恋愛フラグの有効期限 ~10年前に立てたフラグがもうすぐ有効期限外な件について~
【あらすじ】の方ではなんか壮大に書いちゃいましたが、正直そんな大げさな話じゃないです。「ワイにも再会を約束した幼なじみとかおらんかなァ」なんて友人と談笑しながら生まれたような物語ですので、過度な期待はせず鼻クソでもほじくりながらご覧ください (*´ω`*)
『フラグには有効期限がある』───恋愛アドベンチャーゲームとか、ラブコメ物のライトノベルとか、そういった " 作り話 " の中ではあまり見ない仕様だけど、現実世界での恋愛の場合話は別だ。
たとえば。これはあくまで例えばの話なんだけど、ある男の子にはいつも仲良しな女の子がいた。
名を仮に「名瀬矢凪」としよう。
その矢凪ちゃんの家族は、いわゆる " 転勤族 " というやつで、せっかく仲良くなったにも関わらず小学校に上がる前に遠くの街へと引っ越してしまうことになった。当然、彼女は泣きじゃくった。「お別れしたくない」「もっと遊びたい」「一緒に小学校に行きたい」「結婚したい」…年相応なわがままを並べられ、男の子は困ってしまった。
「いつになるかわからないけど、もしぼくたちがおとなになって、それでまたあえたんなら、…そのときはまたいっしょにあそぼう!け、けっこんだってしよう!!」
「やくそくだよ!ぜったいだよ!!けっこんしようね!!!」
泣きわめく矢凪を見ていられなくて、男の子はついこんな約束をしてしまっていた。守ってあげられる保証なんてどこにもない、子供同士の口約束。
まだ幼かった彼らにとって、「大人」という存在はいまいちはっきりとした輪郭を持っていなかった。
「………おとなって、どれくらいがおとななの?」
「ぼくもよくわからないけど、たぶんこうこうせいくらいだとおもう」
「こうこうせいかぁ〜…」
このとき二人が導き出した「大人」の定義、それは「高校生であること」だった。成人した大人から見れば、高校生なんてまだまだションベン臭いガキ。でも、まだ幼稚園生のちびっ子からすれば高校生は十分大人で、そして遥か遠い未来のことだった。
「わたし、こうこうせいになったら、ぜったいにこのまちにもどってくる!で、しょうくんとぜったいにけっこんする!!」
「うん、やくそくな!」
「やくそく!わたし、まっすぐなしょうくんがだいすきだから」
そして交わされる指切りげんまん。嘘付いたら針千本…ではなく、「約束を守ってくれればご褒美をあげる」という限定仕様で執り行われた。そりゃ、針千本は怖いからね。
指切りの約束を終え、夕焼け空の下静かに見つめ合う二人。やがて閉園の時間が訪れ、5時を知らせる町内放送と共にそれぞれの両親に手を引かれ、別々の人生へと歩き出した───
それが約10年程前のお話。
そして現在、
「まっさか、アレが恋愛フラグだったなんてなァ」
男の子の方───「黒崎将吉」は打ちひしがれていた。このかくも上手くいかない現実に。
「高校生になりはや2年。その間矢凪ちゃんに関するイベントは一切無し。俺の片思いが実るチャンスは…もう今日しかない」
「あんた一体いつの話してんのよ。もう10年以上も前の話でしょ?そんな太古の時代に立てたフラグ、どう考えても有効期限外だって」
「うるっせぇ。俺は諦めねぇからな!」
「あ〜あ…そんな過去の恋引きずってるから、女も寄り付かないってもんなのよ」
「一理あるのが悔しいぜ…お前!ちょっとは俺に優しくしてくれよ」
「将吉は女に対して色々舐め過ぎなのよ!愛しの矢凪ちゃんのことといい、女友達である私のことといい、そんな都合良く考えるのがだめだっていつも教えてあげてるじゃない!それが私なりの優しさよ」
さっきから『あんた』、『お前』と呼び合い言い争いに火花を散らしている将吉の相方───名を「鈴宮奏音」といい、彼のもう一人の幼馴染みだ。男勝りな性格と、並の女よりも勝る可憐な容姿とのギャップが人気を博し、学園内ミスコンでは上位ランカーとその名を轟かせている。トレードマークは髪の結び目に垂らされた2つの鈴飾りと「女勝り」の代名詞であるたわわなFカップ。これに落ちない男子はまずいない。将吉を除いては。
「大体、女と居るときに別の女の話なんて…ほんっとデリカシーないよね、将吉って」
