Aランククエスト③
三話
俺たち三人は幼少期から一緒だが、まるで利害関係で組んだかのように得意分野がバラバラだ。
ノルドは獣の痕跡を辿ったり、道を覚えたりするのが得意。山や森林に入るときは先頭を切って進む。
クラリスは、調理に秀で、材料に詳しい。毒草やその処理にも通じ、目利きも出来るので、今回のクエストでも活躍するだろう。
そして俺は、二人の護衛要員だ。三人の中では一番腕っぷしが強く、頑丈に出来ている。
もしゴーンたちが急な遭遇で獣と争った場合に、真っ先に加勢できるように俺が先頭。その後ろに食用に出来る植物を採取しながら進むクラリス。さらに目印を作りながら進むノルド。
クラリスを中心に植物を収集する俺たちとは違い、ゴーンと二人は野生動物狙いのようだ。しきりに足元を調べている。足跡などの痕跡を探しているのだろう。
それにしても、この森は『濃い』。
木々の間隔が狭く、頭上の枝や葉は絡まり合っている。木の幹にも、根元から伸び続ける蔦が絡まり、更にそれが隣の幹へと繋がったり、枝の部分まで進出したりしていた。足元には多種多用な植生が広がっており、嫌な臭いのする雑草や、背の高い雑草、まだら模様の菌類などが生えている。
密集する木のせいで、太陽の光も薄められ、土からは僅かに湿り気を感じる。太陽が当たりにくそうな場所には苔もあった。
そういうわけで、『濃い』。謎の生態系を形成する慣れない環境に戸惑いもあるが、これもまたレイガスト山脈や魔獣と関係があるのだろうか。
濃い森を進んだ先で、少しだけ開けたような地形になっている部分があった。その奥はなだらかに丘が上るようになっていて、山脈へ近づいている現実感がある。
「水場がある。ここで休憩しよう!」
先頭を歩いていたゴーンが足を止めた。
その言葉通り、丘を流れてきたほんの小さな水の流れが行き着いた窪みに、やや大きな水溜まりのようになっている場所がある。濁っていてこのままでは飲めないが、水場の目処が立つのは大きい。一週間の野営ともなれば、水源の確保は絶対だったからな。
ゴーンの言葉通り、思い思いに腰をおろす。
そうしていると、ノルドとゴーンが会話しているのが聞こえてきた。
「ノルド、お前は魔獣を見たことがあるか?」
「いや、ない!安全な田舎でしか狩りをしてなかったもんでな!聞くところによると、不思議な力を使うらしいってことくらいしか知らない」
「それも眉唾だがな。じゃあ魔獣の獲物になった生物とかもみたことないだろう。例えば、頭部だけない死体があったりするんだよ」
「頭部だけ?なんだそれ、頭だけ食うのか?」
「どうやらそうらしい。魔獣は個体ごとに偏食家らしくてな」
「へえ~!初めて知ったな!じゃあ足だけとか、目玉だけ食う奴とかもいるってことかね」
「いるだろうな。ま、どんなやつが何を食うのか知る時は、俺たちの死ぬときだがな」
「はっはっは!違いない!」
いや、笑いごとじゃないだろとは思ったが、魔獣が偏食家ってのは割と有名な話だ。
おかしな死体が出る時は魔獣の仕業、なんて言ったりする。たとえやったのが猟奇的な殺人者だとしてもだ。
魔獣に襲われた生物は一部分だけ失う。しかし、それを発見する者はほとんどいない。何故か。その死体は、別の獣に荒らされ、骨までしゃぶられるからである。
よって、どんな魔獣がどこを食うかは、全然わからないというわけだ。わかるとすれば、自分が食われて死ぬときだけ。笑えない冗談だ。
「ねえシオン」
クラリスが、鮮やかな色の実や引っこ抜かれた土まみれの根を持って声をかけてきた。
「どうした?」
「ちょっと手伝ってほしいんだけど、いい?深いとこまで根を張ってるのがいて」
「ああ、任せてくれ」
根菜の類が引き抜けなくて困っているらしい。
その場所には、なにやら土を掘って苦戦した跡が残っている。
「えーと、これでいいのか?」
「ええ。それで合ってるわ」
俺は試しに、地上に見える茎の部分を片手で掴み、「ふんす」と掛け声をかけて引っ張ってみた。そうすると、クラリスがてこずっていたとは思えないほど軽く、目的の芋?が地下から引っこ抜けた。
「ほら、抜けたぞ」
「ありがと。私も一般的な女に比べれば腕力あるほうだと思うんだけど、こうも簡単そうにやられると自信なくすわね」
芋?を受け取りながらクラリスが呟く。
「そもそも性別が違うだろ。頼めるところは頼んでくれた方が嬉しいぞ。だからそれで上手いもん作ってくれ」
