間章1
第三章
朝日が地平線に光の線を描いていた。
常に朝は何事もなかったように始まる。昨夜の血にまみれた大地を忘れたように。
崩れかけた坑道の入り口から、鎖帷子の男がふらふらと出てきた。革鎧の美女も続く。
マドッグとレイチェルは丸一日かけた探索を、ようやく終えた。
成果は……レイチェルは不機嫌さを隠さず、ブーツで地面を蹴る。
冒険者ギルドの仕事だ。内容は、坑道に住み着いた混沌の者を倒せ。
当初、レイチェルは珍しくやる気に満ちていた。何せ、この坑道は金鉱山の跡なのだから。
「金の塊の一つもあるわよ」と目を輝かせた。
だがいたのはゴブリンわんさかで、あったのはがらくたばかり。
時にゴブリンは金目の物をため込む事がある。レイチェルはそれを頼りにいちいち怪物の死体から袋を取っていたが、めぼしい物など何一つ無かった。
結局いつもどおり装備をかっぱぐだけで、徒労だけが残った。
これで周辺の村が平和になった……等と考えるほど彼等はウブではない。
「全く、貴重な時間を費やして何もかもムダ!」
レイチェルの吐き捨てが全てだ。
マドッグは肩を落としていた。彼もソフィーに新しい服でも買えるかと、少し期待していた。
「あーむかつく、とっとと帰りましょ……ルベリエがいないからきっちり半分こね」
レイチェルはかっぱいだ武器の束を肩に、ずんずんと進んだ。
背中を追うマドッグは、疲れていたからなのか、こんな場合なのにレイチェルの背中に見とれた。
ミュルダールとか言うハーフエルフとは違う魅力が、レイチェルの背にはある。
彼女の、戦いを含む冒険で引き締まった均整の取れた体は、男達の欲望を刺激する。
革鎧を着込んでいるのに、娼婦のような扇情的な香りがあった。
レイチェルと最初に出会ったのはもう一〇年近く前だ。街道を歩いていたら何かのうめき声が聞こえ、駆けつけると少女がトロールと戦っていた。
まだ正義感があったマドッグは、すぐに加勢した。
はっきり覚えている。
マドッグが剣を抜いて乱入した時レイチェルの顔に閃いた、蠱惑的な笑みを。
二人は何とかトロールを仕留めたが、今度は剣を向けあった。
トロールが金貨を一枚、持っていた。
「これはあたしのよ! 最初に戦っていたんだから」
その諍いがどうなったかもう覚えていない。ただその夜、街道の外れで二人は情を通じた。
マドッグは若々しい女の体を抱きながら、どうしてこうなったか悩んだ。
レイチェルはどういう生い立ちなのか性に耽溺していて、自らの性欲を隠さなかった。
彼女はマドッグと組むようになってからも、彼を含めてルベリエやその他の冒険者と抱き合っていた。
光の女神アーシュ=リアが忌む姦淫の悪徳を具現化したような女だ。
マドッグはそうと知りながらも、一度彼女を妻にしようと決心した。
たった数秒だけだ。
ある日何でもないように、
「私あんたの子妊娠したから」と告げられた。
父親になる。不思議な感覚だった。
だがだとすれば体裁だけでも整えなければならない。レイチェルを妻にしなくてはならない。子供のために生活を改めなければならない。
彼が父親だったのは数秒だ。
「もう流したから」
彼女はあっさりと、何でもない風に続けた。
何か形容できない感覚が胸にある。その瞬間からだ。
マドッグは胸のもやもやから、レイチェルの背中から目をそらした。
「しけてたね、酒代はあるかな?」
レイチェルはゴブリンの武器の束を叩く。
「あるといいな」
「他人事よね、あんたにだって問題でしょ? ソフィーのために」
レイチェルは振り向き、艶めく唇に硬質な笑みを刻んだ。
「あんな女のどこがいいんだか……あたしの方が抱き心地いいだろうに」
マドッグは何も答えなかった。