「それは理不尽じゃねぇか!?俺たちが付き合ってんなら話は別だけど…」
「つ、付き合ッ───!?」
顔を真っ赤に染め上げる奏音。男勝り…というかやはり " 男っぽい " 性格が災いして、この手の話題に自分の名前が入ると途端にダメになるのだ。
「まっ、たとえ天変地異が起きようともそれはないか。ハッハッハ」
「ッ!デリカシーを覚えろっつってんでしょこのバカショー」
「な!?バカショーってなんだよボケ奏音!今の絶対デリカシー関係なかったよな」
「うるさい!」
…と脛に一発。悶絶する将吉。将吉なりの気遣いが、どうやら裏目に出てしまったようだ。
「いってて…やりやがったな奏音───」
反旗を翻すべく立ち上がる将吉。…が、
「ハイハイ席着けよコノヤロー。HRはじめんぞっつってんのが聞こえねぇかそこの喧嘩ップル共が。独身28歳への当てつけかって訊いてんだよコノヤロー」
と、個人的な妬み70%くらいの叱責によりその進撃は阻止された。…ちなみに今年で29らしい。仕事一筋数十年の彼女にとっては、目の前の青春が羨ましくて仕方がないのだろう。許してやろうぜ?奏音───
「まだ数十年も経っとらんわこのクソガキッ!」
脛の次は額をやられた。それも古語辞典で。崩れ落ちる様はさながら翼を灼かれたイカロスのようであったと、後に奏音の口から語られることになる。…がそれはまた別のお話。さて時を戻そうか。
「そんなこんなで、今日は転校生を紹介するぞ〜」
「出席とるぞ〜」くらいのテンションで宣言された一大イベントを、教室にいる大半が聞き間違いを疑う中将吉だけは決して聞き漏らさなかった。
───ッ、!?転校生…だと!?
俺の翼は、まだ灼き切れてはいなかったようだ。
「先生ッ!その娘の名は!?」
天啓を受け不死鳥の如く再生を果たした将吉は、奏音やその他クラスメートからの冷ややかな視線などに臆する様子もなく声を上げた。
「ったく、単純な奴め。名前はたしか、『やなぎ』…何ていったっけかな」
「やなぎ」………『矢凪』ッ!?
一言に " やなぎ " と言っても、今の将吉の頭に浮かぶやなぎは他でもない彼女の名に当てられていた。言わずもがな、10年前に再会を約束した彼女の名である。
「とりあえず入ってくれ、転校生」
やっと、やっと約束を果たすことができるというのか…!2年切れのフラグ有効期限、それが高三の春、ようやく回収されようと言うのか。俺は今…感動のあまり涙を流しているに違いない。
でも!男の流すこの涙を、決して情けないものと思わないでほしい。俺は今、世界で一番美しい涙を流している自信があるッ。
ガラッと音をたてて開け放たれる教室の扉。あの逆光の中で約束の幼馴染み兼十年間の片思いが待っているんだ。俺は我慢が出来なかった。
「会いたかったぜ!10年越しのメインヒロイン───」
「どーも、静岡から来ました『柳原瀬良』ッス」
………や、『柳原』?
" 矢凪 " じゃなくて、 " 柳原 " ?それも、美少女じゃなくてただの「野郎」…?
「だ、誰だお前ーーーーーーーーーーーーッ!?」
「いや、お前こそ誰だよ!?」
高三の春にしてようやくやってきた転校イベント。しかし、舞い降りたのは再会を誓い合った幼馴染み───ではなくチーズ牛丼食ってそうな野郎だった。
終わった、俺の青春。
その後教室には皆の笑い声が響き渡り、この「柳原」がウチのクラスに馴染むのに一役買ってしまったことは言うまでもないだろう。
彼からすれば好調なスタートなのだろうが、将吉からすれば失恋エンドの確定演出に他ならない最悪なスタートといったところだろう。
4月8日。今日は高校最後の始業式だった。
「ブッ、なんだそういうことだったのか」
「おい笑うなよ、このハズレ枠が」
「なら将吉は爆死プレイヤーってところね」
その日の放課後。将吉と奏音、それと柳原は人の少なくなった教室で三人席を囲っていた。そして今、なぜ将吉があんな奇人めいた行動をとったのかという経緯について柳原が一笑していたところだ。
「………会いに来てくれたと思ったんだよ、矢凪ちゃんが」
「そりゃなんだか悪いことしちゃったみたいだな」
そう笑いながら謝る彼は、改めまして「柳原 瀬良」くん。彼もまた親の仕事の都合上数年に一度転校を余儀なくされる転勤族に属する者で、高三という面倒くさい時期に学校を移ることと相成った不憫な男だ。
