間章3
「ル……ルベリエだ」
マドッグの口が一度開かれたが、それが閉じる。
得心いった。そう、納得した。それはあり得るのだ。
マドッグの手から力が消えていたらしく、受付は彼の指からすり抜けると、阿るように微笑む。
「マドッグ、勇士決闘もいいんだけど、こっちもやってくれないかな? 南の街道にヤバい死霊が出るらしいんだ。しかもかなりの数……金貨一枚の大仕事だ」
マドッグはもう背を向けている。彼はルベリエを探さなければならない。
人の名前を騙って勝手に決闘を始めてしまった、パーティの仲間を。
ルベリエはどこにもいなかった。
マドッグは酒場から鍛冶屋、宿屋、散髪屋、水車小屋まで覗いたが、あの伊達者の姿はない。
しかたなく途方に暮れた足取りでソフィーの待つ家に帰る。それしかもうなかった。
「マドッグ」
ソフィーは相変わらず輝くような表情で出迎えてくれた。
「ああ、ただいま」
まるで何も懊悩など無いかのように振る舞うと、ソフィーの青みがかった唇に自分のを重ねる。
「待ってて、スープをよそうから」
ソフィーは病気であることを露とも見せず、リスのようにくるくると働き出し、マドッグは愛くるしい姿に本当に悩みを忘れた。
だが、からんと音を立てて彼女はスープの入った木の椀を、床に落とす。
「どうした? 珍しいな」
マドッグは何でもないようにそれを拾って彼女に差し出そうとするが、そこではっとする。
ソフィーは蒼白な顔で立ちつくしていた。
「どうした?」
マドッグが訊ねると彼女は両手で顔を覆う。
「ごめんなさい、また落としちゃった……ごめんなさい」
「何だよ、こんなのよくあるミスだろ? どうしたんだよ」
「違うのマドッグ! 違うのよ!」
ソフィーは激しく頭を振った。
「お店でもこうだった、今までそんなこと無かったのに、すぐお皿を落としちゃった……私の手がおかしくなったの!」
マドッグは無言で優しくソフィーの手を握る。
爪先が焦げたように黒い。
この病を巷では『火神の災い』とか呼んでいる。手足の先が黒ずみやがて死に至る。
マドッグは激しく嗚咽するソフィーの肩を抱いて、彼女が落ち着くのを待った。
──金貨一〇〇枚か。
マドッグの心はいつの間にかそこにたどり着いていた。
──それだけありゃあソフィーに医療を施せる……『英雄的治療法』(ヒロイック・メディシン)も試せる。
彼の心は激しく揺さぶられた。
──ルベリエの奴、金はどうしたんだ?
翌日、何とか泣きやんだソフィーと抱き合って眠ったマドッグは、早朝のノックに叩き起こされた。
「何だよ。うるせーな」
寝ぼけ眼で扉を開けると、仮面のように無表情のレイチェルが立っていた。
「マドッグ、来て」
「どうした? こんな朝っぱらから」
「いいから来て」
感情豊かなレイチェルにしては棒のような言葉だ。
「……ルベリエが待ってる」
マドッグはすぐ決心した。
彼はまだ眠っているソフィーを起こさないように素早く鎖帷子を着用すると、愛用のロングソード、そして鎌状の剣ハルパーを腰に吊す。
何があるか判らない。彼の本能は赤信号を点滅させていた。
早朝の街は人通りが少なかった。肉屋が堂々と店の前の通りで豚の解体をしている。
普段なら悪臭に悪態をつくレイチェルだが、やはり無言でその脇を過ぎる。
マドッグはレイチェルに誘われ、市壁の外、街の外に出た。
街道から外れ石壁に沿って進むと、壁に背中を預けているルベリエがにこやかに立っていた。怪我でもしたのか、顔半分に黄ばんだ包帯を巻いている。
「ようマドッグ」
「……納得できる言い訳があるんだろうな?」
にやにやしているルベリエに、マドッグは冷たい視線を返した。
「普通金貨一〇〇枚か? あれは半分は渡すが半分は俺にくれよ」
「ふざけるなっ!」
激昂するマドッグに、ルベリエは壁から離れる。
「聞けよ! これはチャンスだ。このロクでもない場所から逃げ出せる。もうこれしかないだろ? お前もどうしようもない冒険者なんて状態は真っ平だろ?」
「それで、ギルドの身内も殺していくのか?」
「そんな奴らは他人だ」
そっぽを向くルベリエにマドッグは笑う。
「で、お前が殺した騎士の復讐は俺が引き受けるのか?」
騎士には復讐権と言う権利がある。教会がそれを認めれば、彼等は身内の騎士達を動員してやってくるだろう。
マドッグと名乗った騎士殺しに復讐するために。
「大丈夫だって」ルベリエは大仰に手を広げる。
「これは王が決めたことだ。復讐権については何てとかしてくれるって……俺だってお前の名を出すのは気が引けたさ。でも選ばれたのは俺じゃない、お前だ」
「ああ、そして俺は決闘なんて馬鹿げたことに興味はない」
「マドッグ、考えろよ。ソフィーだ、彼女の病気だって治せるんだぞ? 浴場で医療を受けさせられるし、貴族様が飲んでいる薬……『英雄的治療法』だ」
それはマドッグの弱点に突き刺さる。彼の脳裏に病気を嘆くソフィーの姿がよぎった。
「俺は陰でおまえらをサポートする……勿論タダじゃないが、それで俺達は圧倒的に有利だ」
「……そうね有利ね」今まで黙っていたレイチェルが、艶めく唇を開いた。
「あたしがね!」
レイチェルはすらりとレイピアを抜く。