三十代のいいおっさんになっている。あれから十二年経っているからな。
私が一人反省会を開いていると、部屋の奥の扉が開きそこから、フルプレートアーマーを脱いだジオが現れた。
あれから十二年も経てば、背もぐんと伸びて、王妃様似の王子はキラキラ度がアップしている。
この学園ではとてもモテている……らしい。まぁ、学園指定の紺色の制服……大分カスタマイズされて原型はとどめていないが、似合っている。
私は見慣れてしまっているのと、酷く心配されるので、過保護な兄みたいな感覚になってしまっていた。
あれだな。幼い頃から婚約者でいると男女のドキドキ感より、家族的な感覚になってしまうのが、こういう制度の欠点でもあるな。いや、それが目的だからいいのか。
「イーリア!」
何か焦った感じで、ジオに駆け寄ってこられた。どうしたのだろうか?
「寝ていないと駄目じゃないか!」
私は長椅子の上で押し倒され、ジオの顔が近づいてきた。
……まつげ長いな。それにしても、なぜ押し倒されているのだ?
そしてコツンと、おでこにジオのおでこが当たる。
「……イーリアの体温が感じられない!」
「馬鹿か? さっきまで剣を振っていたジオの方が体温が高いに決まっているだろう?」
昔はお嬢様言葉を頑張っていたが、限界を感じた私は、王子をバカ呼ばわりするほど、無礼なヤツになっていた。
「ま……まさか! 水を被ったために、低体温症に!」
「いや、凍りつく池に落ちたわけじゃない。少し落ち着け」
このやり取りをしながらも、ジオは私のおでこから離れない。いい加減に離れて欲しい。
「殿下。節度をもった行動をしてくださいと、いつも言っていますよね」
ジオの侍従から苦言が出てきた。
この格好は、ジオからキスされているように見えてしまう。
因みに幾人かジオの侍従が居たものの、彼しか残らなかった。いや、元々ジオの護衛騎士だったザイルがジオの身の回りの世話をするのに一番適していたということだった。
「ザイル!」
ジオは侍従の名を呼んで、身を起こす。はぁ、やっと離れてくれた。そして私も身を起こす。
ジオは私の水竜に食われた偽装事件をきっかけに、本気で鍛えるようになり、見た目ではわからないが、かなり筋肉質だ。はっきり言って重い。
そして時々絞め殺されるのかと思うぐらいに、抱きつかれるので、鍛えるのもほどほどにしてほしい。
「あの聖女とか言う奴は誰だったか?」
聖女? そんな人がいるの?
「ベルメール男爵家からガリーペルラ侯爵家の養女になった方ですね」
「殺していいよな」
「駄目ですよ」
人殺しは駄目だ。誰か知らないけど、聖女というぐらいだから、魔力より聖力がとても多い人なのだろう。
「イーリアに敵意を持った時点で、始末するべきだ。それに聖女とか言ってもイーリアほど聖女にふさわしい者はいない」
「あ、そういうのは勘弁」
ん? 私に敵意ということは、さっきのレモン色の髪の女生徒か……あれ? でも校章が高位貴族を示すものじゃ無かったけど?
しかし、私に面倒なことを、やらそうとしないで欲しい。確かに母親の家系が聖女の家系らしいけど。
「はぁ。殿下、サルヴァール公爵令嬢は普通の令嬢と違うのは、誰もが認めておいでです。神の声を聞けるのは誰もできません」
いや、だから電波系令嬢じゃないと何度も否定しているのに! このザイルはジオと初めて会った時から居るから、そんなことは知っているはずなのに!
そのとき、この控室に扉をノックする音が響き渡った。
ジオに二回戦の再戦をするように説得するため、誰かが訪ねてきたのかな?
