第2話 婚約者は第二王子だった
執事のもごもごと言いにくそうな説明に、父は黙ってしまった。私の母は私を産んだときに死んだらしい。元々は周りから反対されていた婚姻を、この父が強引に進めた結果だ。
反対されていた理由。それは魔力の差だ。
母は聖女の家系と言われているアンドレイアー伯爵家の令嬢だった。ということは、魔力よりも聖力の方が多い家系だ。
魔力の差が問題なのは、生まれてくる子供の魔力が多すぎると母体に負荷がかかり、死に至るというものだ。
これは使用人たちが噂話をしているのを聞いた。
父が私を放置しているのもこの辺りのことが関係していると考えているが、私にはよくわからない。
しかし、残念なほどに、私は父に似ている。漆黒の髪に、光を宿しているかのような金色の瞳。
近所のおばちゃんに、あら? ◯◯さん家の子ねと、言われるほど似ている。
「お父様。イーリアとお話しするお時間をくださいな。無いなら王都に向かう馬車の中で良いですわ」
背後から父の首に手を回して、耳元で話す言葉に、父は大きくため息を吐いたのだった。
「時々、神の声を聞く者が生まれてくるというものか」
……いや、私はそんな電波系じゃない。前世持ちもヤバイ系か。
そんなこんなで、ヤバイ電波系と勘違いされた私は、馬車の中で父にあれやこれや言って、結婚面倒くさい、領地でほのぼの暮らしたいアピールしたけど、王家からの打診だの一点張りで、私の意見は却下されたのだった。
そして、私は王家からの打診という婚約者に会うことになったのだ。
「ジオルドラファール・リュディアール殿下でございます」
紹介された婚約者という者は、私より一つ上の子供らしくない笑みを浮かべた少年だった。
銀色の髪は外から入ってくる光を反射してキラキラ光っており、大人になればさぞやモテるだろうなという王妃様似の綺麗な顔立ちの少年が、それは綺麗な笑みを浮かべているのだ。そう……すみれ色の瞳は全く以て笑っていない表面上の笑みをだ。
そして殿下ということは王族!
王族からの打診とはあったけど、王子が私の婚約者に充てがわれるとは、私のことを調べた者は居なかったのかな?
領地では、かなり破天荒な行動をしていたと自覚があるのに、調べた者がいたのなら、そいつの目は腐っていると思う。
「はじめましてサルヴァール公爵令嬢。私のことはジオルドと呼んでください」
「はじめましてジオルド様。私のこともイーリアと呼んでいただきたいです。これから仲良くしてくださいませ」
別に仲良くしなくてもいいけど、最初の挨拶というものは大事だよね。
私はニコリと笑みを浮かべて、膝を折りドレスの裾を持ち上げ、頭を深々と下げる。いわゆる王族に対して行う最上位の礼を行った。
そして何事もないお見合いが始まった。場所は王都にあるサルヴァール公爵邸。私も三日前に着いたところなので、よくわからない。
父親がこの場に居てくれるのかと思っていたら、今日は仕事だと言われた。いや、保護者は居ろよ。
しかし王子の方も付き人を連れてきただけなので、私に保護者がついているのもおかしいのかもしれない。
「イーリア嬢は、博学とお伺いしたのですが、今の興味があるものは何ですか?」
……誰だ? 私にそんな過大評価したヤツは!
基本的に勉強は嫌い!
興味があることは前世には存在しなかった魔術だけど、そんなことを言っているわけじゃないよね。
「興味があることですか?」
私はジッと子供らしくない笑みを浮かべている王子を見る。あの顔を崩したいな。
私は座っている長椅子から立ち上がり、王子の側に行って手を差し出す。
「私、王都の家に来たのが初めてなのです。一緒に探検してくださいませんか?」
あ、散策と言うべきだった。
壁際から『お嬢様!』と私の行動を諭す声が聞こえてきたけど、私の手を取るかどうかは、王子次第だ。
「探検ですか。良いですね。ご一緒させてください。レディ」
王子は臭いセリフを言って私の手を取った。
その手を私は逃さないというふうに、握り込む。子供は子供らしく遊ぶのがいいんだよ。
「アハハハ」
私は大きく口を開けて笑って、王子の手を引っ張り、走り出す。大きく口を開けて笑うと怒られるんだよね。屋敷内を走るのも怒られる。
だから逃げる。
手を引っ張られ、私の行動に驚いている王子を振り返って言った。
「ジオ様。今から追いかけっこが始まるよー! 捕まったら負けね! アハハハハハハハハ」
私が笑いながら走っていると、後ろの方から出遅れた護衛たちが追いかけてきた。
「お嬢様! ここは領地ではありませんので、走ってはいけません!」
それだと、領地の屋敷内では走っていいとなってしまっている。
私の行動に素早く対応してきたのは、領地で私の行動を止める役目を押し付けられた護衛の一人の剣士アルベルトだ。