少しふくよかな身体つきに、あまり似合っているとは言い難い黒縁メガネを装着したいかにもな「陰キャくん」なのだが、それはあくまでビジュアルだけに留まる話。実際に話してみると気のいい奴で、ファーストコンタクト最悪だったにも関わらずたった数時間で将吉パーティーの友人キャラにまでこぎつけた逸材なのである。
「しかし、将吉ってキャラに似合わず一途なのな」
「ま、漢と書いて漢───つまり『漢の中の漢』って通り名を自ら名乗る漢だからな。心に決めた女以外に手は出さんッ!」
「…手を出せるような女友達もいないのに何言ってんだか」
「ん?俺にはお前がいるけど」
「───ば、ばッ!もしかしてアンタ私のこと…」
またも赤面する奏音。
「まぁ、奏音はほぼ " 男 " みたいなもんだしな。ゴリラに手を出すモノ好きもそうそういねぇか」
そして、どこかの線が切れる音がする。
「誰がゴリラよ子猿のくせして!猿山でピーナッツでも食ってなさい」
「お前こそニシローランドでココナッツでも齧ってろ!」
バン!と机を叩く音を皮切りに、本日二度目のケンカップル再臨である。こうなってしまえば柳原は完全置いてけぼりなのだが、この数時間である程度の将吉と奏音との間柄、そして会話パターンを把握していた彼。「サルもゴリラも所詮同型だぞ」なんて冷静なツッコミを交えつつ、この状況を楽しんでいるご様子だ。これもまた青春というやつなのだろう。
ちなみに、『ニシローランド』なんて国は存在しないのでご注意を。
「もう頭きた!私だって、一応女の子なんだからね?一応ミスコンの最上位ランカーなんだからね!」
「…奏音、それ自分で言っちゃダメなやつだぞ」
「あんたがここまで言わせてるんでしょ!!マジにレスしないでよっ」
「な、!?じゃあお前は今までマジじゃなかったってのか!?俺はこんなにも真剣なのに」
「中々修羅場臭くなってきたな〜」
「柳原くんは黙ってて!!」
お互いに一歩も引かない激しい口論。そして一度は押し返された柳原だが───
彼の一言がこの争いに終止符を打つこととなった。
「…なんか終わりそうにないし、僕は " 隣のクラスの転校生 " の顔でも拝んでくるよ」
「同じ転校生同士仲良くしておかなきゃね」と付け加え、柳原は席を立とうと腰を上げる。
その瞬間、柳原の椅子がきしむ音の聞こえる程度には、辺りに静寂がもたらされた。
「え…転校生って、二人いるの?」
最初に口を開いたのは奏音だった。
「俺、初耳なんだけど」
続いて将吉が声を出す。
「え?───あぁ、そうだよ。僕も教室に入る前チラッと見ただけなんだけど、すごい美人な " 女の子 " だった」
「お、女の子ってまさか───」
「その娘、名前はッ!?」
奏音を遮り、身をも乗り出した将吉が柳原に肉迫する。
「いや…流石に名前まではなぁ。あ、でも職員室で先生が、『二人似たような名前だからややこしい』って」
「ッ!それを早く言えバッキャロー」
先程まで尻に敷いていた椅子を蹴り飛ばし、はやる気持ちに身を任せ駆け出す将吉。それを残された二人は一拍遅れて追いかける。
「俺の恋愛フラグ…やっぱりまだ腐ってなかった…!」
「ち、ちょっと待ってよ将吉」
奏音が走り去る将吉を呼び止めようとしたその時。
「止まれッ、黒崎将吉!!」
「───ッ!誰だ!?」
何者かが行く手を阻む。将吉たちの担任、例の独身女教師だ。
「今朝のアレといい " 例の事件 " といい、お前は素行が悪すぎる。今から職員室まで一緒に来い、指導の時間だ」
因果応報、どうやら放課後職員室デートのお誘いもといお達しらしい。
「…嫌だと言ったら?」
「言わせるまでもなく連行するさ」
一体何事だと、将吉と先生の周りに人が集まってくる。
「まずいな…このまま人集りができちまったら逃げられなくなる」
「観念しろ、黒崎」
『また黒崎って奴か?』
『あぁ、あの " 流血騒ぎ " 起こしたって』
『今度は一体何やったんだか』
『また停学か』
『退学不可避じゃね?』
───聞きたくもない野次馬が、耳にキーンと響く。
俺はただ、自分に真っ直ぐでありたいだけなのに。
「………どうして、 " また " 将吉だけ…」
「鈴宮、こりゃ一体…」
