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ニ十六 渦の中


鋭い風がまるで柔い雑草のように、山肌の木々をなぎ倒してゆく。

武者たちの横を掠め飛んでゆく大木が大きな殺傷石に当り、双方が砕け散る光景はこの世の終焉のようだ。

亡き兵士たちの弔いなどする暇もない。到底、弓など打っても意味がない。

既に、滝つぼは渦を巻いて変化している。それを見れば、底でとぐろを巻く魔物がいることを、容易に想像ができた。

この尋常ではない事態を前に、視線がククに集まった。


「女、どお動く?」


頭首が問えば、ククは滝つぼを見据えたまま、すくっと立ち上がる。

そのまま強い風に背を押され、細い身体が前へと押し出された。


「魔物の意図を確かめます」


頭巾が飛び、短い髪が風にもまれ、華奢な身体も吹き飛ばされそうになる。


「そうか、では行ってこい!」


容赦ない下知が飛んだ。


岸辺の小石を草鞋(わらじ)で踏みしめれば、足を取られよろめいた。風は魔物に操られているようにククの背を押し、滝つぼまで容易に導くのだった。


嵐の大海に出た小舟の様に彷徨いながら遠い岸を目指す。引き戻すことも出来ない。もう、考えてもどうにもできない。


雨粒がポツリと頬を打つ。

暗く煙る空をふと見上げた。


――雨脚が強くなればあの窟へ逃げ込めばいい。生まれ育った山だ。勝手は知っている――


無になった心はククを記憶の中に閉じ込めた。


誰もククを止めない。佐羽狩の声も聞こえてこなかった。


山での暮らしの思い出の中でククは微笑んでいる。そして皆と自分自身の幸せを祈った。


(どうか、この先も山で幸せに暮らせますように……)


風に靡く雨は、薄い肌を凍らせた。感覚の無くなった顔を拭い、ゆっくりと瞬きをすると、滝つぼが目の前に迫っていた。


一歩また一歩と近づくにつれ、滝つぼからほわり、ほわりと、鬼火が現れ、それが青白い髑髏(どくろ)となった。髑髏にやがて手足が生まれ、(ただ)れた肉が付く。それはまさに、散っていった(つわもの)たちの姿に変わる。そうして亡霊は次々と現れククを取り囲んでいった。






藪に身を潜めていた男たちは佐羽狩の指示を待った。


亡霊を捉えた鋭い双方がギラリと光ると、口元が「来た」と小さく呟き弧を描いた。


「皆はここで待て。状況を見て、槍を構えろ。俺は出る」


機を狙っていたとばかりに、藪から勢いよく飛び出せば、疾風のごとく亡霊の群れに飛び込んでゆく。

瞬時に(はがね)がかち合う音が響き出す。

亡霊兵たちも佐羽狩に向かって、意思を持っているかのように幾重にも挑んできた。

次々に振り下ろされる刀をするすると交わすと、熱を持って煙る宝刀を大きく横へ一閃した。すると亡霊兵の髑髏が、瞬時に三つ吹き飛んでいった。


「……っ、クク! どこだ!」


風雨に、声はかき消され、飛沫(しぶき)で、ククの姿も消されていた。

佐羽狩はククを探しながら、邪魔な亡霊を切り刻んでゆく。

亡霊だが手ごたえがある。しかし併せて、亡霊兵が振り下ろす刀に当たれば、衣を裂さかれ、体に傷をつけられた。無数の亡霊兵が刀を振り下ろし、佐羽狩に浅傷を負わせてゆく。だが佐羽狩は物ともせず、横に縦にと、刀を振り降ろした。

非情にも屍を蹴り上げ、踏み倒し、鬼の形相で滝つぼへと進んでゆくのだった。






遠目に見ていた頭首には、次々倒れる亡霊兵が脆く見えた。


「佐羽狩に続け!」


頭首の下知に、男たちは槍や刀を構え、湧いて出る亡霊に挑んでゆく。

だが、援軍に入った男たちは、亡霊兵を切ることが出来なかった。一方亡霊の振り下ろす刀は攻める武者たちに傷をつけた。

軍勢は散り散りになり逃げ惑う。


「引け! 無駄じゃ。亡霊は佐羽狩の刀でしか切れん! 神の刀でしか切れない」


魔物は逃げる男たちを追うことはしなかった。

宿命の如く佐羽狩だけに挑むのだった。

頭首は、まるで亡霊との闘いに狂喜乱舞しているように、縦横無尽になぎ倒してゆく佐羽狩の姿に喝采した。


「いけ! お前には憑いている」


戻った男たちは姫と祈祷師をつれ、高見できる大岩に登り、佐羽狩の圧倒的な戦いに目を奪われていた。

一対数百の戦いにも、互角どころか圧勝して突き進んでゆく姿は、同じ人間とは思えない。亡霊兵は斬られると苦痛に悶え、そして次第に消えていった。そうして最後の一人が佐羽狩の前に立ちはだかった。際立った体格の武者が肩で息をする佐羽狩を黒い穴の双方から見据えていた。

