Aランククエスト②
第二話
目的地へは、馬車を乗り継ぎ二日ほどだった
馬車の荷台から見える景色は移ろい、やがて行く先に、雲の切れ間にまで山頂が続く山脈が見えてきた。
「あれがきっと、大陸を分かつ『レイガスト山脈』ね。すごいわ、もう見える限り全部が山じゃない」
クラリスの言う通り、天高くそびえ立つ霊峰の連なりはおよそ計り知れないほど続いていて、右も、左も。地平線は全てレイガスト山脈のものとなっていた。
レイガスト山脈。またの名を、神域。
すべての魔獣は神域より出でると言い伝えられていて、事実、レイガスト山脈には強大な魔獣が多数生息しているため、最上位ダイヤモンドランクのハンターですら入山を許可されていない。
幸い、強力な魔獣が人里を狙い下山してくることはほぼ無いため、山の麓に拡がる森で群がる魔獣を駆除しておけば、大陸南部——俺たちが住む地域——は安泰だ。
森が近づいてきて速度を落とし始める荷台の上で、ノルドがとても器用にバランスを取りながら立ち上がる。
「この山の向こうには、俺たちと同じ祖先の蛮族が住んでるんだろ?どんな連中なんだろうな!」
「蛮族っていうくらいなんだから、荒くれ者なんだろ。だからこの山が出来たらしいしな」
そう、伝承では。この山は『作られた』らしい。
二つに分かれて人が醜く争う姿に嫌気が差した神様が、争う両者の間にけして超えられぬ壁を設けた。それがレイガスト山脈だと、そういう昔話でもあり、おとぎ話でもあった。
ゆえに、神域。
けして超えられぬ山だ。
俺たちは、森の入り口で馬車を下りた。
付近には、同業者と思しき人がざっと二十人は集まっていて、大体の者が魔獣と戦うとはあまり想像できない軽装だった。武器を持っていない者もいる。
かく言う俺たち三人の装備も大したことは無く、全員が革を中心とした動きやすい軽鎧、安物の剣一本にナイフ、サバイバル用に物を詰め込んだナップサック程度。せいぜい隣町まで徒歩で行けるかぐらいの用意しかしていない。
「ここにいる人たち、みんな同じクエストで来てるみたいね」
「らしいな。俺たちと同じブロンズか、よくてもシルバーってとこだろう」
クラリスも同じことを思ったのだろう。周囲に聞こええてもまずいと思ったのか、顔を寄せてひそひそと喋りかけてきた。
周りのハンターたちも、俺たち三人と同じようにチームを組んでいる者たちが大半のように見えた。初顔合わせで馴染んでいる様子はない。
「おい、これ本当に安全なのか?」「大丈夫だって。ビビってんのか?」「一か月前か告知されていたし、ギルド側も準備は整えてるだろ」「そうそう、気負うことねって」「それならいいけどよ……」
盗み聞き、というより、隣で会話しているグループの話に聞き耳を立ててみた。
一か月前から告知されていたクエストなのは意外だ。ノルドがこのクエストを持ってきたのは五日前だし。もしかすると、田舎すぎて告知が遅れていたのかもしれない。困ったものだ。遠方はつらい。
しばらくすると、新しく馬車の一団が街道を通ってやってきた。その中に、明らかに絢爛で壮麗な外見の馬車があった。
一見してわかる。あれは、
「貴族ね」
「そうみたいだ。目立たないようにしよう」
辺りにいる同業者たちも「貴族様が前線に何の用だよ……」「ちっ、タダ飯食らいの豚が」などと思い思いの感想を述べている。
およそ馬車には必要ないと誰が見ても明白そうな装飾が煌めく馬車、その乗室のカーテンが開き、一人の男が現れる。と思いきや。
「馬車旅は疲れていけない、もうなんのやる気もおきんぞ。爺、すべて任せる」
と言い放ち、サッとカーテンを閉めた。
「…………なんか、やる気のない貴族様だな」
「ノルド静かにしてくれ」
やる気がないならそれでいいのだ。貴族様に無理難題を吹っ掛けられるほど馬鹿なことはない。
貴族様の代わりに、御者に乗っていた初老の男性が俺たちハンターの集団に近づいてきた。別の馬車には貴族付きの護衛が乗っていたようで、そこからも何人かが俺たちの近く……正しくは初老の男性の近くに近寄ってくる。