追いついた奏音と柳原も、人混みが邪魔でその場に足を留めることしかできない。駆け寄ろうにも、近付くことすら許されなかった。
「くそッ、万事休すか───」
この絶望的な状況に、将吉は片膝をつきそうになった。諦めてしまいそうになった。
だが。
「せんせーーーーーーーーーい!!!」
───遠くから、声が聞こえた。柳原の声だ。
「一体誰だ?今は取り込み中───」
「先生に抱かれたいイケメンがいるんスけど、ちょっと来てもらってもいいッスかーーーーーーーー!?」
「なッ…!?」
一瞬、先生の目の色がギラリと変わった。
「や、柳原!!」
「行け!人混みくらい、お前ならかき分けてでも進めるだろ!!漢見せろよぉぉぉぉぉお!!!」
柳原の作ってくれた隙、俺は決して見逃さない。
「柳原ッ!ハズレ枠なんて言って悪かった。お前は誰よりもSSRだぜ!!」
『気付くのおせーよ』───そう聞こえた気がした。
姿勢を低くし、一気に先生の脇をすり抜ける。
「し、しまった!」
「あばよ、先生。俺行かなくちゃなんねぇんだわ」
そう言い残すと、俺はうごめく人集りをすり抜け再び地を蹴り駆け出した。
「待って、将吉!」
「………奏音」
人集りを抜けた先、目的の教室はもう目前というところで将吉は再び呼び止められる。振り返るとそこには息を切らした見知った少女、奏音だった。
「将吉…ほんとに会いに行くっての?そんな十年も前に立てたっきりのフラグなんて信じて」
「まぁな。───『まっすぐな俺のこと待ってる』、って言われたから。そのために今日まで自分を捨てずにやって来れた」
どこまでも真っ直ぐな、将吉の眼。自分に嘘を付くことをせず、曲がったことを決して許さず、誠実に、そしてバカであり続けた彼に。
鈴宮奏音は、───
「わ、私………やっぱり」
「すまん、そろそろ行くわ。応援してくれよな」
「ッ、将吉…」
将吉は振り返ることはしなかった。だって " 真っ直ぐ " だから。
でも、そのあまりにも直線的な彼の在り方に、私は随分と " 捻じ曲げられてしまった " よ。
「………何で私」
泣いてるんだろう。
気が付けば、涙がひとりでに溢れていた。まぁ、意識して流すようなもんでもないけど。
『将吉が遠くへ行ってしまう』─── 一度そう考えてしまえば、他のことになんて頭が回らなくなってしまう。
私の手の届かないところに、私の追いつけないスピードで駆けてゆく彼の姿は、もうぼんやりとしか映らない。その代わり、今まで見ないようにしてきたものに限って、今ではこんなにもはっきりと映し出されている。
私は将吉みたいに素直じゃないし、バカにもなりきれなかった。
じゃあ、一体どうしたらいいってのよ………。
…できることなら、後悔だけはしたくなかった。
「───…ッ!あった、多分ここにいる」
窓から漏れる、茜色の夕焼けを背に立ち止まる将吉。閉ざされた眼前の教室は、柳原が彼女を見かけたと言っていた教室で間違いはない。
…10年待った。もう、進めてしまってもいいだろう。
「は、入るぞぉ〜…」
震える指で、そっとドアノブに手をかける。そしてガラガラと音をたてながら、ついに扉が開かれた。
「──────ッ」
誰も、いない。
全ての窓は開け放たれ、心地よい風と共に薄いカーテンが揺れる。西日が丁度教室の半分を妖しく照らすその様は、たしかに綺麗だった。
でも、違う。
「………やっぱ、10年も前の話だしな。有効期限、とっくに切れてるよな…普通」
一歩を踏み出し教室の中に入ってしまえば、本当に全てが終わってしまうような気がして、入口から足を動かせずにいる。本当にだめだったんだって、認めてしまうようで我慢ならなかった。
『こうこうせいになったら、ぜったいにこのまちにもどってくる!』
『まっすぐなしょうくんがだいすきだから』
それだけを頼りに、俺は自分を捨てずここまで来れた。色んなことがあったけど、挫けずに突っ走って来れたんだ。
でも、結局彼女は来てくれなかった。
「『ご褒美』………って、一体何だったんだろうな」
空虚に向かって投げたセリフも、5時を知らせる町内放送に掻き消されてしまった。
…やっべ、涙出そうかも。
漢たるもの、泣いて良いのは人生で三回だけ、それも嬉し涙だけだ。───間違っても涙なんて溢さないよう思い切り天を見上げたその時だった。