「お嬢様。旦那様に怒られてしまいますよー! 止まってくださいー!」
半泣きの声で、追いかけてくるのも私の護衛だ。いや私の捕獲の役目を押し付けられた魔術師リオールだ。何故に既に半泣きかというと、魔術師なので体力がなく、これから始まる追いかけっ子に絶望しているエルフ族なのだ。
先ずは邪魔な魔術師の足止めをする。
「『鎖に繋がれろ』」
「ウギャッ!」
床から伸びてきた鎖に足を絡まれ、床に倒れ込む魔術師。
次は剣士の方だ。あいつは魔術を気合で跳ね返すとかいう脳筋だから、魔術の足止めはしない。
「『浮遊』」
「うわっ! 浮いている?」
だから、王子を浮かせて階段を駆け上がる。因みに私は事前に身体強化を掛けているので、大人にも負けない速さで走れている。
「お嬢様! せめて王子殿下は置いて行ってください!」
アルベルト。それだと意味がない。
王子を連れて四階まで駆け上がった。ここは使用人の部屋の扉が廊下の両側に並んでいる。
「ジオ様。怖いかもしれませんが、目を開けて周りを見てくださいね」
私に手を引っ張られ、空中を飛んでいることに楽しくなってきたのか、子供らしい笑みを浮かべている王子に言う。
王子は何のことを言われたのか理解できていないだろうが、私に向かってコクリと頷いた。
東側の突き当りの大きな窓を開けて、ベランダのようになっているところに出て、柵に足を掛けて飛び上がる。
「『風よ。舞いあがれ!』」
すると下から風が吹き上がり、私と王子を空へと舞い上げた。一瞬にしてサルヴァール公爵邸が足元で手のひら大に見える程にだ。
王子の様子を振り返って見てみると、目を輝かせて景色を見ていた。普通はこのような風景は見られない。王都全域を見渡せるような空からの風景なんて。
「ジオ様。王都って大きいのですね」
「うん」
「人が小さく見えますね」
「うん」
「空の上には誰もいませんね」
「うん」
「私、勉強は嫌いです。公爵令嬢であることも嫌です」
「ん?」
「ここだと大声で笑っても怒る人はいませんし、公爵令嬢なのだからと言って怒る人もいません」
「まぁ……そうだね」
「やることをやったら、思いっきり遊ぶことにしているのです」
「あそぶ……」
「ジオ様。今とてもいい笑顔ですよ」
さっきの笑っていない笑顔より、こっちの笑顔の方が子供らしくていい。
そして私は浮遊の魔術をかけていないので、自由落下を始めた。
「お! 落ちている! イーリア嬢! 落ちている!」
「それは落ちますよ。アハハハハハハハハ」
私はこれが楽しいと笑っているけど、王子からしたら、とても焦っているのだろう。必死に私に声をかけてきた。
「早く浮遊の魔術を使って! イーリア嬢! 笑っていないで! 早く! イーリア!」
私を呼び捨てするようにまでなったな。
「ジオ様。下は水なので大丈夫ですよ」
「いや、水に落ちても死ぬから!」
そして言葉も崩れている。いいねぇ。
下にはそれなりに大きな池がある。庭にある池だからそこまで深くはないだろう。
「アハハハハハハハハ」
「イーリア! 笑ってないで!」
私の笑い声で、下では色々な人が集まってきてしまっている。私の護衛のアルベルトとリオールが頭を抱えてうなだれてしまっていた。
領地を出る前に、執事から色々言われていたからね。王子相手にやってしまったという感じなのだろう。
水面が近くなってきたので、私は水に向かって、繋いでいない方の手をかざす。
「『水面滑走』」
そして水面に落ちて、水の中に落ちるかと思いきや、水面ごと身体が沈み込む。身体は水面を滑り、水面が反発するようにうねり、身体が飛ばされ、再び空中に身を翻した。
そんなこんなで、夕方まで王子を振り回したのだった。
普通ならこんな公爵令嬢の婚約者なんて嫌だろう。王家から打診が来たのなら、王家から断ってくれればいいのだ。
王子も勉強が嫌いで、遊ぶのが好きな婚約者はヤバイと思うだろう。
「こんにちは。イーリア嬢」
翌日、王子がサルヴァール公爵邸に現れたのだ。昨日の今日だ。普通は来ないだろう。
因みに私は昨日、護衛からおしりぺんぺんの刑にあった。それぐらいじゃ、私は堪えないけどね。
「ジオ様。今日は何をして遊びます?」
来るのであれば、こいつヤバイなと思うぐらい振り回してやればいいのだ。
そして、私はジオルドに色々教えてあげた。
サルヴァール公爵邸で見つけた隠し通路の探検。
池に放流した魔魚での魚釣り。釣った魚は庭で焼いて食べた。
キッチンに忍び込んでの盗み食い。
番犬の魔犬を怒らせて追いかけっ子。
入ってはいけない塔に侵入などなど。
屋敷の敷地内でできることを教えてあげたのだ。
最初は王子の護衛も怒っていたけど、どうもここに来るために、王子は勉強も剣術も午前中に終わらせるのに頑張っており、先生方から評価が上がってきているらしい。
半年後には寛容に見守る姿勢になっていた。