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奈落の底へ

四話



「なにを、してるんだよノルドォォ!!!」


「見たまんまだよ。シオン。俺がお前を、殺そうとしてるんだ」


 俺と、ノルドとクラリス。三人で、一緒に育ってきた。

 固い絆と、信頼関係と、家族よりも濃い血で、結ばれている。そのはずだ。

 だから、俺には理解できないのだ。ノルドが今、俺を殺そうとしている理由も、現実も、意味も。なにも呑み込めていない。

 どうして。その疑問と、指先が圧迫する鈍痛が脳を走る。

 ノルドは、いつもの能天気な雰囲気を微塵も感じさせない冷徹な面持ちで、俺を見下している。


「まあ、お前にはわかんないだろうな。お前は、嘘をつかなくて誠実だし、肉体も精神も強い。俺みたいな奴が考えていることなんて、一生わからんだろ」


 ノルドは足先に込める力をグリグリと強めた。

 俺は苦悶の声を漏らしながらも、ノルドをまだ信じていた。

 口ぶりからするに、原因は俺にある。

 おそらく、俺が悪かったのだ。何かを、どこかで、間違ってしまったのだ。


「うぐ、ッ!俺の……、なにかが悪かったのか!?言ってくれよノルド!まだ、まだやり直せるだろ!?俺たち、ずっと一緒だっただろ!」


「……ほら、わかってないだろ。ずっと一緒だったから、許せないんだよ」


 わからない、ノルドは何を言っている?

 俺は、今、何を言うべきだ?

 思考を彷徨わせていると、何者かの足音が近づいてきた。近づいてきた彼らは、ノルドと並び、下卑た笑みで俺を見下ろした。


「ゴーン……ッ!」


「よう。殺人ハンター集団。ゴーン一味だ。冥途の土産に覚えといてくれ」


「熊の死体もリアルだっただろ。苦労したぜえ、前日に熊狩りして防腐処理と防虫剤を撒いたりさあ」


「飛び散った血に見えるやつ、赤色の染料でした~。騙されただろ、なあ?おい」


 さきほどの助けを求める声は、やはり演技だった。それに、熊の遺体も彼らが用意したものだったのだ。罠にはめられた。ノルドは、こいつらに唆されて——。


「俺が、こいつらに協力した……とか考えてそうな顔だな」


 ノルドは、まさしく俺の思考をほぼ言い当てた。


「シオン。俺たち犯罪者が、ただ財産や金品を狙うだけなら、お前みたいな貧乏ハンターにこんな回りくどい真似はしない」


 そう、だ。なにもかもおかしい。冷静に考えられない。

 今にも死の底へ向かい転落する恐怖と、踏みつぶされる手の痛覚と、友に裏切られた困惑で。

 友に、裏切られた。困惑。


「ノルド、お前……お前が、こいつらの雇い主なのか……!」


「正解。最初から明白だろ。こんな面倒な仕掛けまでして」


 刹那。ここ数日の会話が思い起こされる。


 クエストの告知時期と、ノルドがクエストを持ってきたタイミングが噛み合わないこと。

 ノルドがグループを誘いに行った際に、隣のグループではなく、少し離れた場所にいたゴーンたちに直接あたりをつけたこと。そのゴーンたちがたまたま最も早く現着していて、リーダーとしてグループの振り分けと探索地の方角分けを行ったこと。

 熊の痕跡を見つけたゴーンらが、俺たちの誰かを逃がす方向に話を持って行ったこと。俺たち三人の内、最も足が速いクラリスが必然的に逃亡の役目になったこと。

 この場に、クラリスがいないこと。

 俺が、クラリスと深い仲にあり、ノルドにそれを伝えていないこと。


『もちろんノルドにも報告しなきゃいけないけど、まああいつなら祝福してくれる気がしてるけどな。長い付き合いだし』


 クラリスには、俺を殺す現場を見せないこと。

 思い当たる節が、無いわけがなかった。


「ノルド……ッ、……気づいてたのか?」


「……ああ。だからこういう状況になってる。邪魔なんだよ。シオン」


 何を、なんて言葉にしなくても、伝わった。

 俺たちは、同じ想いで、擦れ違ったのか。

 でも、だから、ふつふつと怒りがこみ上げる。『そんなこと』で、壊れるくらい安い関係だったのか。俺たちは。俺が信じて、親しくした男は、そんな程度の低いことで、俺を殺すのか。

 死ねない。

 そういうことなら、俺は死んでやれない。

 そんな安い男に、クラリスを、俺の女を渡してたまるものか。

 なんのために、俺は毎日鍛えていた?強くなって、大切な存在を守るためだ。

 ノルドが俺の敵になって、クラリスを脅かすのなら、今がその時だ。

 登れ!この足を払いのけて、這い上がってぶん殴れ!