一瞬、教室に吹き込んだ風が教室中のカーテンを押し上げた。
「 " 約束守ってくれたご褒美 " ………教えてあげるね」
カーテンに隠れて見えていなかったのか、 " それ " は突然に姿を表し、天を向く顔を正面にまで引き戻す間に駆け足で距離を詰め、
そしてそっと唇を重ねる。
「──────!?!?!?!?」
「ん、………ッ」
唇を伝う柔らかい感触と、甘い匂い。線を引いてなびく髪は滑らかな光を滑らせ、頬に当てられた小さな手からは懐かしい熱を感じる。
顔はよく見えない。だって近すぎるし、そもそもいきなりすぎてそれどころじゃなかった。…でも、不思議と " それ " が誰であるのかの検討はついている。いや、今更『不思議と』なんて表現、あまりにも似つかわしくなかったな。ここまできてしまったら、もう『彼女』以外ありえないだろってのにさ。
「ただいま。…久しぶりだね、 " しょうくん " 」
俺のことを『しょうくん』なんて呼ぶやつ、今のところ世界で一人しかいない。
「おかえり。…2年遅れだぞ、 " 矢凪 " 」
10年の時を経て、将吉と矢凪の恋愛フラグが回収された瞬間だった。
人気のない教室に二人きり、将吉と矢凪は改めて互いを向き合い、そして過去の面影を懐かしみながら再会を喜んでいた。
「やっぱ、10年そこらじゃ腐り切らねぇもんだな。メインヒロインルートへのフラグって」
「ふ、フラグ…?」
ゲーム用語に疎いであろう矢凪が、「フラグ」という単語に眉をひそめる。
「まぁ、アレだな。俺たちの " 縁 " ってことだ」
「なるほど、縁かぁ。………運命様が結んでご縁なら、切れることはあっても腐ることはないよ絶対!」
「何でだ?」
「いや、…なんか酸化しなさそうだなぁ〜と」
ファンタジーなセリフから漂うケミストリー臭。彼女の信じる運命の赤い糸は、どうやら純金製の仕様らしい。何なら赤よりもご利益ありそうなまである。
「………逆に、 " 腐れ縁 " ってやつなのかもな!」
「腐れ縁のメインヒロインかぁ。───でも腐れ縁ポジはどちらかというと負けヒロイン寄りの立ち位置って解釈が一般的で、統計的に見ても支持率は微妙かな。ラノベとか少女漫画でなら割りと見るけど恋愛ゲームとなるとどうしても少なくなってくるよね。メインヒロインに付随させるには人を選ぶ要素だと思うから私は安易に手を出せないかな。第一キャラとも噛み合ってないと思うし」
「そのセリフ量と内容が一番キャラと噛み合ってねぇよ!」
10年も経てば人は変わるものである。それを受け入れずして誰が漢かと思う反面、さすがに今のはツッコまずにはいられなかった。
「あはは、そりゃ10年も経てば色々変わるよ。だって人生の十分の一だよ?それも一番濃い十分の一。背丈だって伸びたし、価値観とかもまるっとリニューアル!みたいな」
「趣味嗜好も大分洗練されたみたいだしな」
「『洗練された』ってとこはよくわかんないけど、………そうだね。実際色々と変化しちゃったんだと思う」
そう言いながらくるりと後ろを振り返り、窓の外をじっと眺める矢凪の顔は、心なしか少し曇っていた。
「…私、恐かったんだ。もし次に会うしょうくんが、私みたいに成長して、私みたいに過去の自分を置いてけぼりにしちゃってるんじゃないか…って」
「矢凪…」
この人生の十分の一程の年月が、彼女をどのように変えてしまったのかはわからない。もしかしたら、俺の夢見た彼女の足跡はすっかり消えてしまっているのかもしれない。彼女の中では、もはや俺との思い出なんて風化してしまっているのかもしれない。
でも、それを良しとしないことは多分間違ってる。それに、俺も矢凪も、決して置いてけぼりになんてしていないはずだ。でなきゃ、彼女との再会がこんなにも嬉しいはずがない。
「俺、思うんだよ」
「ふぇ?」
「俺も矢凪も、過去を…互いに好き同士だった頃の自分を見失ったわけじゃない。それは、 " ずっと隣で歩いてきてくれたからこそ " 、単純に見えなかっただけなんじゃないか…ってさ」
「『見えなかった』…?」
鳩が豆鉄砲食らったようなリアクションで、再び将吉の方に顔を向ける矢凪。そして将吉の言葉はまだ続く。
「そう。───俺だってこの10年、何もなかったわけじゃないさ。矢凪ルートは諦めかけたことだってあったし、ぶっちゃけ高校に入るまでは半分忘れてた」
