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二 西の武将


ククは集落の女たちに事情を話し、朝の数刻だけ男の元へ通うようにした。

村の婆から薬草と治療の知識を貰い男に施す。

父の残した着物を男に着せ、(わら)を編んだ(むしろ)に寝かせ、掛布や鍋まで持ち込んだ。夜中に雨が降れば(いわや)に出向き、雨に濡れぬように男をかくまった。寒さをしのぐ為に窟の入り口に藁を積み、動物に食われぬよう、音のなる仕掛けを付けた。


熱心に看病に励むククを見て「気が利くというより、仕事ね」と、里の女たちは笑った。日々の仕事をおろそかにして、他人を看病するククを揶揄うが、咎めることなどしなかった。むしろそんなククを皆が尊敬していた。


女の明るい声が飛び交う集落――この集落に男はいない。


男衆は、麓の村の戦に出たきり、帰って来なかった。


倒れていた武者をこの里で看病しなかったのは、女だけが暮らす集落だからこそだ。悪い男ならば、女の力では抗えない。なけなしの財産や命までも軽々と奪われるかもしれない。完治した後には仲間を率いて悪事を働き、焼き払われるかもしれないのだ。


ククは看病に精を出す反面、男に気を許すことはしなかった。






数日が経つと、看病の甲斐あって熱と痛みで朦朧としていた男の意識が徐々に明るくなってきた。

いつものように口移しで水を飲ませれば、ようやく見たことのなかった、黒い瞳を覗かせたのだった。

だが喜びの笑みを向けたのも束の間だった。


男の瞳に光が差し込むと、男は視線を動かすことなく、ククの気配を感じ取り、瞬時に殺気立った。ごつごつとした無骨な手で、細いククの手首を折れるのではないかと思う程に掴み取り、鮮明になった視界に映り込んだククを、射抜くように睨みつけてきた。


「――お前は誰だ」


掴まれた手が震えた。だが、勝気なククはそれ以上に男のその乱暴な言い草が癇に触ったのだった。

ククは返答せず、男をただ気丈に見つめ返した。

その瞳が、意外にも物を言っていたようで、男はぐっと口を閉ざし、しばらく目だけを動かして自分の置かれた現状を探っていた。


張り詰めた空気が山の音を運んでくる。鳥のさえずり、木々の騒めき、陽の匂い、それらが男の意識にゆっくりと入ってゆく。

虚ろだった瞳に感情が戻ってくると、ククの手首を握る力も緩慢に解かれていった。


男はククを見上げながら、大きく息を吐いた。


「――俺を、助けてくれたのか?」


先程とは異なり、落ち着いた声で問いかけてくる。

ククはそれに黙って頷いた。


だが気は抜けなかった。意識を懐に潜めた短刀に集中させた。まだこの男が何者か分からない。助けたことが幸か不幸か見極めるのはこれからだ。


緊張感が漂う。様子を探ろうとしているククに気付いたのか、男はぽつりと話し始めた。


「俺はサワだ」


表情を変えず(くう)を見詰めたまま続ける。


「西の国で『(わし)』をしている。今回はへまをし、この有り様だ。助けてくれた礼を言う」


――西の国。都がある大きな国だ。


「鷲」とは部隊の最後方を守る武将のことだ。負け戦の時は、追っ手から皆を逃がし、体を張って食い止めなければならない。武の才とその団の兵や頭首の信頼が無ければできない位置を任されているこの男は、位の高い、もしくは頭首の右腕に当たる人なのだろうとククは悟った。

人生の中で出会ったことの無い高貴な身分の男を前に、ククは戸惑うも、毅然とした態度で男と向き合った。


そんなククに男もまた、ようやく覗かせた黒い瞳を惜しげもなく向けてきた。

寝顔しか見てこなかった男の顔を、今一度見詰め返せば、その端正な面立ちに驚いた。

切れ長の双方と鼻筋の通った精悍な顔つきがやけに美丈夫だ。長い髪を結い直し、清潔で新しい衣を纏えば、高貴な雰囲気も自然に(かも)し出すのだろう。


警戒心と羞恥、その上高貴で麗しい男を前にして田舎者の自分に劣等感まで湧いてくる。ククは自分勝手に卑屈になりその捻くれた感情のままに、男にそっけない態度を取り続けた。


