私、影が薄いんですの。
ツバキの花が咲く、白い大理石の噴水がある庭園で二人は出会っていた。
「貴方だったの。私の運命の人は」
一人の姫がそう答え、もう一人の人物に囁く。
「そうだよ、この大勢の中からやっと見つけたんだ」
「ありがとう、私の王子様。私の事を見つけてくれて……ずっと見つけられたかったの!」
チチチ……チチチ……
鳥の鳴く声がする。
朝焼けの光が雲に差し込み、青と赤のグラデーションを飾っていた。
王国の王城では、早起きした侍女たちがカーテンを開けて周っている。
その王城の一室にて未だまどろみの中にいる少女。
白いネグリジェと茶色い髪、そばかすがぽつぽつと浮き出る素朴な顔。
アンジェ・オリエンタール。今年で12歳になる第一王女だ。
室内は荘厳なベッドや煌びやかな装飾の瓶、そして姫のまとうドレスが立てかけられている。更に、衣服相応の日曜用品が室内には並んでいるが、うっすらと埃をかぶっていた。
その少し埃っぽい部屋に、ぐすぐすと鼻をくすぐられたのか”くちゅん”とくしゃみと共にアンジェは目を覚ました。
のっそりと目をしばたかせながら、まだ侍女が開けていないカーテンを見遣る。
そして”眼鏡、眼鏡”と眼鏡を装着し、世界が明るくなる。
そうだ、顔を洗わなければ。水差しを用意させよう。
執事を呼ぶベルを、チェストから取るとリンリンと鳴らした。
…………しかし、待っても誰も来ない。
ベルをリリーンとそれらしく鳴らしたり、リリリリリン!と激しく鳴らしてみたりする。
しーん。
「”また”ですの?」
自分が鳴らすベルの音よりも、庭で囀る小鳥たちの方が、侍女の気を引いているような気がした。
待てども侍女は来ないので、やっぱり、と諦めたような表情でベッドから這い出て、自身の部屋の扉の前に来る。昨日の着替えを入れた籠の中には、いまだ回収されていない衣服があった。
どうやら普通は、侍女が早朝の仕事として部屋の手入れをして、その際に回収していくものらしいと知ったのは、つい最近のことである。
今日も同じように忘れられていることに、物憂げな顔をする。
……もっと小さかった頃に、衣服がたまり切って問題になったこともあったと思い出す。
衣服が籠に残されたままなのも、部屋が埃っぽいことも、呼んでも誰も来ないことも。
それらが召使いの仕事でありながら、しかし決して召使いの怠慢という訳ではない事を――どうやら自身の、普通ではないらしい事柄が関わっていることを――王女は知っていた。
気付けば毎日そんな様子なので、王女は、それにすっかり慣れきっていた。
王女――アンジェ・オリエンタールは、とにかく”影が薄い”。
“影の薄さを乗り越えて見つけてくれる人”がいつか現れることを願っているような子だ。
王女が何故そのような性質を持つのかは、実のところ明らかになっていない。というのも、このことを問題視されても、すぐに忘れ去られてしまうからだ。
王女は、はじめは皆が遊んでくれているのだと思い、この性質を楽しんでもいた。だがある時、まるで自身が居ないかのように設えられたテーブルを見て、はじめて異常があるのだと気が付いた。
「うっかり忘れていたもので」
呼び出された執事は、何回目かのその言い訳と共に頭を下げた。
この執事は、姉妹揃って父上の誕生日プレゼントを渡すときに、アンジェの分を忘れて来たことがある。
「すぐに支度しましょう、姫様」
侍女がドレスを着た子供用のトルソーから、ドレスを取って支度の準備をする。
この侍女のエミリーは、出会う度に絵本を贈ると親切に言うが、贈ってもらったことが無い。
着替えの支度のためにじっとしながら、姫は侍女たちに聞いた。
「んーっと、どうにかならないの?この前も、掃除を頼んでそのままですの……?」
「ちゃんとしておきますわ」
侍女はそう言って微笑む。しかし、この侍女に頼むとその時だけ良い返答が帰ってきて、大体その後も忘れ去られる。もっとも、他の人に頼んでも似たようなものなのだが。
彼女は私の家具が埃をかぶっているのを知っているのだろうか?