「忘れられてたんだ、私」
「でも!そんな俺でも『あること』だけは絶対に忘れたことはなかったし、今日までそれを続けて来れた。俺を将吉たらしめてくれてた、一種の道しるべみたいなもんなんだけど」
将吉の言う道しるべ。それは───
「『まっすぐなしょうくんがだいすき』…これが俺を、いつも助けてくれてたんだ」
「そ、それはッ………」
ハッとした顔で、矢凪は口を両手で抑える。何かを言いかけたけど、慌てて飲み込んだような仕草は、更に将吉をヒートアップさせる。
「そのことを実感したとき、俺は確信したよ。自分の中で、矢凪はまだ生きてる。フラグを棄て去るには早すぎるってさ」
「あ、あの…私何て言ったらいいのか………」
「そして矢凪も、きっと捨ててしまったんじゃない。近すぎて気が付かなかっただけなんだよ。何も負い目を感じることなんてない、矢凪はずっと矢凪だ!」
「え、えっとぉ…その、だからぁ〜 ───」
もはや将吉は一歩下がることを忘れ去っていた。そのまっすぐすぎる矢凪への熱意は沈下を覚えず、それどころかますます膨れ上がる一方だ。
「矢凪ッ!!」
「は、はい!」
「俺はお前に言わなくちゃならないことがある」
「な、何でございやしょうか!?」
顔を真っ赤にした矢凪はどこか口調がいつもとおかしい。目をギュッと閉じ拳を握る彼女は、まるで注射直前の赤子、もしくはさながら告白の返事を待つピュアボーイな空気感を感じさせる。
いや、実際彼女は「あること」に覚悟すると同時に期待しているのだ。
「い、言うぞ?」
「う、うん。いつでも、いつでもオッケだよ!?」
「俺、───」
矢凪に、
「その告白、ちょっと待った!!!」
教室だけに留まらず、このフロア全体にまで反響してそうな大声で、何者かが将吉の告白に待ったをかける。
「だ、誰たッ!?」
「び、びっくりしちゃった〜…」
張り詰めた気が抜けてしまったらしく、矢凪は軽く尻餅をつく。
「大丈夫か!?矢凪───」
「お願い、今は私だけを見て!」
再び乱入者の…いや、 " よく見知った " 少女の声が響き渡る。
「お、お前…一体なんで」
「そんなの…そんなの決まってるじゃない。私があんたのこと好きだからでしょ!」
将吉と少女の目が重なるその時。それは何よりも強い衝撃となった。
「何でだよ…、奏音」
少女の名は『鈴宮 奏音』、将吉のただの女友達───そのはずだった。
「ごめん。空気読まないことしてるって自覚はあるの。…でも、我慢できなくて」
「奏音、お前…」
返す言葉が見つからないというような目を曇らせる将吉は、ただ彼女の名を呼ぶことしかできなかった。
「───あなたが噂の『矢凪ちゃん』?はじめましてよね、私はコイツのただの友達」
「こ、こちらこそはじめまして。…でも、友達になりきれなかったんですよね」
「そう。友達のままでいようとしたけど、だめだった」
自嘲気味そう言うと、彼女はポツポツと語りはじめる。
「私ね、一年の時もコイツと同じクラスだったんだ」
「…そう、だったな」
「ごめん、将吉にとっちゃあんまりいい思い出ないよね。───でも、私にとっては宝物みたいな思い出なんだ。例の『流血事件』」
将吉の眉間に、深い皺が刻み込まれる。それは苦虫でも噛み潰したかのような顔だった。
「私ね、いじめられてたんだ」
「…」
「いじめ………ですか」
場の空気がより冷たく、そして重くのしかかる。
「ほら、私こう見えて案外可愛いからさ。女子の間でも色々あったのよ。…『調子乗ってる』とか『男に媚びてる』とかね。でも、やっぱりミスコンが決定的だったのかなぁ。一位獲っちゃってからは色々目をつけられててね。その上私ってば人付き合い得意じゃなくて、『面白くねぇ女』を地で行ってたわけよ」
「───奏音は何も悪くねぇよ」
「ありがと。でも私、やっぱりそんな自分が好きになれなかった。だから何もやり返さなかった。だからされるがまま殴られたし、他にも色々受け身だった」
「おい、それ以上は───」
「必要なんだよ!!」
自分自身を表すために。そして、将吉に対する思いを打ち明けるために。
「…でもね、ある時そいつらにやり返したんだ。───私じゃなくて、 " 将吉 " が」
「しょうくんが?」