「――お首は勝手に土に埋め、弔わせていただきました。お相手の兜はそちらに置いてあります。あなた様の刀と甲冑はこちらに」


ぶっきら棒に告げ、腰の位置よりも高い重厚な刀が鎮座する岩陰を指さす。


「――すまない。ありがとう」


ククの意気込みも虚しく感じるほど、武将だという男は素直に礼を言うのだった。

その穏やかな物言いは、悪鬼のように生首を掴んで倒れていた武者とは思えない。権力者はがさつで傲慢、そう思い込んでいたのはククだけなのか。


訝しげに眉根を寄せるククに、男はいまだ強い眼差しを向けて傲慢どころか謙虚に問う。


「その……あなたは、あの刀を片付けてくれたようだが、持っても平気だったのか?」


問いの意味が分からず、小首を傾げながら答える。


「ええ、重たかったです。でも持てました。――何か?」


相当高価で大切な刀だったのだろう。盗まれないための仕掛けでも施していたのかもしれない。ククは立てかけた刀を見据えて、またしても訝しげに刀の様子まで探り出す。


「いや、いいんだ」


そう、きっぱり言い男は引き下がる。だがそれでいて、ちらりとククの顔を覗いてくるのだった。


「刀など、盗む気はございませんよ」


男を見下ろしながら、一応、言っておく。すると男は目元を緩めて頷いた。


「わかっているよ」


強気な態度を取っていたククだったが、勝手に刀に触った身としては内心動揺もしていた。

男はククの心情を見透かしているのか、態度も口調も軟化させククに問い続けた。


「それで……俺はどのくらいここで寝ているのかな?」


「ここに運び五日が経ちました。足が折れ、左脇腹に深い傷があります。まだようやく意識が戻ったというだけのことです。もう少し寝ていてください。こんな場所で申し訳ありませんが……」


「五日か……」


男はそう言ったまま、神妙な面持ちになり黙り込んだ。

武将として色々と思うことがあるのだろう。しばらく瞑想した後、深く重い溜息をついた。


男のその哀れな様子が傷以上に痛々しく感じた。見ていられず思わず手を伸ばしてしまった。無意識に世話焼き癖が出てしまい、気落ちする男の肩を撫でてしまった。

すると男がびくっと肩を揺らしたため、ククも慌てて手を引っこめたが遅かった。


「ご、ごめんなさい。看病が長かったので、つ、つい気やすく触ってしまって……」


気丈な態度を取り繕っていたのもこれまでだった。


ククは視線を泳がせ、弾かれたように傍に置いてあった椀を取って男の目の前で少し傾け中を見せた。『熱心に看病していた証』である作り置いた薬を見せつけ、男に先程の態度の理解を求めた。


「滋養のある木の実を磨り潰したものです。痛み止めにもなりますので飲んでください。これから少しばかりですが粥を作りますからそれも食べてくださいね。ヤギの乳は飲めますか?」


声を上ずらせて矢継ぎ早に話すククの様子に、男は曇らせていた顔を改め、ククに向け笑みを作った。


「ああ、ありがたいな。なんだって食べるさ」


お互いに笑みを向け合えば、不自然なぎこちなさも警戒心も自然と消えて無くなった。


「少し起き上がりましょう」


背と(むしろ)の間に腕を食い込ませ、脇腹が痛まない程度に男の上半身を持ち上げ、木の椀を差しだした。男が飲んだのを確認すると椀を受け取り、その場を立つ。


背負い籠から一握りの米と卵を一つ取り出すと、ククは(いわや)を出て、火を起こし始めた。






明るみに出て行くククの姿を男は寝そべりながら目で追った。眩しく跳ね返ってきた光に目を細め、光の中に女の姿を探す。


とたん、男はその光に目が離せなくなった。


「――なんだ、俺は鶴にでも助けられたのか……」


そう呟くのも無理もなかった。


背で一つに纏めた黒髪が時折真っ白く細いうなじを晒す。日差しの眩しさにその真っ白な首をもたげ天を仰ぐと、細めた双方を長い睫毛が縁取り影を落とす。温かな日差しに微笑み、弧を描く赤く膨らむ柔らかそうな唇は触れてみたくなるほど艶やかだ。黒髪に白い肌そして赤い唇、その配色はまさに優美な鶴のようだ。

身に着けている薄ぼけた黒の小袖はかなりの着古しだったが、腰に巻くかげろうの羽のような布は繊細で美しかった。


白銀に輝くその腰巻は西の国も、はたまた東の国でも見ない装束だった。


男は体の痛みも忘れ、自分を助けてくれた美しい女に魅入っていた。
































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