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六 椿の花


「この殺気が亡霊によるものだとしたら……」


先程は不真面目におどけていたサワが神妙に話し始めた。


「皆を逃した後、一騎打ちになった。そいつは俺の知っている男だった。熊のようにでかく、勇敢な武者だったが、子煩悩で優しい父親でもあった。俺が昔、武者修行をした時に知り合い、飯を食わせてもらったことがある」


……そう思い出しながら話すサワの瞳を覗く。


「その恩のある男の首を俺は()ねた。あいつもまた武人として俺に挑み、潔く散ったと思っているが……、俺を恨んで現れる亡霊ならば、やはりあいつなのだろうな」


薄氷の上を歩く日々に、死に対する負の感情は無いのかもしれない。武人の生き様を語るサワの瞳は冷たい。


通りすがりに、椿の花がぽとりと落ちた。木の下には赤い花房が落ちて地面を染めていた。盛りが終わり、冬の名残りを美しく告げている。


ククは花びらの欠けていない、花房を一つ拾う。拾う間も、ぽとりと花が落ちてゆく。


「椿は咲き誇った美しい姿のまま、枝から落ちます」


手に乗せた椿をサワに見せた。まだ赤く、生き生きとした柔らかい花びらは、終わりを告げられても尚咲き誇っている。


「――枝についている時の姿より、こうして、落ちた時の姿がどれだけ美しいかを競い合って咲いているように思います」


サワはククの手の上の椿を取り、じっと見詰めていたが、はたと気付き口の端を上げた。


「上手いことを言う。戦に出る者の志にも通じる――」


戦いの最後は死と分かっていてもなお、戦が行われている。サワのような武将たちが起こさなければ父も兄も死ななかったかもしれない。でもそれを言ってはいけない世の中だということも解っている。死を覚悟することが美徳だということも。


「打ち取った首はなくとも、奴の兜を持って、早く御屋形様に報告しにゆかねばならないな。残された妻子にも尊い奴の死を伝えなければ」


ククは静かに目をみはる。

サワはまた、戦の世に戻ろうとしている。せっかく助けた命なのに。

拭えない悔しさをつい口にしてしまった。


「――でも……、残された方はきっと、どんなに誇らしい死でも心の中では称賛はしないと思います。どうか……武人のあなた様も、死を買って出ることだけはやめてくださいませ」


冷たい瞳のまま、サワが振り返り、じっとククを見詰めていた。田舎娘の生意気な言い草が不快に思ったのだろう。おこがましくも武人の志に反発したことは、口が過ぎた。


サワは考え込んだように黙ったままだった。歩みも速い。感じている殺気のせいだとも取れたが、やはりククの言葉が不快だったに違いない。

そこから窟まで二人とも黙したまま、歩いた。

先程まで過ごした時間は、既に色あせ始めている。


窟が目の前に迫ると、緊張を伴いながら振り返り、足元に視線を置いたまま向き合った。


「――あの、魚を沢山頂きありがとうございます。もし明日、お立ちになるのでしたら……お気を付けてお帰り下さい」


言って気付く。覚悟していたにもかかわらず、実際にその時が近づくと、信じられないような心地になってしまう。


「……」


返答はない。


(――怖いけど、最後はやはりきちんと顔を見て別れよう)


背筋を伸ばし少し視線を上げ、サワの顔をまっすぐ捉えた。すると、パチリと目が合う。不機嫌な様子はなかった。意外にも少しだけ口元を緩め、ククを見て小さく頷くのだった。


見上げたククの耳もとにふわりと風が当たった。かと思うと、耳の上に重さを感じた。

何かと手で探ると、冷たく柔らかな感触が手に触れる。


「――つばき……」


サワはククの視線に照れた笑みを見せた。


「今まで世話になった。ありがとう。戦の現状もこの山の殺気も御屋形様に伝えなければならない。伝えたらまた戻り、様子を見に来るよ。それまで十分気を付けて欲しい」


「また、戻って様子を?」


「ああ、また戻ってくる」


真剣に相槌を打つサワの瞳に自分が映っている。

椿の(かんざし)をした女の姿が――。


「お気遣いいただきありがとうございます。……でも」


もう、きっと会うことは無い。


サワが帰る場所はどんなところなのだろう。こことは全くの別世界にも思う。『姫』とはどんな方だろう。城下町、都、たくさんの商人、武士、お金持ちがいる場所なのだろうか?


(――世界が違う)


心は必死にサワを呼び止め、そして必死に突き放す。ひとり置いてけぼりにされた気分になり、あまりにも出しゃばりな自分を抑え込むのに必死になった。

完治し喜ばしいことなのに、それを喜べない自分が情けない。ククは自分に言い聞かせるようにサワに告げた。


「あなたの怪我が治ってよかった。……きっと、姫さまも心配しておりますよ」


夢に出てくる姫が待っている。サワは高貴な武将だ。ククにとって本来なら縁遠いお方なのだ。


「姫?」


「ええ、夢うつつに何度も言っておられました。大切な方なのでしょう?」


サワは腕を組み、眉を寄せ考える。


「――御屋形様のご息女の事か? いや、うわ言に出るような……。まあ、まだ幼いが、後に俺の女房になるかもしれない方だ」


そう呟き、面白おかしいというように首を傾げている。


(――女房)


体の芯がぐにゃりと曲がった感覚がした。ククは木の幹に手を突き、そっと体を委ねた。


サワにはサワの世界があり、ククも自分の世界に戻るのだ。

木々の隙間から見える山々はいつもそこに横たわり、繰り返す季節に変化してゆく。風に煽られ山々を眺めれば、この別れも何ともないことなのだ。着古した小袖のほつれが、自分の置かれた日常を思い起させた。


(――私は私の場所へ)


山の里に戻ろう。

ククは別れの言葉を口にした。


「さようなら、サワ殿。お元気で」


そう言って魚を背負い籠に入れ、背を向けた。


「お、おい、待ってくれ。あなたの名前を教えてくれ。どこの里に行けばあなたに会える?」


サワの問いに、振り返ることが出来なかった。


「おい!」


教えられない。


(――教えたくないわ)


だから礼なども要らないのだ。

感じた不気味もサワには関係ない。


ククは一目散で走った。サワの足ではまだ追い駆けられない。


山の集落の手前にくると、耳に添えられた椿も髪から抜き取り投げ捨てた。






















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