「そう。コイツ、女子の頬思いっ切りぶん殴ったんだよ。…で、その後そいつの爪に引っ掻かれてデカい傷なんて作っちゃってさ。血まで垂らしてやんのよ、それで『流血事件』ってわけ」
将吉の方を見ると、どこかバツが悪そうに目を逸らされた。…あのときできた傷は、どうやら一生もんらしい。
「………私、その時すごく落ち込んだんだ。『私のせいで怪我人が出た』ってさ」
「い、いや!それはムカついた俺が個人的にやっちまったことだし、何もお前が気にすることじゃ───」
「それでさ!私保健室まで謝りに行ったのよ。そしたらコイツ、なんて言ったと思う?」
「しょうくんが言ったセリフ…ですか。そーですね、『顔の傷の慰謝料は身体でしっぽり払ってもらうぜ』…とか?」
「…なんか俺、矢凪に嫌われるようなことしたっけかな」
もちろん冗談だとは思うけど、将吉の方はいたく傷心な様子。その項垂れた顔はなんとも………じゃなかった、話を戻そう。
「勿論、そんな世界線もあったかもしれないけど」
「あってたまるか!そんなifストーリー」
「ハイハイ。…将吉は私にこう言ったんだ」
『悪いけど別ヒロインのルートに入る気なんてないから謝るな』
将吉らしさって観点から見ればさっきのセリフと大差なかったかもしれない。…でも、私にはそれがすごく───
「『かっこいいな』って思ったの」
「か、かッ………!?!?」
「嘘じゃないよ。すっごくカッコよかった」
目蓋を下ろせば、それはまるで昨日のことのように思い出される。私と将吉しかいない、昼下りの保健室。頭を下げる私を、コイツはたった一言で突っ返した。
『で、でも…。それじゃ私の気が済まない』
『あー、そういうの全然大丈夫だから。ここでお礼なんてされちゃアンタとのフラグで上塗りされそうだし』
『ふ、フラグって何よ。何言ってるのかさっぱりわからないんだけど』
『アンタにゃわからなくて当然だ。…これは、漢のロマンってやつでさ。それを叶えるために俺はまっすぐ生きてる』
『まっすぐ…生きる?』
『あぁ、そうだ。だからアンタをイジメてた連中を殴った。全部自分のためにやったことだから気にすんな』
『いや…でも』
『どこの誰だか知らねぇけどさ、アンタももっと自分のために生きてみなよ。後悔したときには何もできねぇぜ?』
それは私にはできない生き方だった。
そして、他人の存在が前提だった私にとってそれはとても輝いて見えた。
『あの…せめて名前を』
『え?…まぁ、名乗るような名前でもないけど』
『私は、鈴宮奏音。…あなたは?』
『しゃーねぇな。俺の名前は───』
「将吉」
「お、おう…」
意を決して名前を呼ぶ奏音に、将吉は一歩後退る。
「あんたはそんなつもりなかったかもしれないけど、あの日のあの出来事は十二分にフラグだったと思うの」
「ふ、フラグ…?」
「そう。将吉と矢凪ちゃんのじゃない、私と将吉の恋愛フラグ」
「は、はぁ…」
「私を助けたのが運の尽きね。─── 要は、私にとっても今日がフラグ回収のラストチャンスなのよ!」
気づかぬうちに成立してしまっていたもう一つの恋愛フラグ。その存在を、将吉は奏音の叫びでようやく実感したのだった。
「将吉が矢凪ちゃんとくっついちゃったら、私のフラグはなくなっちゃうのよ」
「そ、そりゃそうなるよな」
「ま、待って!私だって、しょうくんと奏音さんが付き合うことになったら10年の約束が卓上の氷菓子の如くバラバラのドロドロにっ!」
「たしかに、それじゃドロドロだな色んな意味で…」
今まで黙っていた矢凪までも、ここは負けじと声を上げる。
「将吉、私あんたのこと好きよ。付き合って」
「ま、待ってくれ!やっぱり俺は矢凪のことが───」
「後悔のないように生きろって言ったのはあんたでしょ!?責任とってもらうわよ!!」
ひ、ヒェッ。どこかのやる気スイッチが入ったのか、いつにも増して押しが強い。無論、嬉しくない訳ではないが、やはりここは漢将吉!初志貫徹してこその俺だろう。主人公らしく、そして矢凪のヒーローらしくキッパリと!
………が。
「ちょっとしょうくん!なんで奏音さんの告白断ろうとしてるの!?こんなにも…こんなにも思ってくれてるんだよ…?」
あっれぇ、なんで矢凪さんまで奏音サイドで応援してるんですか!?立ち位置的に恋敵だよな?普通反発し合うよな?俺、『初志貫徹を選択』でいいんだよな…?
