今さら返すと言われても
軽くお付き合いを。
8月の朝6時。
俺以外の家族は田舎へ里帰りしていた。
留守を護る俺の耳に、我が家のインターホンが鳴り、玄関の扉を開けると1人の女が立っていた。
「...雄二」
女は不安そうに俺の名を呼ぶ、朝の爽やかな空気を台無しにしやがって。
「無視しないで!」
何も見なかった事にして、扉を閉めようとする俺の服を女が掴んだ。
さっき着替えたばかりなのに皺になるだろうが。
「離せ、誤解されるだろ」
女の腕を睨んでいると、後ろからもう1人見たくない男が姿を現した。
「雄二」
コイツまで親しげに俺の名前を言いやがる。
「一緒に居たのかよ、コイツを早く連れて帰れ」
「いや...その」
俺の言葉に2人は目配せをしながら頷く。
一体なんなんだ?
「すまん!!」
「ごめんなさい!!」
2人は勢いよく頭を下げた。
「なんの真似だ?」
「こんな事言える筋合いじゃないのは分かってる!
また元の友人に頼むよ!」
「お願い雄二!」
「...は?」
ふざけた男の言葉に頭の血が逆流しそうになる。
男は半年前に俺から恋人だったコイツを奪ったんだぞ?
3ヶ月も隠れて浮気してやがったが、恋人繋ぎで歩く二人をクラスメートに見られて関係がバレたんだ。
それで、証拠を集めて追及し、居直られて、最後は逆ギレ。王道の展開だった。
もちろん紗央莉と別れた。
その時に一緒に証拠を集めてくれたクラスメートの優子と最近付き合いだして、ようやく心の傷が癒えた。
「頼む、もう紗央莉と別れるからさ」
「ごめんなさい、もう私間違ったりしない」
まだ何か言ってやがる。大概鬱陶しい。
「嫌だ」
『答えは短く、簡潔に』優子と予想していた。
「なんで」
「どうしてよ」
「お前等が俺を裏切ったからだ」
俺が紗央莉と付き合っているのはクラスの全員が知っていた。
ましてや、コイツは俺の友人だったのだ。
それをまあよくも...
「いやつまり...」
「...気の迷いで」
「気の迷いで絶望を味わわされたんじゃ堪まらん。もう帰れ」
女を振り払い、再びドアノブに手を伸ばした。
これ以上二人の醜悪な姿を見たくない。
「頼む!優子を返してくれ!」
「優子と別れてよ!私だけ見て!!」
「お前だけ見て俺は地獄を見たんだけど」
「それは...」
間違いなく紗央莉が好きだった。
俺達は決して短い付き合いで無かったし、信じていたんだ。
根底から覆されたが。
「紗央莉、俺と付き合ってた時間はどれくらいだ?」
「え?」
必死で指折り数える紗央莉の姿に呆れてしまう。俺から告白したんだ。
「忘れてしまったか、たった3ヶ月口説かれだだけでコイツに身体を許す程度だし、仕方ないな」
「よ...4年よ!中3の時だから!」
「思い出してそれか...」
正確には中2で3年4ヶ月だ。
それと、お前が孝と二股をしていた時間は含まないでくれ。
「もう絶対に...だから」
「ここまで紗央莉が言ってるんだ、許してやってくれよ」
貴様は何を言ってるか理解しているのか?
なんで上から目線なんだ。
「ねえ雄二、いつまでやってるの?」
俺の後ろから聞こえる声。
少し不機嫌そうだ、朝ごはんまだ食べて無いからかな。
「ゆ...優子」
「どうして優子が雄二の家に?」
玄関の二人が眼を剥く。
ゆっくり振り返り、パジャマ姿の優子に視線を移した。
「すまん、日本語が通じないみたいで」
「そうね、家の中まで全部筒抜けよ」
優子は呆れた顔をしながら俺の隣に立つ。
その視線は2人を掴んで離さなかった。
「なんで朝から雄二の家に居るんだ?」
「嘘でしょ...」
「付き合ってるからに決まってるじゃない」
優子が俺の腕を掴みながら笑う。
少し恥ずかしいけど、ここは踏ん張りどころだ。
「...ぐ」
「そんな...どうして?」
「お馬鹿なお猿さん達には分からないのかしら?
雄二が好きだからに決まってるわ」
優子、本当のお猿さんに気の毒とは思わないか?
