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前奏曲一

 第一章


 ローデンハイム王国のガギギドル城は戦勝に沸き返っていた。


 マータイル平原の戦いで、彼等は再び人類の敵たる混沌の軍勢を退けたのだ。しかも報告によると騎士達に死者も負傷者も出ない圧勝だったらしい。


 ガギギドル城の大広間では早くも戦勝パーティが開かれていた。


 貴金属や鏡で光を乱反射させる蜜蝋のシャンデリアの下、楽士達が陽気な音楽を鳴らし、道化師は稼ぎ時とばかりにジャグリングに精を出している。


 集まった貴族や騎士達は一夜のロマンスを夢見て貴婦人達に集まり、並べられたアントルメ(滑稽に飾り立てられた料理)にさざ波のような笑いを起こしている。


 ……だがローデンハイムの国王・コンモドゥスの顔色はさえなかった。


 彼には王として考えなければならない懸念があった。



 弟が来ない。



 戦勝パーティに招待した弟のリキニウスの姿がない。否、考えてみれば最近いかなる催しにも彼の姿はなかった。


 となると王としてコンモドゥスは憂慮しなければならない。


 リキニウスの妻はローデンハイム北部のパリューンド領を領地として持っていた未亡人で、彼女と結婚したリキニウスは領地だけで言ったらコンモドゥスより大きかった。


 王とは反逆の気配に常に怯えている存在だ。


 コンモドゥスは混沌の勢力などよりも、よっぽど弟の動向の方が気にかかった。


 何せリキニウスの妻の弟のギガテス伯は、その勇猛さと華麗さで民や騎士達から非常に人気がある。


 ギガテス伯が一声かければ数千の兵などすぐに集まるだろう。


 ……そうなれば……


 コンモドゥスの持つ銀の杯が揺れ、果実酒が数滴落下していく。


 ……そうなれば……


 彼は改めて大広間に集まった騎士、貴族……領主達を見渡した。


 忠臣面しているが、彼等が皆コンモドゥスに着くとは考えていない。領主などは自分の領地を守るためにいつでも旗を翻す連中だ。


 リキニウスは幼い頃、常に兄の後ろに着いてきた内気な少年だった。だが今は自らの王国の旗を揚げる機会を窺っているように感じられた。


 コンモドゥスは杯を開けた。


 喉から入ってくる果実酒の感覚が、食道を不快に這っていく。


 戦勝パーティなど開いている場合じゃないような気がして、コンモドゥスは焦燥感に駆られた。


 腰を下ろしている玉座が妙に居心地が悪い。彼を拒絶しているようだ。


「誰か……」


 コンモドゥスは空になった杯に酒を満たそうと声を上げた。だがそれはリュートの音色によってかき消された。


 美しい旋律と見事な歌唱。


 コンモドゥスが目を見張ると、視線の先に一人の青年が立っていた。


 ……エルフか。


 すぐに見抜く。何よりも槍先のように尖った長い耳が正体を語る。そしてエルフの例に漏れず青年は美しかった。


 長く真っ直ぐ伸びた灰色の髪と、美神に愛されたとしか思えぬ整った容貌。だがそれはどこか性差を感じさせず、中性的で匂い立つような肉の魅力には乏しい。


 典型的な妖精の姿だ。


 コンモドゥスは訝しんだ。


 人間とエルフ族は断絶して久しい。なのにこの場にその姿があるのは奇異だった。


 すぐに頭をもたげた不審を忘れてしまう。


 吟遊詩人らしいエルフの歌が、コンモドゥスを捉えたのだ。


 内容は彼が幼い頃から好きだった騎士王ライデルの武勇譚で、ライデルが英雄騎士のモラッドと竜を退治し、王国に平安をもたらすものだ。 


 コンモドゥスはただ呆けてエルフの歌に耳を傾けた。


 居並ぶ騎士や貴族、特に貴婦人達もうっとりとエルフを見つめている。


 ふと彼は歌が変わったと気付き、コンモドゥスははっとする。


 それはいつの間にか、リキニウスの義弟ギガテス伯を讃える物となっていたのだ。


 ぎりりとコンモドゥスは歯を食いしばった。


 憤慨した彼だが、怒鳴って制止すると自らの不安を諸侯に見透かされてしまう。無理に笑顔を作り、憎き相手の歌を聴いた。


 誰にとっても幸運なことにギガテス伯の歌はすぐに終わった。そもそも歴史に刻まれた他の英雄達に比べれば、ギガテスなどの武勲はたかが知れている。


 コンモドゥスは玉座の杯を置くと、広間から出た。


 エルフの吟遊詩人をもう目にしたくなかったからだけではない、尿意を催していた。


 コンモドゥスは赤い絨毯を踏みしめ、壁の燭台の蜜蝋の灯火は揺れた。


「……陛下」


 控えめな声は背後からかかった。


 振り返ったコンモドゥスは驚き、怒った。


 先程のエルフの吟遊詩人が、頭を垂れていたのだ。


 コンモドゥスは王である。その王にエルフの吟遊詩人などという下賎の輩が簡単に話しかけるなど、無礼にも程がある。


 コンモドゥスは周囲を見回す、配下達にこの無礼者を城から叩き出させようと考えた。


 だが普段ならそこら中で警護している兵士の姿が、何故か今はなかった。


「陛下……」


 エルフは今一度声を出し、コンモドゥスは腰の剣の柄を掴んだ。


「何用か! 無礼な。そちの目の前にいるのはローデンハイム王であるぞ!」


 コンモドゥスが一喝するとエルフはさらに深く頭を下げ、しかし切れ長の目をちらりと上げた。


「英雄をお求めですか?」


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