侍従のザイルが出入り口に向かっていく。
「聖女はやりたい人がやればいい」
「イーリアはそう言うと思っている。でも、イーリアは治癒魔術も完璧だし」
「ジオが騎士団長に挑んで行って、ボロボロにされたから、練習台にはよかった」
「結界術も完璧だし」
「ジオが修業だと言ってダンジョンに挑むから安全地帯の確保の訓練にはなった」
「浄化の魔術も国一番と言っていいだろう?」
「ジオがダンジョンマスターぶっ殺すと言って、グールや屍鬼やレイスが徘徊する上階の古城の中を突っ走るから、それは上手くもなる」
「……全部、俺のためだな」
「言い換えると、そうとも言える」
そうとも言えるが、これはジオの異常さを表していると言っても良かった。
無謀にも騎士たちをまとめ上げる騎士団長に立ち向かっていった理由が、自分に嘘を教えて、私を危険にさらしたからだ。
ジオの護衛を担当していた騎士たちが、ジオを止めて欲しいと私に言ってくるぐらいだった。
危険になった原因は花を摘んだジオ自身にあるのだが、それを説明してもジオは納得してくれなかった。
ダンジョン攻略も私を危険にさらしたところなど必要ないと、ダンジョンコアを探すためだった。そのとき、こいつ馬鹿過ぎると思ったけど、口には出さなかった。ダンジョンコアは恐らく地下ではなく、上の古城でダンジョンマスターが守っているのではないのだろうかと私は予想している。
極めつけが、上の古城にいるであろうダンジョンマスターを倒すことを宣言して、普通では倒しきれない屍鬼やレイスが徘徊する場所に挑んでいったのだ。
まぁ、結局ダンジョンマスターに遭遇することは無かったが。
「俺はイーリアに愛されているな」
「十二年間も婚約者しているからね」
なんだかんだと言って、今までの人生の殆どをジオと過ごしている。好きか嫌いかと聞かれれば、好きと答えるが、王子の婚約者という立場は、何かとやっかみごとが多いので、そこは嫌だと答える。
しかし学園に入ってからは、私の奇行とジオの心配性が周知の事実として広まってしまい、他の生徒から距離を取られている感が否めない。
学園と言っても授業なんて、あってないようなもの。言うなれば、社交場と言い換えられる。
いや、知識は大切だ。殿方は議題を挙げては話し合いの場を設けたり、遊戯を楽しんだり、学園内の安全な場所で狩りを楽しんだり……まぁ遊んでいる。そして令嬢たちは、一日中話に花を咲かせている。
ならば、学園がある必要がないと思うだろうが、これは上位貴族の話だ。下位の貴族の令息や令嬢はここで勉強をするのだ。これは家庭教師を雇うにはお金がかかるのが理由に挙げられる。それに文官になるにはこの学園を卒業していることが、最低条件だというのもある。
そして下位の貴族の令嬢はここで成績が良ければ、侍女として推薦が得られ、王城で働ける……らしい。あと、高位貴族の家で働ける推薦状がもらえる……らしい。このあたりは、私には関係が無いことなので、噂でしか知らない。
ただ、多くの令嬢は嫁ぎ先を探すことが、一番優先されていることは、私も知っている。
そんな学園の中、私が何をしているのかと言えば、好きにあれやこれやの実験をしている。いや、好き勝手に遊んでいる。
学園の一角に畑を作って、採れた野菜でその場でバーベキューをしたり(大抵ジオがどこからか魔獣の肉を持ってきてくれたときだ)、薬草畑で栽培した薬草を魔女ごっこだと言って大鍋で煮込みだしたり、闘技場を貸し切っていい魔術を考えてみたと言って、派手な爆音を鳴らしていたりしている。
それは他の人達から遠巻きに見られるだろう。
「お義姉様。お加減は如何ですか?」
私が結局なんだかんだと言って、ジオの婚約者をしているなと考えていると、先程この部屋の扉をノックした者が入ってきた。
「……フルプレートアーマーに姉と呼ばれたくはないな」
部屋に入ってきたのは、全身鎧に包まれた者だった。今日はアチラコチラに鎧をまとった者がいるが、できれば誰かわかる姿で来て欲しい。いや、サーコートの紋章でどこの誰かはわかるようにはなっている。
誰かはわかるが、フルプレートアーマーを着たまま来ないで欲しい。確かジオの試合の三つ後に二回戦を戦う予定だったはず。
もうすぐ出番だと思われる人物がここにいるのはおかしいだろう。
フルプレートアーマーはフルフェイスの部分を取って、私の方に顔を見せる。
黒髪に空のような青い目が印象的だが、その青い目が人殺しのように鋭い眼光を帯びている。
どこの血の者かわかる人物だ。
「シャル。もうすぐ試合のハズだよね。何故ここにいるのかな?」
私は私の体調を気遣う者に、ここに来た理由を尋ねる。このサルヴァール公爵家の紋が入ったサーコートを身にまとったシャルディーオ・サルヴァールにだ。
「お義姉様に出陣の挨拶に参りました」
「……ん?」
おかしな言葉が聞こえてきた。何? 出陣って?
今から試合に出るよアピールしたかっただけかな?
