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八 謎


サワはあぜ道を歩いていた。


百姓たちが、水の張られた田に足を浸けて、一列に並び田植えをしている。雲がなびく青空にはトンビが鳴いて清々しい。

田に、蒼く映るのは今下りて来たばかりの山。


その、のどかな風景に、昨晩の光景は夢か幻だったのではないかと思い始めていた。






***






翌朝、天気が良ければ出立しようと、早くに就寝した。

川に浸かり、久々に体を動かし疲れたのか、眠りはすぐに訪れた。だが、悪夢がそれを妨げた。窟で寝込むようになってから、度々見る夢は、日に日に鮮明になっていった。


「――くっ、あぁ~、――待て、――姫!」


脂汗をかき、目を覚ます。

恐怖が残り心臓がドクンドクンと耳の鼓膜を打ち付ける。

姫と呼ぶが、夢に女など出てこない。ただ、はためく赤い(ころも)を掴もうとして、手が宙を掻く。何も掴むことが出来ず、裂けた大きな口がその衣を飲み込んでゆく。雨と稲妻。握る刀が熱い。手が焼けるほど熱いのだ。強い後悔と虚しさに、夢から落ちて目を覚ますのだった。


冴えた目で起き上がれば、塞がっている傷に痛みが走った。

ふと寒さを感じ、目を凝らせば白い霧が窟の中にゆるゆると入ってきている。


(――まだ夢の中なのか?)


あっという間に飲み込まれ、先が見えなくなる。冷たい岩肌に手を這わせ、外へ出るが外もまた窟の中と変わらない白い世界が続いていた。視界が閉ざされ、サワは必然と耳をそばだてた。


(――なんだ?……)


虫が鳴き、時折鳥が鳴く。その中に、かすかに混じるものがある。

耳を澄ませばそれは女の泣く声に思えた。忍び、悲しく力無くすすり泣いている。

白い靄がゆっくりと押し寄せ流れてゆく。

すすり泣きも女が忍び寄ってくるように小さく、大きく波を作って聞こえて来た。


「亡霊……」


昨日の話が頭をよぎり、つい口から出た。

人を殺し戦を生き抜いた強者(つわもの)と自負していたが、流石の不気味さに緊張が走り生唾を飲み込んだ。


(――いや、まさか……)


「あの(ひと)が泣いているのか?」


現実と幻の判断ができなくなってくる。


(――冷静になれ)


足を踏みしめ歩く。

サワは手探りで火をおこし、松明(たいまつ)をかかげ(いわや)の中に戻った。

荷をまとめ、山の女が整えてくれた布団や(むしろ)をたたみ、山を下りる支度をした。

そして、血の汚れを落とし繕われた武装に着替え、鎧や甲冑を包んだ風呂敷を背負うと、腰に刀を下げ窟を後にした。


薄く揺れる白い霧に女の半透明の腰巻を思い出す。

名を名乗らず去って行った、美しい(ひと)こそ亡霊だったのか――。

泣き声が聞こえる方角はまさしく、女がいつも立ち去る方向だ。

いや、亡霊などであってほしくなかった。あの優しさは幻であるはずがない。あの微笑みには温もりがあった。あの唇にも……。


夜露に足を濡らしながら声に誘われるようにしばらく歩く。


(なぜ泣いている。なぜ誰も現れない……)


気持ちの乱れが足を速く運ばせる。だが東雲が近づくと、さめざめと泣く声は、次第にさやぐ木立の音と交わりいつしか消えて無くなっていった。

そのうち視界を遮っていた深い霧も晴れ、徐々に森の輪郭を映し出した。


鬱蒼とした木々が開け、光が注ぐ方へと足を運べば、目の前に突如集落が現れた。


「――ここは……」


呆然と立ち止まり、霧と汗でしとどに濡れた身体を拭い様子を窺う。


寝静まる閑散とした集落。サワは引き込まれるように集落へ入っていった。しかし足を踏み入れば、そこは異様だった。


建つ小さな家々はどこも扉が開け放たれ、生活感を匂わせていた。だが、辻風(つじかぜ)が去った後のように家の中はめちゃくちゃになっていた。

どの家からも声はせず人の気配も感じられなかった。そして、()えた異臭が鼻に付いた。


唸り声を聞いた時と同じ、殺気の混じった生臭くさがあった。

外に残された焚火の跡は、火こそ残っていないが、新しいものだ。焚火の周辺には風の道を示すように生活道具が一方向に転がっている。


その中の一つが目に留まった。


「この()()は……」


風に引きずられ、投げ置かれた見覚えのある魚籠に、全身が総毛立つ。


「誰かいないのか! 俺だ。サワだ」


声を張り上げても答えはなく、不気味なほどの静けさに包まれる。答える鳥や獣さえいない。


「……くそっ!」


無策であった自分に憤り、悔しさに鞘を握り締めたまま、もう一度じっくりと見回し女を探した。


「どうなっているんだ……」


空が明るく輝きだすと、濡れた身体を朝日のぬくもりが包み込む。

いつもなら、女が訪れる時間だ。

傷を負い伏せていたサワにとって、この時間が唯一安らぐ時間だった。


陽の光と共に訪れて、献身的に看病してくれた女の顔が脳裏に浮かび、じんわりと胸が苦しくなった。素直な感謝の気持ちに隠れる後ろめたさがあった。


(名を知らない……。なぜ、しつこく問わなかったのか? いや、知らなくてもいいとも思っていた。縁など繋ぐ必要ないと。山の貧しい女の名など知らなくても良いと……俺は……思っていた、のか?)


胸の内をひたすら探る。

貧しい暮らしをしていることは姿を見ればわかった。綻びた小袖を着ていた。貧しい農民がするように髪も売ったのだろう。それでも快活にふるまう姿が労しかった。持って来てくれた食料は、自分の分を削って分け与えてくれていたのかもしれない。


強くて純粋で美しい(ひと)だった。


――殺気をいち早く感じ取っていた。

この集落のことを、いや自分のことを一切語らなかった。


あの(ひと)は何者だったのだろうか。


「なぜ俺は問い詰めなかった……」






一軒一軒を覗き込み、状況を探るが答えは出なかった。

助けられた恩がある。助けなければならない。胸に残る感情はそれだけではない……。


しかし――


焦る気持ちとは裏腹に時ばかりが過ぎてゆく。成すすべなく、辺りを再びうろつき家の裏手に回れば、ぬかる道に無数の足跡が付いていた。


(――襲われ、逃げたのか)


辿れば途中で女に会えるかもしれない。

事情を聞き、助けることが出来るかもしれない。


サワは手がかりの無い集落を捨て、足跡の残る道を駆けた。


「誰かいないのか!」


声が山に響くも、相変らずひとっこ一人現れる気配がない。様子を探りながら、黙々と道を下ればそのうち、神経を撫でていた殺気も薄れ次第に無くなっていった。

山道が涼やかな竹林へと変わる頃、勇んでいた気持ちも無念へと変わり、思いを馳せ空を仰ぎ見れば陽が眩しく頭上から降り注いでいた。川のせせらぎや水車の音が聞こえ、気付けばサワは麓に辿り着いていたのだった。


女は面影のままサワの心に留まった。


(――あの(ひと)を救えなかった。いや、無事逃げ伸びたということなのか?)


気がかりを胸に抱いたまま去る山を振り返えれば、山は不気味な程美しくにそびえたっていた。





「さようなら……」女の声がいまごろ胸に響いてくる。





















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