異世界転移者の悩み
白矢は身動きしない木の壁の前で、困惑していた。
宿屋の扉だ。しかも彼が借りた織恵との部屋の。
「あのー」と何度目かの声をかけた。
「ミュルダールさんの使い魔が来て、決闘についての話しがあるらしいんだけど」
ばたん! と扉が大きく鳴る。中の織恵が何かぶつけたのだろう。
はあ。白矢はその場に座り込みそうになる。
あれから織恵の機嫌は悪い……どころじゃない。泣きじゃくる彼女を宿に運ぶと、部屋に閉じこもってしまった。
白矢が入ろうとすると「入らないで! 汚い!」と研ぎ澄まされた刃のような目で見てくるから、怖くて出来なくなった。
食べ物は宿の夕食を失敬して運ぶが、扉は開かず仕方なく皿を扉の前に置いて、一声かける。
次に見たときはなくなっているから、どうやら食べているようで一安心だが、姿は見せない。トイレにも出ないから、中でおまるを使っているのだろう。
あんなに嫌がっていたのに……浴場にも誘ったが返事はなかった。
──そんなに俺と顔を合わせたくないのか……
消沈する。
確かにミュルダールとの一件は少し早まった。だがそうしないと殺されていたかも知れない……否、白矢は激しく頭を振る。
負けたのだ、欲望に。ミュルダールの美貌に、誘惑に。
白矢は激しく自責する。性に関しての自分の甘さにだ。そこに関して潔癖な織恵に正式に謝罪したい。欲望まみれの己を断罪して欲しい。
だが今は約束が迫っていた。
「行ってくるよ……織恵」
白矢は返事のない扉に、呟いた。