思わぬ伏兵の登場に、俺はすっかりと動揺を隠しきれずにいた。
「私、ギャルゲエロゲでは『負けヒロイン』って枠作っちゃいけないと思ってるの!作中では納得のいく失恋すらできず、公式からの救済も無し。本当は明るくて可愛い娘なのにどこか影のあるキャラとして見られがち、そのくせ同人本だけは刷られていく………そんなの間違ってる!白とか青系統の髪色だからってひどすぎるよ。みんな幸せがいいよ!アニメでだめならせめて原作で幸せになろうよっ!!」
「お前ほんとにこの10年何があった!?」
悲痛な叫びに乗せ色々とブチかます矢凪は、たしかに当の本人が恐れをなしても仕方のないほど幼少期の頃と比べ尖ってしまったのかもしれない。少なくとも、俺の知っている矢凪ならばこんなぶっちゃけたセリフは吐かないだろう。別にそれが悪いとかは全然思わないけど。
「そりゃ、10年も経てば色々変わるよ。だって人生の十分の一だよ?それも一番濃い………」
「いやそれはさっき聞いたって」
「じゃあちゃんと分かってよ!矢凪ちゃんは真剣に恋してるんだよ?それを『矢凪との約束がうんたらくんたら…』であしらわないでよ!もっと向き合ってあげてよ。もっと優柔不断系主人公目指してよ…」
「『まっすぐなしょうくんがだいすき』ってのは一体どこ行った………?」
「そりゃ10年も経てば───」
「だからさっき聞いたってば!!」
更にツッコミを入れる俺。
…別に悪いとかは思わないけど、ちょっぴり。ほんのちょっぴりだけ、面倒だなと思ってしまった自分もいる。
「とにかく、私は皆幸せがいいの。矢凪さんのあんな話聞かされたら…たとえ恋敵でも応援しちゃうよ」
「過激派も難儀なもんだな…」
「私、やっぱり変わっちゃったね」
「うん、正直俺もそう思う」
なんだろう、この登場人物全員のメッキが急速に剥がれていく感じ。今の俺は、果たして『漢の中の漢の通り名を自称する漢』としての度量を守り切れているのだろうか。
そもそも黒崎将吉はいつから、そしてどうやって『まっすぐなしょうくん』に成ったのだろうか。ふと我に還ったとき、なんだかわからなくなってきた。変な汗は止まらないし、この二人に言うべきセリフも全然浮かんでこない。ゲームやライトノベルの主人公は、こうも過酷な恋愛を強いられているということなのか…?
「付き合って、将吉」
「しょうくん!私だってしょうくんのこと大好き。でも矢凪さんのことも幸せにしてっ…」
あぁ、ほんとにもう───
「もうフラグ回収なんて懲り懲りだァァァァ!!!」
憧れだけで踏み越えていい領域ではなかった。それが俺、…いや、黒崎将吉の導き出した結論だった。
無論、彼はヒロインたちの告白に「YES」とも「NO」とも答えていない。否、答えるだけの覚悟がまだ彼の中には芽吹いていなかった。
「ちょっとあんたもしかして逃げるつもり!?ハッキリしなさいよこのバカショー!猿山の子猿ッ」
「し、しょうくん!?せっかくの告白イベントでどっち付かずなんていけないよぉ。…まぁ、私にとっては別にハーレムエンドでもおっけだけど」
「う、うるせぇ!俺も頭冷やすからお前らもちょっとは落ち着いてくれ。ってか矢凪、『優柔不断系目指せ』って言ったのどこのどいつだ!」
「だからハーレムエンドでも私は…」
「お前が許しても社会が許さんわこのドアホッ」
「将吉、女の子に『どアホ』はないんじゃないの?それでも漢かってのよ」
「だからぁ、もう『まっすぐなしょうくん』は懲り懲りなんだってのォォォォォォォ!!」
すっかり日も沈み、すでに夜の星々がきらめきを纏う下校時間。知る者は皆「校舎の隅の方から断末魔が聞こえた」と、世間話の肴にしたという。
後にこの『断末魔事件』は詳細を洗われ、そして青春の時を生きる若人たちにとって大きな影響を与えることとなった。
" 主人公 " を模倣しようと己を懸けた、愚かな男の末路として。
「…ほら、とりあえず今日のところはさっさと帰るよ将吉!明日からまた学校なんだから」
「そうだよしょうくん。改めてこれからよろしくね!…もちろん、奏音さんも」
「ったく、しょうがねぇなこいつらは」
───しかしそれは、もう少し先の話になりそうだ。
紛れもない主人公、『黒崎 将吉』が主人公を辞めたその日。皮肉にも、ここから彼の物語は始まるのだ。
過去のフラグを心に刻んだ少年少女が行き着く先、
それは誰にもわからない。攻略ウィキにも載ってない。原作者だって当然知らない。
「───なぁ矢凪、それに奏音」
「ふぇ?どうしたのしょうくん」
「何よ、そんな真面目な顔して」
彼はもう一度だけ立ち止まり、先を急ごうとする二人の少女を呼び止めた。
大切にするために、そして見つめ直すために、彼は何気ない話題を持ち掛ける。これからも、そして永遠に。
「『恋愛フラグの有効期限』って、お前らどう思う?」
4月8日。長い一年への出発だった。
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