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騎士ベルリオーズとマドッグ1

 第二章 



 掌があった。



 いつの間にか痩せて丸みが失せ、皺が寄り、色も悪くなった掌。


 彼はそれを見つめながら考えた。


 自分が老いたと彼は悟っている。今まで出来ていたことが出来なくなっている。


 一昨年跳び越えられた川に落ち、去年倒せた敵に苦戦する。彼の冒険者としての時間は過ぎ去ろうとしていた。


 彼は自分が冒険者であることを誇りに思っていた。


 確かに貧乏でしがない浮き草稼業だ。だがそこに誰もが憧れる自由と夢が混在している。

 実際、冒険者としての日々は楽しい物だった。毎日充実して、満足して眠れた。



 もう過去だ。



 今ここにいるのは中年を過ぎた、何も持たない男だけ。


 彼はそっと整えた口ひげを撫でた。


 決してイニシアティブを相手に取られてはならない。それは人生にとってもそうだ。

 彼は決心した。最後の博打に打って出るのだ。



 ローデンハイムの騎士ベルリオーズは、愛馬ブラックウインドに跨り、自分の領地へと急いでいた。


 ブラックウインドは今日も疾風のようで、従者のハワードは彼を追うために苦労して馬を操っているみたいだ。


 ふ、と笑みを浮かべて愛馬の足を緩める。従者に心を砕くのも騎士としての礼儀だ。


 ブラックウインドは心得たように一度いななく。


 ベルリオーズはその黒い背中を数回撫でた。


 ブラックウインドの名の由来は黒い馬体と風のように走る姿からだ。強い馬でベルリオーズがプレートメイルで完全武装していても、その速さは変わらない。


 騎士にとって軍馬は命の次に大事な物だが、ベルリオーズにとってもこの俊足の黒い馬は何にも代え難い大切な相棒だった。


 夏の太陽は熾烈だ。ベルリオーズは一度それを睨みつけると額の汗を拭い、森の近くの涼しい自分の領地を思った。 


 ベルリオーズが領地へと走るのには意味がある。下らない決闘騒ぎを無視するためだ。


 勇士決闘……バカバカしいその話は当然本人の耳にも届いていた。 


 ベルリオーズはすぐにコンモドゥス王に諫言した。しかし王は黄色っぽい目で見つめるだけで彼の言葉を避け、呆れたベルリオーズは領地ワイズニスへと帰ることにした。


 ──全く、王のおふざけには着いていけない……あるいはこれを機にリキニウス公に着くべきか。


 ベルリオーズはブラックウインドが起こす風の中で今後の身の振り方を考えていた。


 そんな彼の目前に突如乱立する木の杭が現れる。


 ベルリオーズは慌ててブラックウインドの手綱を引っ張った。


「何だ?」周囲を見回す。


 右手に森がある何の変哲もない街道だった。ただ馬を妨害するための杭が立っている。


 ブラックウインドが激しく暴れ、ベルリオーズは力で愛馬を落ち着かせる。


 土埃が沸き立ち周囲がしばし曇った。


 どうどう、と愛馬の体勢を立て直し目を上げると一人の男が立っていた。


 にやにやと嫌らしい笑みを口辺に漂わせている。


「何者だ! 無礼な」


 ベルリオーズは憤慨して誰何する。これは明らかに彼達の通過を阻もうとする行為だ。



「俺はマドッグさ」



 ──マドッグ。


 ベルリオーズはしげしげと観察する。


 男は髪を後ろに流し、口ひげを整えている。一見見た目に気を遣っている風だが、所詮下賎、所々に綻びがあった。


 ベルリオーズは勿論マドッグについての情報は得ていたが、どこか目の前の人物と一致しない気がしていた。


「……もう布告は聞いているんだろ? ベルリオーズさま」 


 マドッグの言いたいことはベルリオーズにも判る。


 勇士決闘だ。それを求めてこの男は現れた。


「貴様! 無礼な!」ようやく追いついた従者のハワードが開口一番に怒鳴る。


「たかが冒険者風情が騎士の前に立つとは」


「これからもっと無礼なことになるがね」 


「何だと!」ハワードは激昂するが、ベルリオーズは冷静に「待て」と彼を制する。


「マドッグとやら、無益なことは止めろ。こんな戦いは無意味だ」


「無意味なのはあんた等だけだ、騎士様よ」


 マドッグは嘲弄するかのような口調だ。


「うーむ」ベルリオーズは改めてマドッグを見つめる。


 軽装だ。胸部部分に革鎧。防具はそれだけで、手には槍、腰に吊してあるのは細い針をそのまま大きくしたような武器・エストックだけ。


 ベルリオーズは少し吐息して決断した。


「よかろう、決闘とやらに乗ってやろう。見届け人は誰だ?」


「あんたが連れているだろう?」


 ベルリオーズが振り返ると、驚いたようなハワードがいる。


「ただし公正なのかは判らんがな」


 マドッグの言葉にハワードが怒声を上げた。


「貴様、私を侮辱するか?」


 腰の剣に手をかける従者を手を上げて抑え、ベルリオーズは念を押す。


「いいかハワード、この決闘には私の名誉がかかっている。どんなことがあっても公平に……誓えるか」


「誓います!」ハワードは胸を張ったが、すぐに不安そうに眉を下げる。


「……しかしベルリオーズ卿、このような者など無視すればいいのです。何もみすみす危険なことを……」


「王の命令だ」


 ベルリオーズはぶっきらぼうに答えた。彼は元より勇士決闘には反対だ。だが挑まれたのなら何者にも負けぬ矜持はあった。


「マドッグ、こちらが用意する時間はあるな?」


 ベルリオーズの問いに、マドッグは肩をすくめる。


「当たり前だ。そうしないと不意打ちになる。とっととやってくれ」


 ベルリオーズはマドッグを目の端に捉えながら油断無く愛馬から下り、ハワードに甲冑を装着するように指示する。


 まず専用の下着を着て、その上から鎖帷子、そして板金の鎧。時間はまあまあかかるが、マドッグは槍をぶらぶらさせて待っている。


 鉄製のヘルメットを手にマドッグにもう一つ訊ねた。


「場所はどこだ? 決闘はどこでやる?」


「ここだ」 


「…………」ベルリオーズはヘルメットを被り、ブラックウインドに乗るとバイザーを下げた。


「用意完了か?」


「ルールは知っているな」


「ああ」マドッグの笑いを湛えていた口辺が引き締まる。


 ハワードが静かに彼等から離れた。


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