「どうしてだ!お前は俺の幼馴染みだろ!?」
孝は優子の幼馴染みだが、それがなんだと言うんだ。
「だからどうなの?それで孝の事を好きなんて思った事なんか1度も無いけど」
優子はいつも言っていた。
あの勘違い男をどうにかして欲しいと。
幼馴染みというだけで、孝は優子に付きまとっていたのだ。
優子は両親を通じて孝の家に苦情を何度言っても、全く相手にされなかったそうだ。
優子は美人で優しく、人気者だから孝の両親が息子を応援したくなるのは分かるが、人の迷惑 も考えろ。
「そんな筈無いだろ?
だって優子はいつも俺の側に居て...」
諦めが悪い孝に優子が大きく息を吸い込んだ。
言うつもりなのだ、積年の恨みを。
「あのね、幼馴染みってだけで恋愛に結びつけないでくれる?
だいたい昔からアンタは私を恋人扱いしてさ、本当に気持ち悪い!
今さら雄二と元の関係?戻れる訳無いでしょ!
親友の彼女を奪っておいて、返すから許せって、それに乗るアンタも大概バカね!!」
「...まあそんな訳だ」
やりきった顔で俺を見る優子は輝いていた。
「返せ!雄二を返して!!」
突然紗央莉が叫んだ。
バカ呼ばわりが気に触ったのかな?
「自分から手放したくせに!」
一歩も退かない優子が叫び返す。
全部みんなに筒抜けだぞ。
「だからそれは!!」
「気の迷い?
違うわね、アンタは雄二という宝物を捨てて道端のゲロを啜ったのよ」
「ウゲ」
孝の顔に思わず想像しただろ。
「なんだと!!」
吐瀉物呼ばわりされた孝が優子に掴み掛かる、次の瞬間身体を屈めた優子から孝の下腹に正拳かめり込んだ。
「ゲエェ!」
さすがは空手歴15年の優子。
孝も知っていた筈なのに、本当にバカな奴だ。
「...ごめんなさい雄二」
申し訳なさそうな優子。
腹を抑える孝の足元には本当の吐瀉物が...
「良いよ、後で洗っておくから」
「ダメ、一緒にだよ」
「分かった」
2人で掃除も悪くない。
「大体なんで朝から一緒なのよ!」
「おじさんに言いつけてやるからな!!」
まだ何か叫んでやがる、いい加減にしろよ。
「もちろん親の許可は取ったわよ、誰かさん達みたいに他人の名前を騙ってホテルに泊まったりなんかしないもん」
それを言うな、分かった時に吐いたんだから。
「もう帰れよ、分かったろ?」
「クソ、学校で覚えてろよ!」
「待って!!」
やっと帰ってくれた。全く近所迷惑な奴等だったな。
「帰ったか?」
廊下の向こうから顔を出す数人の人影。
昨日から一緒に泊まっていたクラスメート達だ。
「ああ」
「本当に来たな」
「そうね、時間の問題だとは思ったけど」
「アイツら学校でハブられてるのに、何するつもりだ?」
「さあ?」
口々に話すクラスメート達は呆れた顔をしていた。
「どうせ男の家に泊まったとかじゃないか?」
「それじゃ私達も?」
「ヤバいね、みんな停学になっちゃう」
「「「なるかよ!」」」
そんな訳無い。
「受験勉強会で停学になっちゃ堪んないわ」
「それよりあの2人、朝一番から一緒に来たって事は泊まり明けじゃない?」
「だろうな」
反省なんかしない奴等だから間違いなくそうだ。
「アイツ等勉強しなくて大丈夫か?」
「そうよね、元々の成績も下位だし」
俺が紗央莉を受験勉強を手伝い、優子は無理矢理孝の受験勉強を手伝わされたそうだ。
やっと受かった進学校なのに、遊んでばかりの2人は成績が下位なのは当然だ。
「さて掃除するか」
あの2人の事は考えても仕方ない。
このまま落ちるか、それとも立ち直るか、興味無いし。
「俺ホース持ってくる」
「はいブラシ」
「汚物は消毒と」
クラスメート達も集まって来た。
これが本当の友人なんだ。
「いい天気だ」
「ええ」
ついで庭の掃除をしながら空を見上げる。
8月の日差しが俺達を照した。
「それ!!」
ホースを持っていた友人が突然空に向かってシャワーを放水する。
庭にいた俺達は忽ちずぶ濡れになった。
「あ...虹」
「綺麗ね」
空に浮かぶ虹に先ほどまでの嫌な気持ちが消えて行く。
輝く笑顔の優子に思わず息を飲んだ。
「合格したら二人っきりで...ね?」
優子の言葉にゆっくりと頷く。
「楽しみだな」
しっかり優子を抱き寄せる。この後着替えないと。
「朝から見せつけてくれるね」
「本当、アイツ等が妬くのも分かるわ」
「「ありがとう!!」」
友人達の言葉に俺達は笑顔で答えた。
ありがとうございました。