「……そういうところが……やっぱりなんでもない」
クラリスは頬を膨らませてそっぽを向いた。
俺は顔を覗き込むようにして、
「そういうところが、なんだって?」
と顔を追いかけた。
目が合った瞬間、クラリスは俺の腹をどついてきた。
「いてっ」
「調子のってると叩くわよ」
「どついてから言わないでください……」
まあ痛くもなんともなかったのだが。思わず笑ってしまう。
「……なによ」
小さく笑う俺に、まだ少しふくれっ面のクラリスが「なにか文句ある?」とでもいいたげな視線を寄こしている。
「いや。ちょっと考えてたことがあったんだが、聞いてもらっていいか?」
このクエストを受けることに決めた夜から、ずっと考えていたことを言うことにした。なんだか、今がそのタイミングな気がした。
「…………いいわよ?」
クラリスも、何か真面目な話を切り出される空気を感じ取ったのか、先ほどよりもかなり意思が弱そうな声を出した。こういうところが可愛げあって、好きだ。
「このクエスト、今までの俺たちからすれば、報酬は桁違いに多いだろ?」
毎度請け負うような狼退治だの兎捕獲だのに比べれば、報酬金はゼロが二つほど違う。これだけでしばらく生活できるほどに。
「そうね。何か買うもの決めてるの?」
「それが本題。一緒に家買わないか?」
「……………………えっ」
いきなり過ぎただろうか。しかし、クラリスのポカーンとした表情が拝めただけで、いきなり放り込んだ価値はあった。その表情がなんだかおかしくて、また笑ってしまう。
「家。二人で住もう」
「えっ、家って、でも」
「今の三人で住んでる家出て、二人でどっかの安い家でも探そう。あっ、もちろんノルドにも報告しなきゃいけないけど、まああいつなら祝福してくれる気がしてるけどな。長い付き合いだし」
俺も、切り出してはみたものの多少不安らしい。まくしたてるように喋っている。何が不安かって、当然。クラリスが受け入れてくれるかどうかだ。
でも、ノルドだけじゃない。クラリスも長い付き合いだ。なんとなくわかっていた。
「ダメか?」
俺が本気で何かをお願いしたら、クラリスは断らない。
やがてゆっくりと首を縦に振り、そのままモジモジと目を背けたままになってしまった。
「よし。決まりだ。詳しいことはこのクエストが終わったら話そう」
ぱったり無口になってしまった彼女は、依然として視線を下に向けながら、コクン、と頷いた。こういうところが好きで、俺は彼女に想いを伝えたんだっけなあ……と感慨深くなる。
「おーーい二人とも!そろそろ出発するぞ!」
ノルドが呼んでいる。そろそろここを離れて探索に戻るようだ。
「行こう」
またしてもクラリスはちょこん、と首を動かすばかりだった。
俺は、どういう家がいいかな。なんて考え始めていた。
〇
探索再開後間もなく、先頭を行くゴーンたちが、なにかの足跡を見つけたようだ。
「デカいな…………熊か」
「間違いない。まだ新しいな……近くにいるはずだ。狙おう」
ゴーンの仲間二人がしゃがみこんでいる地点に合流する。
「熊を狩るのか?俺たちは経験したことないが、そっちは?」
俺の問いに、ゴーンが答える。
「俺たちの地元では熊が多くてな。数えきれないくらいやってる。俺たちが中心になってやるから、邪魔が入らないように周囲に目を配ってくれ」
「助けはいらないってことだな!他にはなんかあるか!」
ノルドの問いにも、太い腕で腰から斧を抜いたゴーンが返す。
「ないとは思うが、万が一にも俺らが失敗した時は逃げられるように距離をとっておいた方がいいかもな。水場の情報は持って帰りたいし、誰か一人は戻るべきだ」
「任してくれ!うちで一番足が速いのは実はクラリスだから、戻るのはクラリスになるな!」
「だな。荷物は俺か、ノルド。どっちかが持った方がいい」
「身軽にしとけってことね。わかったわ」
俺はクラリスが採集したものが詰められたナップサックを受け取り、背中に背負った。
ゴーンたちは手慣れた様子で、準備を完了させていた。ゴーンは斧、残り二人は刃渡りの長いナイフを複数個。
「まあ俺たちの食いつかれても、そいつを囮に他の二人が熊を殺すから、全滅はないと考えていていい。大船に乗ったつもりでいろ」
自信ありげなゴーンたちに全て任せるのがよいだろう。下手な横槍を入れて死人が出るのはバカらしい。しかし、もしゴーンたちが助けを求めて叫んだりしたら、俺だけでも現場へ向かうかもしれない。短く浅い付き合いだが、少なくとも悪い連中ではなさそうだ。ゴーンをリーダーとしてキャンプ隊がまとまっていることもあるし、出来るなら力になりたい。
