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三 不吉な風


怪我を負って倒れていた、サワと名乗る男の回復は驚異的に早かった。


半月も過ぎると足を引きずりながらも、十分歩けるようになった。ククの支えも要らないようだった。大きな体を支える足も腕も太く逞しい。これが折れるのだから、まさに大木が折れたような衝撃だったのかもしれない。


鋭い眼光に屈強な身体、見た目とは裏腹に、サワは気働きのできるやさしい男だった。






――あなたの看病のおかげだ。




今朝ククが訪れると、サワは(いわや)の外で石に腰かけながらぼんやりと木々を眺めていた。


「山の夜は意外と煩いんだな。鳥や獣も鳴くし、虫の声はバカでかい」


ククを見るなり飄々と話しだすサワに、ククもつい挨拶を(はぶ)き会話に混じる。


「まあ、それでは、昨晩は眠れなかったのですか?」


そんな神経質な男なら、この窟の生活は苦痛だろう。都で暮らすサワには自然の音も煩わしいのか。

心配して問うが、サワは爽やかな顔を向けて、いやいや、と手を横に振る。


「寝れた」


気負いは無駄なようだった。


「――では、虫と鳥たちの方が根負けしたのね」


「いつの間にか寝て、起きてもまだ鳴いていた。俺の負けだ」


立派な男の惚けた様子は可笑しい。

精悍で麗しい顔立ちが、『完璧主義な男』のように印象付けているだけのようだ。


サワは片手で傷を負った腹を押さえ、もう片腕は天に向け、大きく伸びをした。もう、痛みもあまりないのだという。新緑を臨む顔も血色がいい。


「夜は煩いが、山の朝はいい。萌える木の葉が美しい。この景色が今、見られるのも、あなたの看病のおかげだ」


サワはククにやさしく微笑み、そう言うのだった。






常時穏やかな口調で話し、声を荒げたことは、意識が戻った時のあの一度きりだけだ。「看病疲れをしていないか?」といつも気遣い、女性のククにも傲慢な態度を取ることはない。そして窟での不自由さにも、傷の痛みにも、粗末な食事に対しても不平を漏らさなかった。


ククの貧しい姿を見れば現状に文句をつけることは出来なかったのだろう。言わず語らずでも通じているものが二人には出来ていた。


サワは謙虚であり、頑なに名を名乗らないククにしつこく問うことも憶測もしなかった。

そうしてククを呼ぶときは「あなた」と呼んだ。

その呼び名が密かにククの胸を躍らせた。


「あなた」など、生まれと育ちが良い者しか使わない。自分には一生縁のない呼び名だった。「あなた」とサワのような高貴で美しい男に呼ばれれば、日々生きることに追われた荒涼の時がさっと消えて無くなり、甘美な気持ちに変えてくれるのだった。


「あなたは……その、農民か? 山の木こりの娘か? 猟師の女房か? それを……聞いても良いか?」


ククの顔色を窺いながら申し訳なさそうに尋ねてくる。その様子がまた武将とは思えない。ククは込み上げてくる笑いを押し殺しながら答えた。


「――どうかご安心ください。決して怪しい者ではありません。東西どちらの国にも身内はおりません。あなたを貶めることも致しません。そして娘でも女房でもありません」


サワはククの赤い小さな唇を見詰めながらフッと鼻で笑い「そうか」と俯いた。


サワは時折ククの唇に視線を落とすことがある。ククはそれに気づくと、サワの心の内を読み、顔に朱を落とした。

きっと、口移しの感触を覚えているのだ。誰かの女房であっては申し訳ないとでも思っているのか。もしくは見ず知らずの女の唇に薄気味悪さを感じたのか。

だがそんな考察も勝手にしているだけであって、お互いにそのようなことを話すことはなかった。


サワに好感を持つようになり、いっそう誠心誠意尽くし、回復を手伝った。サワとの時間は習慣となり、今では少し浮足立つ気持ちまで芽生えてしまった。


だが、そんな気持ちとは裏腹に、気がかりなこともあった。






水を鍋で沸かし、一日の飲み水を作っていると、木立の隙間を縦横無尽に走る風がククに不安を運んでくる。


(――今日も風が匂う……)