そして、もう何度呼び出すのに声をあげただろうか?流石に疲労してしまいそうだった。
だが、わがままを言うわけにもいかない。
この侍女たちには”私の姿がぼんやりとしてしか見えていない”のだから。
彼らが頑張って衣服を装着させてくれるのも知っている。
そして、私は小さなドレス一つ自分で着こなすことのできない、第一王女なのだから。
アンジェはこの境遇を耐えて寛容に見ることにしていた。
彼らが悪いわけではない、今の影の薄い状態さえ何とかすれば、彼らも動いてくれるはずだ。
そして、いずれ出会う運命の人は、この境遇からきっと私を救ってくれる。
しかし、支度が終わると、またフッと先ほどまで居た姫がいなかったように、侍女たちは談話をしながら執事と去っていこうとする。
「ちょ、ちょっと、待ってくださいですの~!」
威厳もなく、姫は侍女たちの後ろから追いつこうとしていく。
「ああ、姫様。どうぞ、前を歩いてください」
そうやって先頭を開けられるが、厳格な雰囲気は消え次第に談話が始まり、姫が忘れ去られて侍女が前に出ていくというコントを繰り返す。
「……もう!もーですの……!」
小さな怒りと共に地団太を踏み、ふぅーとため息をつく。
アンジェ・オリエンタール、12歳。
周りの人に先を越され、運命の人と出会う切っ掛けを掴むことさえができないでいた。
その日の昼食。
自身の王女の席が無かったために、客人の席についてアンジェは自身の父である陛下に実情を伝えた。
「へいか、私のしつじ達のことですの」
「そう怒るな、アンジェ。お前はよくやっているよ」
何かを察したように、国王は先手を打ってなだめる。
「わたくしは、かんよーにこのことを受け止め、次回のかいぜんを待っております」
「そうじゃな」
うんうん、と二度頷く国王。しかし、その関心はすぐ横の妃へと向く。
「ところで、グレシア。あの剣の名手である騎士が近隣に来ているという噂を知っているかね」
「ええ、知っておりますわ陛下」
后のグレシアは、紅い巻き毛の似合う煌びやかなアンジェの継母である。
彼女は、はっとなって、アンジェの方へ目線をやる。
「あら、話していたの?アンジェ。無視しようと思っていたわけではないのよ」
「ええと……わかっておりますの」
グレシアに他意はない。ただ、影が薄いため話をそらされやすいだけだ。
それは分かっている。
「話を続けますわ。騎士様は気配で人を察知できるほどの腕前だと聞いておりますわ」
「(気配で人を察知することができる……)」
アンジェは思う、もしかしたらその人であれば――この惑わしい影の薄さを取り払い、自分を察知するだけの力の持ち主なのでは?と。
「であれば、きっとわたくしのことも――?」
騎士の噂に心ときめかせるアンジェ。
「丁度明日には此方に着くとお知らせが入っておりますわ、陛下」
「そうかの、近くに来たのであれば挨拶に歓迎のパーティを開くのが道理というもの。グレシア、明日は騎士殿のためにパーティを開こう」
「それは良い考えですわ」
継母のグレシアと、国王の会話がはずみ、あれよあれよと催しの話が進む。
アンジェはパーティにやってくる騎士の事に心ときめかせていた。
「きっと、素敵な方だわ……もしかして私の、運命の人なのですの?」
しかし、そんな期待をするアンジェを置いて、食事は既に片付けられようとしていた。
その次の日の夜。騎士殿の歓迎会として舞踏会が開かれた。
大勢の迎賓の客たちが、王城に押し寄せ煌びやかな紳士服とドレスを纏って来城していた。
だが、影の薄い姫は、騎士の歓迎会である舞踏会への参加も難しいようであった。
中央の庭に家臣と王妃たちは出払い、何より姫には新しい衣装を自分で用意できるだけの力が無い。
せめて窓の外から、その華やかな舞踏をする姿を眺めている事だけが、せめてもの慰めであった。
この出来事に対してアンジェは非常に落ち込んだ。
「どうしようもないですの……」
アンジェが窓辺で一人ため息をついていると、小さな声が聞こえてくるのが分かる。
静かになった城の庭から、その声は聞こえてくるようであった。
「なんですの、うめき、声?」
胸をかきむしるような、かすれて引っかかった歯車のようなきしむ声だった。
ううう……ううう……
「なんて苦しそうな声……」
胸がぎゅっと苦しくなる。
「どうにかしてあげないと……」
だが、ここには忘れっぽい執事も、約束をするだけのメイドの姿もない。
命令できる家臣が居なければ、ここに在るのは自分の足だけだ。
アンジェは行ってあげようと決心した。
そして姫は独り、禁止されている庭へと向かった。
庭は、大人たちが社交の場として使うデートの場として、親しまれていた。
昔、アンジェが庭を利用する客人について尋ねると、刺激が強いからと言って遠ざけられた。
アンジェは深くその意味を理解はしていなかったが、ここで大人たちが奥深くまで入り込んで、小さく口付けを交わしながら愛を囁く場であることは何となく察知していた。
バラ園には、3色のバラがあり、どれも丁重に世話をされていた。
アンジェは声のする方へと、赤いバラの咲く生け垣を曲がっては、次は白いバラの生け垣を曲がるなどをして奥へ奥へと進んでいった。
「こっちから……声が。あの石造りの方ですの?」
そして、バラ園の中に、その小さな塔をみつけたのであった。
子供が探検するためにあるような、小さなアンティークが大きくなったかのような塔。
6mほどのその小さな塔には、小さな扉が付いていた。
鍵はついておらず、きしませながらも、ゆっくりと扉を開く。
「え、なに、これ……」
アンジェはその光景に絶句せざるおえなかった。
石畳の床に人間の形をしたようなものが這いまわっている。
その物体からは、苦しげにうめき声が聞こえるのだ。
ううう……歯車……歯車……
ふと、アンジェとその這いまわる声の主の、光る眼があったような気がした。
「ひっ」
アンジェは、後ろに下がる。
うめき声の主は、這いながらもアンジェの方へと接近してくる。
「怖い!」
アンジェは悲鳴を上げると、扉を即座に閉めてバラ園を引き返した。
無造作にバラ園を走って駆けてゆく。
ドンっと角で誰かにぶつかる。
「君は……!」
バラの芳香と共に現れたのは騎士の姿であった。
なろうでは初投稿です。
お手柔らかに、評価していただけると幸いです。
地味で眼鏡の姫騎士の奮闘に★を送ってください!