 こいつを殴り飛ばして、帰るんだ。

 ————クラリスの、ところに。


「……やる気を出すなよシオン。俺は、お前より弱いんだ。お前にやる気を出されたら」


 ノルドが不意に、腰にぶら下げていた刀剣を、一薙ぎした。


「殺さなきゃ、いけないって気分になる」


「……………あ……」


 痛みは、無かった。

 とても、現実感が希薄だ。

 右腕の、手首から先が、斬り飛ばされても。


「……せめて、嫌な奴だったらよかった」


 ノルドは爪先を振り上げ、俺の左腕も蹴り上げる。

 片腕で体重を支えられず、俺は迫る浮遊感に引っ張られるようにして落下を始める。


「じゃあな。シオン」


 そのまま。

全てが、遠ざかっていった。

俺は奈落の底へ落ちていく。

最後に見えたノルドの目は、とても冷たく、俺を見下ろしていた。



 〇



 岩肌に背を激突させ、前後も分からず斜面を転げ落ちる。それを何度も繰り返した。意識は断続的にあり、激痛で意識が覚醒し、激痛で意識を失う。これも繰り返しだ。

 身体が何か大きく固いものに引っかかり、数秒だけ勢いが止まる。しかし、俺が衝突した勢いと体重に負けた枯れ木のような何かは簡単に折れて、また転落し、滑落し、崩落する。

 何故死んでいないのか。もう、わからなかった。どうでもいい。

 痛みを通り越し、ただただ寒い。見えるものは全て赤に染まり、心臓の音しか聞こえなくなった。いつの間にか落ちるところまで落ちたようで、もう転がり落ちてはいない。

 苦痛。苦行。苦悶。

 心はもう、何も感じない。まともな思考は働かない。身体はピクリとも動かない。

 このまま死ぬ。それだけがわかった。

 血の塊を吐瀉物のように、噴き出した。まるで内臓が飛び出たかのような気分だった。

 死ぬ。

 死ぬんだな、俺は。

 何もかもを覚悟した俺は、薄れゆく世界と意識の狭間で、俺を覗き込む獣を見た。

そして暗転。


どれほど経ったのか。

俺は、目を覚ました。

寒気はなくなっていたが、死の激痛は増していた。手も足も、動く気がしない。


「つッ……、が、あ……」


 喉も潰れているのか、声も出せない。

 なぜ、俺は生きているのか。生来、人より多少頑丈というだけでは、もはや説明がつかない。どう考えても、俺は死ぬはずで、死ぬしかなく、死んでいるべき状態だった。

 その答えはすぐに明らかになる。


「!?あ、ぁぁ……!」


 いつの間にか、巨大な獣が俺を覗き込んでいた。

 巨大な、これは、獅子……?

