騎士ベルリオーズとマドッグ3
ベルリオーズはバスタードソードで斬りかかった。
マドッグはまたあっさりと剣の届く範囲から退く。
「おのれー!」
もはや滅茶苦茶にベルリオーズは駆けた。マドッグを殺す、それだけしか頭になかった。
ざくり、と左腕に何かが刺さり痛みが火のように燃え上がったのは、次の瞬間だ。
唖然としてバイザーから外を見ると、左腕の内側、板金で守られていない部分に、敵のエストックが突き刺さっていた。
ベルリオーズが反射的に剣を振るうと、彼にエストックを刺したマドッグが飛び退く。
「く!」ベルリオーズは血が吹き出る腕を庇いながらようやく悟った。マドッグは全て計算して現れたのだ。
まず槍で馬から引き下ろし、次に針状の武器で板金ではない鎖帷子の部分を狙う。
鎖帷子など所詮針金を丸くして連ねてあるだけの防具だ。確かに刃物の刃には有効だが、尖った武器の突きには無力である。
マドッグはまた口辺をにやにやと緩ませている。
「く、侮るなっ!」
ベルリオーズが剣を振り上げ、マドッグが飛び退く。
何度も何度もそれが続いた。
「貴様! これのどこが決闘だ!」
見届け人のハワードも展開に悪態をついたが、マドッグの行動は変わらない。
ベルリオーズの剣を避ける。
どのくらいそんな攻防が続いただろう。ベルリオーズは突然自覚した。
……体が重い。
彼の動きが鉛でもぶら下げているように、緩慢になっていた。
隙を見逃すマドッグではない。
再び彼の姿が消え、今度は右の腿に痛みが走った。
「うおお」ベルリオーズはその場に片膝をつき、激しい呼吸を繰り返した。
いつの間にか顔は汗でぐっしょり、否、全身から汗が噴き出している。
目の前にはじりじりとした太陽を背にした、マドッグが立っている。
ベルリオーズは息苦しさを感じ、顔を覆うヘルメットタイプの兜のバイザーを上げた。
目に映ったのはエストックの切っ先。
「おお!」彼は転がりマドッグの一撃をやり過ごしバイザーを下げる。
体が酷く疲れていた。息も苦しくて仕方がない。
プレートメイル、そりよりも重装なプレートアーマーとも、地上でもそれなりに動けるようには設計している。倒れたら自分で起きあがれない、なんてことはない。だがこれらを装着するには専用の下着があり、鎖帷子があり、鉄板金がある。
つまりプレートメイルは熱に弱い、熱気を逃がす部分がない。元より馬上の防具だからだ。今のベルリオーズのような地上での激しい動きには向いていない。
辛いのは鉄兜だ。頭部から顔面をすっぽりと覆うヘルメットは暑さの他、呼吸も制限されるし、視界も悪い。
ベルリオーズがマドッグに苦戦したのは、何よりもバイザーの覗き穴からしか、外の様子が見られなかったからだ。
ベルリオーズは必死に乱れた呼吸を整えようとした。だが一度気にし出すと肺の苦しみは増し、火照りすぎた体も悲鳴を上げだした。
「ふ、ふふふふ」
突然、向かい合っていたマドッグが笑い出した。
「どんな塩梅だ? 騎士様よ」
「な、何」
「奪われる気分は、だ……お前達騎士は今まで特権のように他人の物を……財産を、愛する者を奪ってきた、だが今はこうして奪われる側にいる」
マドッグは一転冷酷な無表情になる。
「そう、お前は命さえも奪われる」
ベルリオーズは思わず身震いしていた。彼は戦場で死を予感したことはない。
当然だ。彼は捕らえれば身代金金貨三万枚だ。誰もが殺すより捕らえる方を選ぶ。
目の前の男は違う。
ようやくベルリオーズは、コンモドゥス王の発案の真の悪辣さを知った。
「おおおおおっ!」
ベルリオーズは不平を鳴らす体にむち打ち、渾身の一撃を敵に見舞う。
が、やはりマドッグは、動きが鈍く視界も悪い騎士の攻撃の下にはいなかった。
「騎士は強いんじゃない! ただ固いんだ!」
マドッグのエストックがベルリオーズの左腿を捉える。
深手だ、血が噴き出すのをバイザーの切れ目からもベルリオーズは確認した。さらに動けない。彼は両方の腿に傷を負った。
「ベルリオーズ卿!」
ハワードが武器を手にして乱入しようとしたが、マドッグは「殺すぞ」と一喝して彼の動きを封じる。
ただその場に蹲るだけのベルリオーズは、マドッグに蹴倒され、仰向きにされる。
ベルリオーズはその瞬間、鞭のように剣を振るった。
「うわっ」マドッグがよろめいた。
窮地に陥ったベルリオーズの会心の反撃。ずっと狙っていた攻撃だ。
しかしそれはマドッグの顔に一条の傷をつけるだけだった。
「やるじゃないか」マドッグは血が溢れる顔の左半分に手をやり、ベルリオーズの力を失った右手を踏みつけた。
容易く兜を取られる。
熱した外気を吸ったベルリオーズは、自分の上にいるマドッグに語りかけた。
「待て……私には身代金がある。普通金貨三万枚だ」
ここに来てベルリオーズが思うのは、領地にいる美しい妻ウィーダの姿だ。去年ようやく跡継ぎのエルンストを授かったばかりの、彼の家族。
「待て」
だがマドッグはもうエストックを持ち上げていた。
ここでベルリオーズに疑問が浮かぶ。
確か城で説明を受けた狂犬と呼ばれた戦士マドッグは二〇代の中頃だった。しかし目の前のマドッグは、どう贔屓しても三〇代以上としか見えない。
「貴様……誰だ?」
それが騎士ベルリオーズの最後の言葉となった。
マドッグと名乗った男のエストックはベルリオーズの眼球に突き立てられ、頭の後ろから尖った先が出た。