そして、ゴーンたちは出発していった。
しばしの静寂。音を立てずに待機する俺たちの耳に、聞きたくない台詞が聞こえてきた。
「嫌だ!やめてくれぇ!」「死にたくないッ!助けてくれ!シオン!ノルド!」「ぐああああああああああ」
屈強な男たちの、凄惨な悲鳴が森に木霊した。
「どうした!?ゴーン!おおい!?」
「ねえ。これ、逃げた方がいいんじゃない!?」
彼らの叫び声は断続的に、しかし確実に続いている。相対している生物にいたぶられているのか、とどめを差されずにまだ生きて叫び続けていた。
「シオン、ゴーンたちを助けよう!まだ生きてる!」
一瞬、迷った。
逃げた方がいい。熊狩りにあれほど自信を見せていたゴーン達が失敗したのなら、俺たち二人が向かったところでどうにもならないかもしれない。
しかも、三人の悲鳴が同時に聞こえる。そこから考えれるのは熊が一匹ではないか、熊よりも強力な、想定外の『何か』がいるかだ。
だが、俺が迷う一瞬の間に、ノルドは全て決断を終えていた。
「俺は行くぞ!見捨てない!」
そして立ちあがり、駆け出す。
「……こういうとこだよ、俺らのリーダーはさ!クラリス!キャンプ地に走れ!」
「でも」
「いいから行けッ!!」
怯えてしまったクラリスに喝を入れる。俺の大声に無理やり促され、クラリスは走り出した。
ノルドは一人では行かせられない。
こういうときの為に、俺は努力してきた。
生き残るんだ。三人で。
俺はノルドを追って、ぱったり止んでしまった声の方向へ走る。ゴーンたちが通った跡だろう。狭い一本道を真っ直ぐ突き進むだけで、そこへたどり着いた。
そこに、ゴーン達はいなかった。
あるのは、突然地面に亀裂が入ったように広がる谷……崖だろうか。それと、崖の縁で体を横たえる熊だ。ここからでは、崖の下は伺い知れない。血塗れになり、伏した姿の熊は一見して絶命しているように見えた。付近にも、大量の血液が飛び散っている。
念のため、腰から刀剣を抜き放ち、ノルドに待つよう身振り手振りをする。
汗が滲む。
呼吸が難しい。
背筋に走る悪寒に、身が凍るような心持ちだった。
俺はゆっくりと熊に近づき、背後から熊の首元へ、剣を。
「はあァ!」
突き立てた。
どすっ、っと。突き刺した剣先の感触が伝わってくる。
死んでいる。間違いなく。
だとしたら、ゴーン達はどこへ。まさか。谷底へ落ちたのか。
「…………なんだ……?」
おかしい。
俺は、違和感を覚えた。
あり得ない。こんなことはあり得ないはずだ。
ゴーン達は、この熊と戦い、相打ちになり、崖から落ちた?
それは、あり得ないだろう。だとしたら、なぜあんなに長時間叫んでいた?
崖に掴まっていたのか?三人とも?そうであれば、あんな叫び方はしなくないか?あれは、何かに襲われている時の声に思えた。
それに、この感触。
突き刺した刃から伝わる最大の違和感。
さきほどまで生きていた生物の、柔らかく、血を突き破るような、粘性の手ごたえがまるでない。ただ固い皮を貫いた感覚。
この死体は、もう何時間も前に死んでいた……?
————ゴーンたちの、罠……?
「ノルドッ!逃げ————」
思い立った瞬間、振り返り、声をあげていた。
俺の言葉は、振り返った先からの衝撃で、遮られた。
「ぐぅッ!?」
視界は大きく揺れ動き、身体は断崖絶壁へと吸い込まれる。
何かが、俺にぶつかった。
ひっくり返る体と、視線の先。
奈落の底を思わせる、薄暗い崖の奥底が見えた。
思考は、真っ白だった。
反射的に、崖の縁に全力で指を引っ掛け、なんとか落下は阻止した。
しかしながら、命の危機からは脱していない。
「っく、な、なにがあった!?ノルド!?」
俺の後ろにいたノルドへ呼びかける。
ノルドは無事なのか?なにがどうなっている?何が俺にぶつかった?
腕に全身全霊の筋力を込め、懸垂の要領でぶら下がった状態から崖上に上がろうと試みる。次の瞬間。
「ぐあぁッ、つうッ!?」
端の岩肌に引っかかっているだけの俺の指を、誰かが踏みつぶした。
それが誰なのかは、見上げればすぐすぐそこに答えがある。
誰か。
なんで。
どうして。
俺は、よく知るそいつに激昂の叫びを上げる。
「なにを、してるんだよノルドォォ!!!」
十年来の親友が、俺を踏みつけ、見下ろしていた。