 異様な単眼。銀色に輝くたてがみ。純白の身体と、その身体に時折駆け巡る紫色の禍々しい光。

 魔獣。説明されなくても、一見するだけで理解した。

 俺は、魔獣と視線を交差させている。身体はどう足掻いてももぴくりともしない。

 死ぬ方法が変わっただけ。またも死を覚悟した。

 獅子は、おもむろに右脚を持ち上げ、自らの左脚を引っかき始めた。

 ————なんだ?何を、しているんだ。

 俺の疑問をよそに、大変な流血沙汰に見える獅子の左脚は、俺の真上に持ち上げられた。当然、獅子の血液……体色とは正反対のどす黒い液体が、俺にポタポタと滴り落ちる。

 その、一滴、一粒で。


「うっ、…………こ、これは……!?」


 急速に、痛みが和らぐのを感じた。指先から体の自由を取り戻し、声も出る。

 魔獣が、俺を蘇生している。

 こんな力が魔獣に備わっているとは知らなかった。それとも、この獅子特有のものなのだろうか。

 とにかく、俺は。

 助かったのだ。

 言葉が通じるとは思わなかったが、仰向けから体を起こした俺は、獅子の大きな単眼に向き直り、お礼を言うことにした。


「助けてくれて——」


 ありがとう、とは続かなかった。

 爪と牙が俺を襲い、一瞬で八つ裂きにされた。痛みも恐怖も、感じる暇がない。

 そうして俺は、またも意識を失う。





 俺がこの谷底へ落ちてから、どれほどの時間が経過しただろうか。

 時間のほぼすべて、意識がない状態で過ごしているため、時間感覚はとうにない。いや、初めから無かったような気もするが。

 簡潔に言えば、獅子は『血を餌にする魔獣』だったのだろう。

 俺をこの奈落へ叩き落した男たちの一人が言っていたのを思い出す。魔獣は、個体ごとに偏食。奈落の主たる獅子は、生き血を啜るグルメだったということだ。

 同時に、獅子は自分の血液を与えることで生物の生殺与奪を完全にコントロールできるようだった。

死にかけの肉を新鮮な血液タンクに。

血液タンクを噛み殺して血を啜り、死にかけの肉に。

それを繰り返して、腹を満たしている。そういう様子だった。

俺は、その餌というわけだ。

しかし今日、この時。

俺は今までにないほど好調な目覚めを迎えた。好調とは言っても、餌となっている期間のみ考えれば、不調のなかでもかなりマシ……程度ではあるのだが。

この魔獣から、逃げる。逃げてみせる。

この体調で回復の血を分け与えられれば、走ることが出来る程度にはなるはず。今まで何度も血を与えられた経験と、逃亡を試みた経験から、今日なら行ける確信があった。

そして。それは正しかった。

垂らされた血を全身で受けながら起き上がり、巨大な獅子の脇をすり抜け、全速力で駆ける。

足がもつれ、息切れも早い。

背後を振り向くほど余裕はない。

ただ、荒れた岩地を無心で、全力で、逃げた。

いつの間にか、辺りが真っ暗になった頃。

倒れこんで泥のように眠った。獅子は、追ってこなかったのだ。

起きたら脇目も振らず、道なき道を進み続ける。

朦朧としていた。

クラリスのことだけが頭にあった。

俺は生きていると、伝えたい。ノルドが俺を騙したのだと。

無事を確かめたい。この手で抱きしめたい。温もりと、柔らかさと、香りを抱きたい。

どれくらい夜が過ぎ去ったか、数えていない。数えられない。

洞窟を抜け、林で前後を見失い、山を登ったり、下ったりした。どこに繋がっている道か、わかるはずもない。不自然なほど湧き上がる衝動に突き動かされ、永遠に歩み続けた。

ふと。

食欲をそそる匂いがして、しばらく感じていなかった空腹を覚えた。

俺は、引き寄せらるようにそこへ向かった。草葉をかき分け、木々の隙間を抜けた、丘からの景色。

眼下に、村がある。

やった、と思った。俺は帰ってきた。嬉しくなり、すぐに丘を下る。

クエストのことを話して、事故にあったのだと伝えよう。何か、食料を分けてもらえたら最高だ。山脈近くの僻地にある村だ。宿はないかもしれないから、家畜飼料用の納屋でもいい。一晩休ませてもらいたい。そうだ、喉も乾いている。急にカラカラだ。待てよ、こんなところに村なんて——。

 


 ……。

 ……………………。



「……うわっ、!?なん、なんで、なんなんだよこれ!?」


 俺は、女の遺体から手を離した。

 遺体は女だけじゃない。さっき丘の上から眺めた小さな村の中心部、広場のような場所で、俺は。

 大量の遺体が、積み上げられているその前に、いつの間にか立っていた。

 鮮血の濁流。


「俺は、俺は……一体どういう……」


 遺体の山。その中から一人。俺が抱えあげていた女。

 女の遺体に、目がとまる。

 女の遺体の、首元から肩にかけて。特に損傷が激しい。よく見れば、他の遺体もほぼ同様に、同じ個所に傷があるか、損耗しているかだ。

 凄惨極まりない光景に、生唾を呑み込んだ。

 その、飲み込んだ生唾に、味がした。

 とても。

言葉では、言い表せぬような。


『うまみ』だ。


俺は、口元を拭う。『右手』で。

想像できてしまった。拭った手の甲に、何が付着しているか。

不可解だと思った。俺の右手は、ノルドに切り飛ばされたのに。

急に空腹になり、喉も乾いた。現在はそれがない。

死体の山。口内に残った『うまみ』。

瀕死の俺を蘇生し続けた、偏食の魔獣。


禍々しい紫色の血管が走る、白い右手。

見覚えのない俺の右手が、血で濡れている。


「俺が、やったのか…………?全部……」


 返事をする者はもちろんいない。言葉にすると、途端に気持ちの悪い現実が迫ってくる感覚に襲われた。

 俺が、やった。

 俺が、皆殺しにした。この村の、人たちを……?


