マドッグとミュルダール1
月が目玉のようにミュルダールを見つめていた。
彼女は苛々と足踏みをして、相手を待っている。
「何がー、夕方だよー」
ミュルダールは何度目になるか辺りを見回す。まだ薄いが夜のとばりが、すっかり被さってた。
「女を待たすー、男はー最低なんだよー」
ぶつぶつとミュルダールは愚痴った。
と、ようやく待ちこがれたていた人影が街道に現れる。マドッグらしい長身と、何かちっこいのだ。
「遅いー! 遅れて焦らす作戦ー? 私にはー無意味ー」
マドッグに噛みつきながら、ミュルダールは苛立ちに震える精神を一瞬で沈めた。
「おやー」と彼女はマドッグ連れてきた小さな影に、目を向ける。
まだ十歳くらいの女の子だった。
「なになにー? 可愛いねー」
ミュルダールがしゃがんで頭を撫でようとすると、女の子はマドッグの背後に隠れる。
「そいつが今日の見届け人だ……名前はエリナ……浴場主の娘だ」
マドッグの説明に、ミュルダールは少し寂しそうな表情になる。
「そうー」彼女も知っている、浴場主は賎職だ。この娘もずっと馬鹿にされて行くのだろう。
「あのねー」とミュルダールはしゃがんだままで、エリナに語りかける。
「生まれなんてー関係ないんだよー。だからーあなたも私みたいにー頑張ってー、みんなをー見返しちゃいなさいー」
エリナはマドッグの陰からきょときょとと、彼女を見上げた。
「うふふー」
「さて、もういいだろう」
マドッグが短く宣言する。
「そうねー」とミュルダールも二百年使い込んだ木の杖を構えた。
「決闘なんてーヤだなー」
「仕方ねえ」
「恨まないでねー」
ミュルダールは自分の魔法の強さを知っている。正直ローグでしかないマドッグに勝てる目があると、彼女には思っていない。
だがふと、彼女はマドッグとの会話で散漫になっていた精神が鳴らす危険信号を聞いた。
「あ! ちょっとまったー。何かー変だよー」
「問答無用だ!」マドッグがロングソードを抜いて、エリナが街道の横の芝に走って行く。
ローグ・マドッグVSハーフエルフのソーサラー・ミュルダール。
「ちょっとー、聞いてよー。この気配はーヤバいんだよー」
ミュルダールが魔力の目で周囲を観察すると、明らかにこちらに敵対している霊が、集まって来ていた。
無念のまま無惨に殺されるとアンデッドになり、生きている者を激しく憎み、見境無く襲い始める。
「マドッグー、決闘どころじゃー、きゃっ」
ミュルダールはマドッグの剣を横っ飛びでかわした。
「人の話をー、聞けー」
「言葉はいらない、言ったろ?」
「でもー」
ミュルダールが焦るのは自身の事ではない。彼女の手にかかればアンデッドなんて何とでもなる。しかし……。
彼女は芝でしゃがむエリナが気になった。案の定見えていないようだが、白い霊体に捕まっている。
「危ないっ!」
ミュルダールはマドッグと、自分のアホ設定を忘れた。
彼女はきょとんとしているエリナに走り寄ると、彼女の体を抱く。
「いい、そこで静かにしていなさい!」
「え?」ようやく表情を動かすエリナの前で、霊体は姿を成していった。
くるくると空を燃えながら飛ぶファイヤースカル。白い霧が集まったような人間の何倍もあるアンデッド、スペクター。
それらが何体も実体化し、街道を浮遊していた。
「ひっ」ミュルダールの胸のエリナの体が硬直し、ミュルダールの腕が生暖かくなる。
少女が漏らしたようだ。
「ごめんなさいつ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! もうしませんっ!」
こんな時なのに、エリナは激しく涙を溜めて謝る。
ミュルダールは悟った。この子はこうして少しの粗相でも酷い目に遭わされて、育ったのだと。
「大丈夫よ」ミュルダールは出来るだけ優しく微笑んだ。
「私も怖くて漏らしそうだもん」
彼女は腕の中の少女に愛おしさを感じ、反対に彼女を怯えさせたアンデッドどもに、怒った。
「まさか、このミュルダールの前に現れて、安穏と墓に戻れるとは思ってはいないだろうな?」
マドッグはいつの間にか消えているが、今の彼女にはどうでもいい。
とにかくエリナを守る。