地母神の司祭2
「これは……」
ブローデルはマドッグの家に入るなり、眉を潜めた。
「どうやら急がなければならないようです。ここには死の気配があります」
急いで彼はベッドのソフィーに、近づいた。
祈るようなマドッグの前で、まさに地母神への祈りを捧げる。
「慈悲深きエルジャナよ、どうかこの者の傷を癒やしたまえ」
ブローデルがソフィーに向けた掌が、光る。
ソフィーの呼吸が大きく、規則正しくなっていった。
「ああ」マドッグは腰の力が抜けるのに耐え、ソフィーの傍らに寄る。
「ソフィー……」
「……マドッグ」ソフィーの瞼が弱々しく痙攣し、だがそっと開かれる。
と、彼女の目に、見る見る涙が堪っていく。
「ごめんなさい……マドッグ……ダメだった……ごめんなさい」
マドッグは意味が分からなかった、何故、彼女は謝るのか。しかしすぐはっとした、彼女の膨らんだ腹部が平らだ。
「こちらの赤子はダメですな。産まれるのが早すぎた」
ブローデルの言葉に振る帰ると、先程彼女が倒れていた血溜まりに、赤黒い塊があった。
知らずにマドッグが踏んでいたモノだ。
「ああああ」マドッグは闇に落ちた。
子供だ。それはマドッグとソフィーの子供だった。
ソフィーは流産したのだ。
恐らく原因は病だろう。
マドッグは子供を楽しみにしているソフィーの微笑みを思い出して、その場に這い蹲った。
慟哭。
──また子供を、子供を失っちまった! 家族をまた失った! 俺のせいだ……決闘なんかほっといてソフィーに着いてやるべきだった……俺は馬鹿野郎だ!
暗黒の中でマドッグは足掻いた。足掻いて足掻いて苦しみに耐えた。奥歯は軋み口内に血の味が広がる。
「……マドッグ……ごめんなさい……ごめんなさい」
ソフィーが譫言のようにまだ謝っている。マドッグは渾身の力を込めて、自分の体を持ち上げた。
全力で微笑を作る。
「大丈夫だ……ソフィー……こど……子供は……また作ればいい、そうだろ? ……俺達には時間はいくらでもある」
「……マドッグ」ソフィーがむせび泣き始める。
マドッグは魂が握りつぶされるのを感じながら、彼女の手を取った。
「よろしいか?」
様子を見ていたブローデルが、控えめに話しかけてくる。
「なんでしょう?」
「……少しこちらに」
マドッグは後ろ髪引かれながら、彼について外に出た。
「奥方の傷と血は戻りました……が、私の奇跡はあくまでも傷を治すだけです。病の方は……」
ブローデルは言いよどんだが、マドッグには判っていた。
そもそも癒しの奇跡さえ庶民が簡単に受けられる類の物ではない。一度につき法外な寄付がいる。
今のマドッグには幸運にも払える金があった。
「……わかりました」
マドッグは答えた後、犬歯をむき出した。飛びかかる狂犬のように。
「ブローデル殿、明日今回の金貨を渡します……が、その後決闘をして下さい」
「決闘?」ブローデルの眉根が寄る。
「勇士決闘ですかな? マドッグ殿」
どうやらブローデルはマドッグが決闘相手だと、知っていたらしい。ならば話は早かった。
「そうです」
「お待ちなさい、エルジェナに伺ってみましょう」
ブローデルは目をつぶる。答えは簡単に出た。
「よろしい、女神もそれを望んでおります、しかし明日は忙しい身、明後日はどうでしょう?」
「では、明後日街の外で」
マドッグはブローデルに、詳しい場所を示した。
「わかりました……では、これで」
ブローデルは深々と頭を垂れると、背を向けて歩き出す。
──これしかねえ。
マドッグは、戦いから身を引くはずだったマドッグは、決心していた。
──決闘だ。勇士決闘だ。それで金を稼ぐんだ……ソフィーの治療のために薬を買わなければならないし、浴場で医療も行わなければならない。
「それに」
黒一色に塗りつぶされたマドッグの瞳は、遠く浮かぶ大聖堂を睨んだ。
「もしもの時は決闘者を皆殺しにして賞金を貰い、大司教ドミニクスの奇跡でソフィーを治すんだ……そうだ、ソフィーのために皆殺しだ」
マドッグの瞳は闇の中でぎらぎらと輝いた。