熊のような体格、刀傷のついた青い甲冑、紋の入った長槍を持った髑髏がカタカタと笑い出す。


「……っ、おまえ!」


見覚えがある。首を刈った敵の総大将に違いない。


「お前は、有能な武将だろうが! 肉体を俺に討たれ、魂は魔物に討たれたか!」


血走った目で睥睨し、ずぶぬれになりながら亡霊を罵倒する。

怒りで煮えたぎる血潮を雨がうつ。

握った刀からは、まるで鉄瓶に水をかけたかのように湯気が立ちのぼっていた。


幾度の戦で見る雄々しい勇者の姿。だがこれは今までとは違う。

精悍とは例えられない姿。まさしく戦慄を覚えるほど悪鬼羅刹。


「戦い散った者たちの怨念も怯まずに、無情に切り刻んでゆく。夢中になって狂ったように殺している……なんて豪胆……いや、残忍なお方だ……」


「そうだ、あの男は(いくさ)では躊躇いを知らない。(たが)が外れれば人の心を捨てる」


頭首は佐羽狩を拾った時を思い出す。


――佐羽狩は自分を探していると言っていた。

あれでもない、これでもないと玩具を見つけては放り出すように、武人たちに戦いを挑み放浪していた。憎まれようと、傷つけられようと、普通の武者なら挫けてゆく困難も、男は興奮に変え、武者修行という殺し合いを繰り返していた。






「佐羽狩こそ――魔物だ」


佐羽狩は敵将を目の前にしても、生前の詫びなどしなかった。それどころか躊躇うことなく、懐へ入り込み、腹を鋭く突きグイッと力をかけ押し込めると、それをまた(はらわた)を掻きだすように引き抜いた。

アオサギが鳴くような、しゃがれた悲鳴を上げる亡霊の声が岩壁にぶつかりこだまする。同時に、叫び声が合図であったかのように、雷鳴が轟いた。

腹に手を当て倒れ込む亡霊の頭を掴み、再び削ぎ落とせば、亡霊は槍を握ったまま、足からぐしゃりと崩れ落ち動かなくなった。

佐羽狩の衣は自らの血で赤黒く染まっていたが、力は衰えを知らない。倒した亡霊に目もくれず、見晴らしの良くなった前方を一直線で走り抜けた。






***






一方のククは、蒼い瞳を彷徨わせ、虚ろな表情で波立つ水面を見て駒の様にふらふらと身体を揺らしていた。


「クク! 待て!」


血まみれの武骨な手が伸びやっと見つけた細い腕を掴んだ。雨に濡れた体は既に死んでいるように冷たい。虚ろな瞳は佐羽狩を捉えてていないようだった。


「もう、(おとり)は終わりだ! 下がれ」


腕をひっぱり、滝つぼから遠ざけた。


「――もういいんだ。もう、いい! 後は俺がやる」


その言葉に水面がふつふつと泡立ち笑う。

とたん風が止んだ。散々鳴いていた(かわず)の声も消え、水面を討つ雨音が響き渡る。

ぶくぶくと泡立つ水面が渦を巻き、その中心から黒い(もや)が立ち上った。黒い靄の影に、水の柱が天高くにそびえ立ったかと思うと、一気に佐羽狩に向かって流れ落ちて来た。

それは一瞬の出来事だった。攻めて来た水の勢いが二人を引き放し、気が付けばククは水の中に引き込まれていた。


「あぁ……また――手に入れた――」


低く腹の底に響く魔物の声と哄笑(こうしょう)が、濁流の水音と混じり合い再び水底に戻ってゆく。






「佐羽狩! やめて! もう、終わりよ」


陀璃亜の悲痛な叫びは佐羽狩に届かない。


水飛沫の膜を払いながら、佐羽狩は飲まれ沈んでゆくククを追い、躊躇することなく悍ましい渦に飛び込んでいった。


「――っっ、い、いやぁぁぁぁぁ~!」


陀璃亜は叫びながら、半狂乱で飛び出し佐羽狩の後を追った。


「姫様!」


誰も追いつけない。追うことも出来ないでいた。

男たちは肥大した恐怖に、持っている槍や刀さえも手放し硬直したまま突っ立っているばかりだった。




















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