因みにこの私を姉と呼んだ者は、血の繋がった弟ではない。眼光の鋭さからわかるように父の家系の者で遠縁の者の子供を養子として引き取ったのだ。
これは私が父に説得に説得を重ね。耳元で後妻を娶るか、跡継ぎの養子を迎えるように、言い続けたのだ。
最初はジオが公爵として立つ予定なのに、何を言っているのだと反対されたが、優秀な人材は囲って置くべきだと説得し、私が七歳のときに五歳のシャルを養子に迎えたのだ。
私はこのことに勿論喜んだ。これで気兼ねなくジオとの婚約解消に持っていけると。
しかし、私の計画はすべて潰されてしまった。私の隣でニコニコと笑みを浮かべているジオルドにだ。
「殿下。今から義姉上を害した魔を屠ってきます」
また、よくわからない言い回しをしてきた。これはジオにおかしな洗脳教育をされた結果だ。
そうなる前に私はシャルに色々教えていたのに、かなり残念な感じになってしまった。
「わかった。完膚なきまでに叩きのめすといい」
「はい!」
ジオ。対戦相手を不必要にボコると反則負けになるって、知っているはずだよね。
シャル。君もルールは知っているはずだよね。
「お義姉様。神の声を聞く義姉上が羨ましいと浅ましい心を持った貴族が、偽物を用意したようですが、義姉上の代わりになどなりはしないものを」
「電波系じゃないからって、いつも言っているよね!」
私は一度も神の声が聞こえただなんて言ったことは無いのに! 何故に電波系で定着してしまったのか。未だに謎だ。
「お義姉様。わかっています。神の声は簡単には言い表せないことなど。しかし、義姉上に言いがかりをつけるばかりか、頭から水を掛けるなど言語道断! 公爵家に牙を向けるのと同意義! 男爵令嬢如きなど地獄に叩き落としてきます!」
「は?……ちょっと待って、出場者は控室から出られないのに、何故シャルがその話を知っている?」
「お義姉様の護衛が笑いながら教えてくれました。今日は珍しく義父上も観に来てくださっているので、一撃で仕留めてみせます」
「え? お父様が……それは珍しいけど、シャルは試合に出るのよね?」
先程からシャルの言動がおかしすぎる。どこから男爵令嬢が出てきたのだろう? 女生徒は基本的に剣術の授業は無い。選択は出来なくもないけど、それは女性王族の護衛騎士希望という特殊な職を目指す人ぐらいだ。
それに何を一撃で仕留めるのか聞いていいかな?
「では行ってまいります!」
よくわからないことを言って、この控室から出ていこうとするシャルを引き止める。
「シャル! 待ちなさい! 何を一撃で仕留めるの! 試合に出るのよね!」
「お義姉様。義父上が観に来ていらっしゃいますので、勿論試合には出ますよ。ここはお義姉様を見習って、対戦相手に剣を弾かせて、敵に向けて剣を飛ばしてみせましょう! 大丈夫です! 一撃で仕留めてみせます!」
シャルは言いたことを言って、フルフェイスを被りながら、部屋を出ていった。ごめん。シャルの言いたいことが、理解出来なかった。
そもそも敵って何? 対戦相手に剣を弾かせるということは、対戦相手が敵ではないってことだよね?
「シャルは何と戦うつもりなのだろう?」
首を傾げて考えてみても、さっぱりわからない。
「サルヴァール公爵子息様はサルヴァール公爵令嬢様によく躾けられていますね」
侍従のザイルの言葉に私は首を振る。私はシャルを公爵にするために、色々な知識を与えようとしていた。
だが、その場にジオがいることが多く、ジオがシャルに何かと教えることが多くなっていった。そう……私が電波系だというおかしなことを教え、その頃からシャルが私を見る目が変わってきたのだ。
いや、だから電波系じゃないって何度も言っているし。
「サルヴァール公爵令嬢様がよく使う、自分が悪くない事故を故意的に引き起こすやり方を思いつくなんて」
「ザイル。わかっていても普通はそれを口には出さないよ」
「おかげで、殿下もずる賢くなりましたよ」
「ずる賢くなければ、こんなところ生き抜けないでしょ?」
素直な者ほど損をするのが、この社会だ。ずる賢く生きていく方が良いに決まっている。
ん?……ということはシャルは事故に見せかけて、誰かを暗殺しようとしている?
私は立ち上がって、控室から出ていこうとすると、手を引っ張られ引き止められてしまった。
「イーリア。どうしたの?」
何がどうしたの? だ。シャルが誰かを暗殺しようとしているのを止めなければならない。
いや、そもそもシャルは誰を殺そうしているのだ?
「シャルは誰を殺そうとしている?」
「それは決まっているだろう?」
「決まっていますね」
二人共心当たりがあるらしい。
「「ガリーペルラ侯爵令嬢だ」ですね」
さっきその名前を聞いたな。確かベルメール男爵令嬢が侯爵家の養女になったと言っていた聖女……。
「聖女を殺したら駄目じゃない!」
「いいと思う」
「いや、ジオ。良くない!」
すると侍従のザイルからとんでもない言葉が出てきた。
「今日は特別に使用人が学園内に入れますからね。その使用人を使って公爵様が伝えたのです。これはサルヴァール公爵の意志となれば、反対する者は誰もいません」
……使用人……私の護衛のことか。学園内の侍従と侍女の役目は、下位の貴族の令息や令嬢が担うことになっている。私には必要ないが。
だから私の護衛は学園内ではついていない。その護衛は父と共に今日は学園内に入って来ている。それもシャルに私に起こったことを伝えて立ち去った。基本的に使用人は勝手な行動はできない。となれば、父の命令で私のことをわざわざ弟に伝えたということになる。
これは……侯爵家の養子でしかない……名前知らないけど……ベルメール男爵令嬢が、サルヴァール公爵令嬢に歯向かってただですむと思っているのかという見せしめ!
くっ! ここで私が出しゃばれば、サルヴァール公爵の名が侮られてしまう。しかし、人殺しは良くない。フォローぐらいはしても良いはず。
「ジオ。私はシャルの応援に行ってきます」
私はしれっと本来の目的でないことを口にする。するとジオは私の手を握ったまま立ち上がった。
「そうだね。一緒に行こうか」