山がおもむろに変化しているのだ。

木々が芽吹き萌える移ろいではなく、薄気味悪い影が徘徊するような、そんな風が吹き抜けるようになったのだ。


空を仰ぎ見て窟の中に声を掛けた。


「サワ殿、また明日の朝伺いますが、あまり山を歩き回らぬようにお願い致します」


返答はなく、代わりに背を屈めた大きな影が薄闇から現れ、同じく空を仰ぎ見た。

覆う木々の天窓から覗く青い空にカラスが高い声で鳴いている。


「……」


何を感じているのか、サワは眉をひそめ山を観察していた。


「山を知るあなたが言うのであれば、出るのは止める。天候か? それとも、あなたにとって何か不都合なことでもあるのか?」


肩を並べて空の下に立った男を仰ぎ見た。


山の里の男たちに、ここまで上背があり悠然とした者はいなかった。自分が懸念する不気味さも、隣の逞しい男には意味のない物なのかもしれない。だが――用心してほしい。


ここは煩わしい俗事から離れた山奥だ。神秘や運命のようなことを話しても本当のことのように受け取ってくれるのではないか。そう思い、ククは感じ取っていた漠然とした正体を、素直に打ち明けた。


「なんとなく……不気味で……、山が騒がしいので、何かが起きる前触れにも思えるのです。だから、用心なさってください」


そんな妙な話にも、サワは心得たとばかりに難しい顔で頷いた。


「あなたは? あなたは無事に帰れそうか?」


男性にそんな気遣いをされたことの無いククは動揺に言葉を詰まらせた。


「わ、私はこの通り心身ともに頑丈に出来ておりますゆえ……」


そう俯きながら答えれば、顔に熱が(のぼ)っているのがわかった。


「そう、自分を買いかぶるものではない。不安な顔をしている」


「不安な顔? サワ殿が心配なだけです」


「俺が心配とは……、それは初めて言われたな」


サワは視線を彷徨わせたかと思うと「ふんっ」と鼻で息をつき浅く笑った。


「そうか、なら心配ない。山が騒がしいのは、どうも俺のせいだ」


「えっ?」


どういうことかと小首を傾げれば、上手くいったという風に、ニヤリとし、からかいの笑みを向けてくる。


「むさ苦しい男がこんな場所にいつまでもいるから、熊たちが鬱陶しく思っているのかもしれない。騒がしいのは熊が地団駄を踏んでいるからじゃないのか?」


明確に説明できない気味の悪さが、熊の地団駄にすり変わってしまった。


冗談でククの不安を払拭してくれたのか。サワの心配りに陰鬱だった空気も明るいものに変わるのだった。


(――やさしく頼もしい(ひと)だ)


そう思えばすこし胸が痛みだす。

明るい声にサワの回復が見てとれる。


こんな不気味な山にいつまでも留まらせるよりも、体力をつけ、早急に山を降ろした方が良いだろうとも思えるのだった。


敵国の大将を討ち取るほどの人物を失い、西の国では一大事となっているのではないだろうか?

サワとの別れは心寂(うらさみ)しいが、それは致し方のないことだ。


ククは体力をつけるための食材を頭の中で並べて考え始めた。貧しい村から持ち出せるのは、雑穀と少しの米と、野菜や芋だけだ。


「もう、だいぶ動けるのであれば、明日、魚でも獲って食べましょう。山を下り、郷里へ帰るにも体力をつけなくてはなりませんもの。釣り竿と()()などを持ってまいります」


ククの揺らぐ心中など知る由もなく、サワは表情を明るくした。


「ああ、そうだな。それはいい!」


少し屈みこみククの顔を覗き込むと、少年のような悪戯な笑みを見せる。


「俺は魚を獲るのが上手いぞ。大漁間違いなしだ」


「では、体に差し障りの無いところでお願いしますね。また看病が必要になってしまいます」


その一言に、途端にサワは残念そうな顔をする。


「そうだな……あなたにこれ以上迷惑はかけられん」


明るかった声が小さくしぼみ、目を逸らすのだった。


そんなサワの態度を見て、失言したのだと、ククは慌てて訂正した。


「あ、いえ、その看病が嫌という意味では無いのですよ!」


「いや、いや、そんなのは、十分わかっていますよ」


サワも慌てて言葉を差し込んでくると、表情をケロリと変え、何もなかったように話題を戻し人懐っこく笑うのだった。


「もっと、歩けるようになれば、鹿や猪も獲って食えるのになぁ」


「魚よりも肉を食べさせたい」ククもそう思ってはいたが、ククは狩猟が苦手だった。女ばかりの村では弓や銃をまともに扱えるものは一人もいないのだ。


陽が高くなり、ククも村へ帰らなければならない。午後からの仕事がまだ、たっぷりとあるのだ。

頭巾をしっかりと結び直すと籠を担いでサワに見送られた。


サワとの時を過ごすのはあと、僅かだろう。


その間、何も起こらなければいい。

ククはそう山に願った。



















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