異世界転移者3
「用心しろ、小僧」
冒険者の一人が肩を叩く。
「この街にはマドッグって言う冒険者がいる……まあまあいい奴だったんだが、勇士決闘の件でどうにかなっちまって、恨みもねえ騎士を殺したり……今度は相棒のレイチェルも殺した」
彼は忌まわしい話でも語るように、顔を歪める。
「ああ、俺もアイツにはがったりしたぜ。少し憧れていたんだがな」
同様の頷きが冒険者達の中で起こるが、白矢はそれどころではない。
つまり、マドッグとか言う奴に狙われる可能性大なのだ。
「早くこの街から出な、悪いことは言わない」
ギルドの受付に哀れんだ目を向けられ、二人はその場を辞した。
「いったいどういう事よ!」
織恵は荒れていた。
「どうしてそんな馬鹿なことを」
彼女はぶつぶつと繰り返し、燃える瞳で白矢を見つめる。
「もうこの街から出ましょう! 余計な争いは無意味だわ」
だが白矢はそんな織恵の顔を、じっと見つめた。
白い顔に疲労の色がはっきりと出ていた。ここまでの野宿が応えている。あるいは数日前食べた果物でお腹を下したのもあるかもしれない。
「でも、今日くらいは宿に泊まろう」
白矢は優しく提案する。
「…………」織恵は反論しようとしたのか口を開いたが、ややあって顔を背ける。
無理をしては元も子もないのだ。
白矢は街の真ん中を流れる川に沿って歩く。彼はもう経験として知っている。
大体宿屋とは川沿いにあるのだ。……ある目的から。
その通り、彼等はすぐに宿屋の看板を見つけた。
木と石で造られた三階建ての建物で、一階は当然酒場になっているよく見る形の宿だ。
「あったね」しかし声をかけた織恵の表情は、優れない。
「そうね」と答えながら、じっと宿屋の外観を目でなぞっている。
白矢はため息を吐いた。
この世界に来て少女達が最も苦しんだのは至る所の不潔さだ。床は藁の敷かれている木造で掃除の気配もない。
出てくる食器には前に使われた食べ物がついている。ベッドは干し草の上にシーツをかぶせただけで、それも一日横になると全身虫に食われて、かゆくて溜まらなくなる。極めつけはトイレだ。
白矢は宿屋の汚れた木の壁を見つめながら、せめて中にトイレがあるように、と祈った。
街の建物だとしても基本的にトイレは外だ。
街の外れにある共同のトイレ……しかもそこは一九八〇年代の女子が泣くほどの有様である。
ただ壺が置いてあり、その上の板に乗ってする。トイレットペーパーは運がよければ干し草があり、無ければ自分でどうにかする。
しかも男女共用であり、途中で見知らぬ男が入ってくるなんてざらだ。
臭いや衛生面については、記す必要がない。
恐らく織恵はそんな地獄のようなトイレを思っているのだろう。ただそれについて多分ダメだと白矢は踏んでいる。
こうして川を背にしているのだ。恐らく部屋に木で造られた桶形のおまるがあり、それにして川に放る仕組みだろう。
当然、この仕組みが一番女の子に評判が悪い。何せ人前で排泄しなければならない。彼女らの矜持を切り裂く代物のはずだ。
とにかく沈み気味の織恵を伴い、白矢は酒場へと入った。
どんなベッドでも野宿よりはマシだからだ。運がいいと風呂がある事もある。
まだ陽があるのに酒場の中は暗い。
明かりとなる蝋燭がほとんど無く、光源は開けられた窓だけに等しい。目をこらし何とか様子を窺うと、数人の男が日も暮れていないのに酒を飲んでいた。
よくある事だ。
酒場の隅で目つきの悪い男達が、カードゲームに興じているのもよくあること。
白矢は気にせず、しかし織恵を庇うように背にして酒場を進んだ。
視線を感じた。だがお馴染みだから無視する。当然という顔をしていれば何とかなる物だ。
だが今回は違った。
「見たことのねえ顔だな」
笑いを含んだ野太い声と、太い足が彼等の行く手を遮った。
白矢は視線を向け内心ぎょっとする。
大きな、白矢よりも頭二つ分でかい巨人だった。体は筋肉でぱんぱんに張り、それを誇示しているのか、上半身は殆ど裸で下半身も腰だけに革の衣服を纏っている。
だが何よりも彼の心を強く潰しかけたのは、男の顔だ。
醜くかった。
顔の造作とかそう言う問題ではなく、野獣と人間の間のように低い鼻は上がり、口はでかく、目は小さい。さらに下の歯の一本が長く尖り唇からはみ出していた。
「へ、どうした? 何をびびってやがる」
恐らく白矢の内心を喝破したのだろう、男はまだ笑っているが目に凶暴な光が灯っていた。
──どうする?