「ッッ……!違う!俺はッ、俺じゃない!俺は、こんな……!」


 膝から崩れ落ちて、赤く染まる生臭い手で頭を掻きむしった。


「う、オえぇぇぁッ……!!」


 せりあがる胃酸が、喉を焼いて口から飛び出す。眼前の「山」に、蔓延する血の臭いに、嘔吐感が止められない。

 何よりも、俺が、俺がこれを作り出した当人だろうという、まず間違いない思考が、何よりも気持ち悪かった。

 罪悪。

 そんな言葉では言い表せない。

 俺を、認めたくなかった。


「……うっ、くぅ……!うぅ、!」


 情けなくも、嗚咽が漏れる。明らかに人の者ではない白の左手を抱え、うずくまった。

 咽び泣く俺は、勘のような、第六感に近い気配を感じて、少し離れた家屋に目を向けた。

 その木造の家は、屋根が崩れ、壁が倒れ、原型を保っていなかった。

 その、下敷きになっている人間がいるのを、まるで「獲物をかぎ分けるように」探知したのだ。

 思わず、唾液をこぼした。

 飢えと、渇き。

 鼓動は、痛いほどに早くなる。

 あそこに、食えるものがある。

 餌が。ある。

 口角はつり上がり、力強く立ち上がり、今にもそこへ走り出そうしたところで。


「、!。ッ、……!違う!!!!違う違う違う違う違う!!!!!!俺は、クソッ!クソォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!」


 違う。俺は獣じゃない。魔獣じゃない。化け物じゃない。


「ダメだ!!『それ』をしたら、俺は戻れない!!ッ、ッ……!ふ、ぐ……うううううああああああああああああ!!」


 俺は、人間だ。違う。これは俺の意思じゃない。

 罪を、人として恥ずべき行いを重ねるな。

 そんなことをすれば、俺は、もう。

 クラリスに、顔向けできない。


「クラリス……ッ!?そうだ、……俺は、クラリスに、!!」


 俺は、誰かを守るために、強くなろうとしていた。そのはずだ。そうだろうシオン。

 そんな俺に、クラリスも応えていてくれたんじゃないか。

 裏切るな。俺だけは、俺を裏切るな。誰に裏切られてもいいから、彼女の真っ直ぐな瞳から目を逸らさずに生きることが出来る自分を、やめるな。やめたらダメだ。

 飢餓感と、渇きは、収まらない。


「ちくしょう……!!ダメだ、ダメだダメだダメだアァ!!!?やめろ!クソオォ!!」


 頭を何度も地面に打ち付けて、昂る血流を鎮めようとした。

 俺は……どうすれば。

 その時、声が。かけられた。


「アンタかな。お嬢の言っていた『シン』は。まっ、この有様を見れば一目燎前だね」


 間髪入れずに、飛びかかっていた。

 もう、理性は限界だったのだ。

 半ば反射的に、声の主を、殺しにかかる。

しかし。


「おっと」


 地面に身体をこするような体勢から急激に飛び上がろうとした俺の身体は、なにかで押さえつけられたように、その男の寸前で静止した。


「ぐう、あがッ、!!!ううううううううう、ああ!!」


「まあ落ち着いてくれ旦那。よお、ヘヨン。頼むぜ」


 静止する体に、電流のような衝撃があった。


「がッ!?!?」


 俺は、ゆっくりとまぶたを閉じる。

 ここ最近、何度目かわからない意識の喪失に、逆らうことも出来ず引きずり込まれていった。


「ゆっくり楽になるはずだ、旦那。なーに悪いようにはしねえさ。なんせ予言では、俺たち一族を救ってくれるって話だからな」


 長髪の、軽薄そうな若い男。

 男の言葉が、最後に聞こえた。


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