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十六 再会


顔を伏せながら村長の元へ楚々と近づき酒を運ぶと、領主の前で指をついて頭を下げた。


「この者は先程話した山の女です。明日、魔物対峙に山を先導させましょう。魔物を虜にするほど美しいでしょう。閨のお相手も致しますゆえ、なんなりとお申し付けください」


村長はそういうや否や「ほれ、領主様のお相手をなさい!」と下品にククの腕を突いた。

明日、この兵士たちと共に魔物の山を登ることになると初めて聞き驚いた。どうしてこうなったのかククには見当もつかなかった。

この場で村長に問うことも出来ず、戸惑いながら再び頭を下げた。


「――ククと申します。明日お役に立てれば幸いです」


「魔物が狙っているというのはお前さんか。どれ、(おもて)を上げよ」


ククはゆっくりと正面にいる領主に顔を見せた。

いつものように笑みを作り、酒を注ごうと体を傾けたその時、刺すような視線に気付き息を飲んだ。


――ゴトッ


盆から取ろうとしたとっくりが手から滑り落ちた。


「こら、何をしておるんじゃ。……ったく天下無双の剣豪様の前で失礼な」


村長に叱責され、我に返る。


「……も、申し訳ございません……」


畳にこぼれた酒を慌てて拭くが意識が散漫してうまく拭くことが出来ない。

“もう一度確認すべき、いや顔を上げるな”と葛藤し混乱する。


頭首の隣にいたのは、体格の良い赤い髪の男だった。男の切れ長の双方は僅かに揺れていた。真っ白い襟に地紋の入った黒い上衣を纏った貫禄ある男――。


拭き終わり膳を片そうと控えめに顔を上げると、否応なしに視線が合い、男の唇が強く引き結ばれたのがわかった。

そうして見開かれた双方が、暗い水底に沈んで行くように光を失くしてゆくのも……。


――その意味など考えなくても解った。


「――あなたは」


見詰めてくる男が小さな声を零した。懐かしい響きだった。あなたと呼んでくれる人は、あの(ひと)しかいない。


「なんだ、佐羽狩。お前が気に入ったのか。あれだけ女中たちに騒がれておいて(なび)かなかったのが今更か?!」


ククを気に入ったと思ったのだろう。頭首は、にやけた顔で男を覗き込んでからかう。


「ちょっと、佐羽狩!」


透かさず姫の声が飛んできた。

思わず振り向けば、姫は男と、そしてククを交互に睨みつけていた。


(――やはりこの方が……)


聡明そうな額に瑞々しく美しい肌、無邪気な感情を露わにする双方を瞬かせ、ふっくらとした頬にあどけなさが残る、可憐なかわいらしい姫。


「そこの女、あなたはもう下がりなさい!」


姫の金切り声が響き渡ると、酔が回った他の男衆が陽気に笑い飛ばす。


「姫様こそ、もう下がってください。これからは大人の時間ですぞ!」


ククは動揺を隠しきれず、言われるがまま腰を上げた。だが瞬時に男の手に腕を取られ、再び座り込むようになってしまった。


男の力は強く、放してくれと目配せで訴えるが、放してはもらえない。まるで裏切り者を引っ捕らえたような顔をして平然とククの腕をきつく握るのだった。


「佐羽狩殿、姫が睨んでおりますよ!」


男たちが冷やかしに騒ぎ出す。


「姫は毎晩、しくしく泣いてあなたの帰りを待っていたのですぞ。お痛はいけません!」

「ほら、手を掴まれた女子(おなご)も真っ赤に頬を染めておりますぞ」


アハハ、アハハと陽気に囃し立てるが男は表情一つ変えなかった。


「……あの、お酒をお持ちいたします」


掴まれた腕に視線を這わせてそう言えば、耳元に溜息落ちてきた。

何か言おうとして、躊躇い、舌打ちをする。そんな仕草をされれば、言いたいことは伝わってくる。


聞きたくない。逃げなければと気が焦るが、……遅かった。


「――あなたは……ここで何をしている」


瞳を彷徨わせればまた深い溜息がククの頭上に落ちてくる。


「――なぜ、魔物に狙われている。なぜ……身を売っている」


とたん、心臓がぐしゃりと握りつぶされた。


「なぜ名乗らなかった……」


ここで洗いざらい話せと言うのか。


ククの躊躇いを男は腹立たしそうに見詰めている。


そんな二人の間を割って、姫の痛烈な言葉が飛んでくる。


「佐羽狩の知り合いなの? 魔物に惚れられている遊女だなんて、相当な玉よ。この女も本当は魔物かもしれないわ。あなたを惑わそうとしているのよ」


「姫!」


ククをかばったのか、それともこれ以上愛する姫に勘違いを与えたくなかったのか、男は声を張り上げ、姫の言葉がこれ以上続かないように制した。


「……あっ、あの……私は……」


心を(えぐ)られ、言い訳も何も話せない。


私は……

山にいた頃は純粋だった。雑炊をたくさんよそり、(から)になる茶碗に幸せを感じていた。平らげる男の姿を盗み見ては喜んでいた。何の欲もなかった。

今は、(しな)を作って酒を注ぐぎ、見返りの為に身を売っている。魔物の声を聞きながら、自ら出て行くことを恐れ、怖気づいている間に、仲間を、村人たちを、苦しませてしまった。


――魔物は……わたし……?


