十二 帰郷と企て
「佐羽狩と陀璃亜はどこに行ったんだ?」
「お二人は鬼払いに行かれました。そろそろお戻りになる頃かと」
城下町の賑わう町家の路地を二頭の馬が勢いよく駆けて行く。城門に入ると男は荒く息を吐く馬を降り、もう一頭の馬の元へと向かった。
「姫は乗馬はお上手だが、降りることができないとは、手間がかかる」
そう言いながら、髪を総髪に結った青年は、姫の脇腹に躊躇いなく手を添えて華奢な身体を抱き寄せた。
「うふふ、違うわ。佐羽狩に抱えてほしいから待っていただけよ」
まだ、あどけなさの残る可愛らしい姫は、それでも一瞬大人の女の顔になり、うっとりと目を細めるのだった。
一週間前の夜更けに突然帰ってきたこの青年、佐羽狩に、城の皆が驚いた。とりわけ、佐羽狩の許嫁と自ら言いまわるこの陀璃亜姫は、寝所を飛び出し、寝巻のまま城を駆け、帰還を喜んだ。佐羽狩を見たとたん抱き着き、泣きわめき、寝ていた城の者を皆起こした。それほど佐羽狩を慕っていた。
***
佐羽狩は頭首を前に土下座し、戦の失態を詫びた。
西と東の国では覇を競い合っていた。あの山で待ち伏せに合い、劣勢になった。
佐羽狩は波が引くように味方を逃がし、後を追ってくる敵兵をばっさばっさと切り倒したものの、一騎討ちで敵将と戦い負傷した。落とした首も持ち帰ることが出来なかった。
「まあ、もう良い。長く続いている戦だ。お前が総大将を仕留めたことで、東の奴らも体制を立て直しているのだろう、攻めてはこない。お前が行方知らずだということも、奴らに悟られないように影武者まで仕立てておったのだぞ。お前が帰って来た今、状況はこちらの方が有利だ。戦も休戦じゃ」
西の大国を治める頭首もまた、佐羽狩の帰還を心待ちにしていた。
なんといってもこの男は数々の戦に出ても死んで帰ってくることは無かった。今回も、まるで賭けに勝ったかのように、「やっぱり死ななかったか!」と心配の欠片すら見せず喜んだのだった。
佐羽狩の方は、まったく自分の行く末には無頓着で、生きて戻った喜びも、死の恐怖も、語ることはしない。すでに報告を終えれば次のことに気が向いていた。
「戦はひとまず休戦と言ったところですか……」
頭首の言葉を繰り返すと、僅かに考えあぐねた。
あの山は、西と東の大国どちらの国にも属さない。街道に近いあの峠と麓の村々を両国が守備として狙っていた。
「あの山で女に助けられました。山には里など無いと思っていましたが人知れずの集落がありました」
道と言った道はなく山越えをする者もいない、いまだ手つかずの山だ。
「まさか落ち武者たちが拓いた里か?」
「いえ、それが分からないのです。集落は荒らされ、もぬけの殻でした」
「東に先を越されたか」
「そうではないようです。焼き討ちされた跡ではなく、辻風に村ごとかっ攫われたような感じでした」
そう言っておきながらも、またそうとも違うのだと心の内で否定する。
「あの山で妙なことが起きています」
「妙な事とは?」
「天変地異の類、もしくは……人ではない不気味な輩によって何やら異変が起きているようなのです」
佐羽狩が戦以外のことを口にするのは珍しい。
出会った女のこと、獣の声と殺気、亡霊、そんな奇天烈な話を神妙に話す佐羽狩に頭首は身を乗り出す。何事にも勘が鋭い佐羽狩の目論見を頭首は想像してほくそ笑む。
「そうか……魔物の類か。……対峙すれば麓の村に貸しができるな」
頭首の策に頷きながら、なにやら襖の裏に潜む気配を感じ目配せで伝えた。
二人は腰を上げることもせず、襖を見遣る。
言わずもがな、襖ががらりと開いた。
唐突に部屋に入って来たのは礼儀を知らぬ奔放な末娘、十五歳になる陀璃亜姫だ。
「それは、やはり魔物の仕業だと思います」
一重の涼しい目を見開き、仁王立ちして父の前で毅然と言い放つ。その様子に、頭首は呆れ顔になった。
「なんだ、姫。立ち聞きとは無礼な。いくらわが娘でも見逃せんぞ」
頭首はギロリと姫とそのお付きの女官を睨んだ。女官はおろおろと姫の手を引っ張ったが、陀璃亜は動かず頑としてそこに留まった。
この姫君の破天荒ぶりは目に余るものがあり、こんなことは日常茶飯事で、毎度注意はしているものの、改めようとはしないのだ。良くも悪くも我の強い姫君だ。
「父上様、佐羽狩にはたぶん魔物が憑いております。私には感じるのです」
姫は昔からその類の話に興味があった。妙に神秘な勘が働く。祈祷や占術、呪術と自ら学び、戦の際には運気や戦術を占っては指南していた。
「――佐羽狩には憑いている」
頭首は姫の言葉を反芻して鼻で笑う。
「それは承知だ。佐羽狩だけがその腰に刺した宝刀を握ることが出来た唯一だ。だから儂が引き取った」
そう姫に言ってのけ、豪快に笑った。
剣士だった佐羽狩の父が亡くなり、佐羽狩はこの宝刀と一緒に寺へ預けられた。その伝家の宝刀を握れば、誰もが体を痙攣させ時には心臓が止まる者さえ出たという。だが佐羽狩だけは動じず、その宝刀を持てば力すら与えられた。その父の残した宝刀を携え、佐羽狩は元服を待たずして武者修行に出た。剛腕の剣士の名はあっという間に世に広まった。そしてこの領主にその見事な腕を買われ雇われたのだった。今じゃ最強の家臣でありこの西の国の名武将だ。
「そういうことではございません、父上」
姫の眼差しは鋭かった。笑みもなく頭首を従えさせるほどの意気込みがあった。
「佐羽狩は闇を連れて戻ってきました。何やら不穏な者が憑いているのです」
***
この問答が事の始まりで、陀璃亜に腕を引かれ、否応なしに祈祷へ連れて行かれたのだった。
祈祷師もまた、確かに怨念を引き連れていると言っていた。体調も良好、折れた足も腹の傷も完治し、変わりなく過ごしている佐羽狩にとっては信じがたかったが、思うところももちろんある。
――戦で散った者たちの亡霊、そして名も知らぬまま別れたあの女もまた亡霊かもしれないのだ。
確かに聞いた、山に轟いた唸り声、そして微かなすすり泣き。
あの女も、荒れた集落も、亡霊たちの怨念が見せた幻影だったとしても、もう一度この目で確かめたかった。
戦以外に執着することなど無かった根っからの武人であった己が、なぜこんなにあの山に、そしてあの女に執着するのか不思議だった。
あの女が亡霊ならば、なぜ自分を助けたのだろうか? なぜ献身的に尽くしてくれたのだろうか?
いや、亡霊であるはずもなく、あの集落ごと山の異変に巻き込まれていたならば、すぐさま助けてあげなければならない。そう思えば血潮が熱くなり、居ても立っても居られない衝動に駆られてゆくのだった。
引きずる思いに掻き立てられれば、今すぐにでも戻りたかった。
佐羽狩は、腕の立つ武者達を連れて麓の村と山の異変を視察に行きたいと嘆願した。
視察というが、そんな悠長なものではない。魔物がいると確信をしている佐羽狩にとっては魔物討伐だ。
頭首は腕組をしたまま展望を企んだ。