皆の視線が集まり異様な空気が漂っていた。


ガシャンと膳を鳴らす音が聞こえたかと思うと、姫が堂々と酔っぱらいたちの前を横切り男の横にすとんと座りこんだ。


「佐羽狩、今日は疲れた。体がだるいので部屋まで連れて行ってほしい」


ククの話しを待っていた男だったが、諦めたようにククから目を逸らし、姫に顔を向けた。

掴んでいたククの腕を放し、その手を慣れた手つきでしなだれかかる姫の額に当てがった。


「熱は無いようだが?」


離れていった手に絶望的な虚無感を感じた。

自分の知らない男の姿が、踏み入ることのできない壁を作った。


「さあ、お前は早く下がりなさい」


生まれ持った威圧感。人を従えさせる声にククもまた首を垂れた。


「……姫様の前でご不快の念をおかけしました」


そう、詫びると素早く腰を上げた。隔たりを感じることが出来ないくらい遠くに身を置きたかった。自分をこれ以上哀れにさせないように。だからこそ、妖艶に遊女の様に席を立つ。


「明日、魔物の元へ先導いたします。今夜はごゆっくりお寛ぎください」


素知らぬ顔を装い他の男たちに酒を注いで回った。男たちはククの美しさに感嘆し、舞を見せろと懇願してきた。明日の勝利のための舞を要求されればククは断ることも出来ず、山の女たちが躍る舞を見せた。

腰巻を解いて手に持ち、美しく天女のようにそれをはためかせて舞う。その舞を虚ろな気持ちのまま踊れば、男たちから熱い視線と拍手が盛大に贈られた。


「美しいのぉ。都でもこんな美しい舞は見られない。妖艶でいて初心そうな顔つきもいい」


いやらしい言葉が混じり、ククはビクリと肩を跳ね上げた。幾人かの男にもそう言われた記憶が蘇り背筋が凍るのだった。

身体が突然強張りぎこちなく踊るククを佐和狩は酒を呷って黙ってみていたが、しばらくして、姫を連れて宴会の部屋を後にした。



夜も更け、男たちは用意された部屋へと帰って行った。西の国の男たちは真面目な武人であり、その上姫の目もあってか、女を求めることなどしなかった。

皆が去った後の静かな大広間で、ククはようやく、緊張で強張っていた身体を解き、安堵の息をついた。


女中たちももう、いない。それはいつものことだった。

ククは誰もいない宴会場をひとり黙々と片付ける。

気持ちを落ち着かせ、先程のことを考えた。


なぜ、魔物対峙を決行しようとした日に彼がここに居るのか。

長が救援を求めたとしても、伝わるのが早すぎる。

もしや、約束を守るために戻ってきてくれたのだろうか?

どちらにせよ、村長は突然現れた屈強な武人たちの訪問に諸手を上げて喜んでいた。

領民たちをククに同行させ、対峙を見届けさせようしたが、誰一人として行きたがらなかったのだ。

領民が魔物と戦わず、代わりに武人たちが魔物にとどめを刺してくれると言うのだから自ら手を煩わせずに済む。西の国と同盟を組んでも、魔物を倒してくれたという義理立てがある。東の国に不服を言われようともそう言い返せばいいのだ。


西の国の援助は、村にとって、そしてククにとっても有難い話だった。


魔物にとどめを刺してくれる人がいれば、安心して逝ける。それもククが知る男の中で、一番誠実な男が引き受けてくれたのだから。


単調な作業と静けさが否応なしに、男の姿を思い起こさせた。秀麗な姿だった。隣に座る頭首にも引けを取らない佇まい。そして美しい姫の姿があった。


底冷えのような切なさが込み上げ苦しくなり、手に持った雅な皿の絵に意識を反らした。だが朱や藍で描かれた美しい紋様を眺めても、いつの間にか意識がすり変わってしまうのだった。

皿やとっくりを、盆に並べながら、涙が自然に零れてゆく。鼻を啜れば大広間にやけに大きく響き渡り、声を潜めて袖で顔を拭った。


(せめて……明日は、遊女ではない自分らしい姿を見せたい)






片付けもようやく終わり、炊事場を出れば、人影が待ち構えていた。


「クク、妾として最後の夜だな。今日は儂のところへ来い」


そう言って、逃げる間もなく腕を掴まれ引きずられた。





















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