初老の男性は、貴族の伝統やら王国の栄光やらと興味のない前置きをした後、これまた小難しく内容の分かりにくい話をしていた。話を聞くのが苦手な俺は、ついつい、直立したまま寝そうになってしまい、ほとんどの話を聞き逃した。まあいいか、俺がクエストの説明を聞いていなくても、クラリスは聞いといてくれるだろう。ノルドは寝ているかもしれない。
なんで興味のない話って、聞いているだけでこんなに眠くなるんだろうな。
〇
「つまり、本当にキャンプの設営と食料の調達だけしてればいいってことか?」
「そういうことね。まったく、ノルドもシオンも立ったまま寝てて説明聞かずにどうするつもりだったのよ」
「いやぁ、はっはっは!俺が寝ても誰かが聞いといてくれるだろうと思って。シオンは寝てるかもとか思ったが」
「右に同じく」
「完全にあたし頼みじゃないの!……まったく……。いい?詳しくはこういうことよ」
クラリスは、(俺たちが仮眠している間にされた)クエストの説明を始めた。
明朝、ダイヤモンド、プラチナ、ゴールドの討伐部隊が到着し、魔獣討伐クエストが開始される。大人数でかかっても、討伐まで一週間はかかる見込みの新種のため、討伐隊は二部隊に分かれ、交代で戦闘を行う。その間、スムーズに休息が出来るキャンプを森の入り口前……要は現在地に設営・維持するのが俺たちの役割だそうだ。
具体的には、周囲の安全確保と食料調達。いくつかのグループは最寄りの街とここを往復し、必要なものがあれば揃える。それ以外は前述通り、キャンプ維持。
なるほど。大体は事前情報と変わらない。
だが、俺たちは自分たちの備蓄食料を持参しているくらいで、一週間この場所に居座るのであれば、とてもじゃないが他者に分け与える余裕はない。調達、というのであれば、山へ向かう森に入る必要が出てくる。
「食糧調達って、どうするんだ?」
「森に入って野草なり兎なりを狩ってこいってことか?」
ノルド、俺の順に素朴な疑問を口に出してみた。
クラリスは大きなため息をついて、「本当に何も聞いてなかったのね」と呆れ顔だ。俺たち二人は面目次第もない。反省してます。
「森には自由に入っていいそうよ。このクエスト中は。もちろん貴族様のお墨付きでね」
レイガスト山脈に直接続くこの森は、ギルドのみならず、貴族の承認がないと立ち入ることが許されていない。王都でふんぞり返る貴族がこんな北端の僻地にいるのは、現場監督のようなものだろう。このクエストは、歴史上でも例外中の例外というわけだ。
まあ、当の貴族にやるきはなさそうだが。
しかしそうなると、少しも命の危険がないとは、なかなか言い切れなくなってきた。
魔獣の本拠地に最も近い森に入り、食料となるものを探す。下手をすれば、これだけでBランククエスト相当にもなりそうだ。
腕を組んで唸るノルドは、すぐに何かしらの案を思いついたようだった。
「なあ!どこかのグループと協力して森に入らないか?俺たちと同じような立場のやつも絶対いるだろうし、人数多い方が安全だろ!」
「それがいいな。名案だと思う」
「あたしも賛成。三人だけで森に入るのは無謀だわ。いつもの山ならいざ知らず、見知らぬ土地でもあるしね」
ノルドの案に、俺もクラリスも賛成だった。おそらくは、他のブロンズハンターグループにとっても渡りに船、断る理由のない提案だろう。
「じゃあさっそくどっかのグループに声かけてくるぜ!」
と、勢いよく走りだし、少し離れた場所のグループに突っ込んでいった。すぐ近くにも何人かいたのにな。
話し合いがまとまったのか、ノルドが豪快な風体の大男を連れて戻ってきた。
「二人とも!なんかもう皆で協力するってことで一致してたみたいだ!はっはっは!」
「……どういうことだ?」
いまいち話の流れが掴めず問うと、大男が一歩前に出て言葉足らずなノルドの代わりに喋ってくれるようだった。
「よう、俺はゴーンだ。このキャンプクエストに参加しているハンターのリーダーをやらせてもらうことになってる。よろしくな」
「俺はシオンだ。こっちはクラリス。よろしくなゴーンさん。それで、リーダーってのは既に協力関係が約束されたグループの、ってことでいいのか?」
「そういうことだ。もちろん、貢献度に応じた報酬の山分け、再分配などはしない。俺たちは全員、身の丈に合わないAランククエストを受けに来た同志だからな」
ゴーンは、厳つい顔でニッと自嘲気味に笑う。
「それで、あたしたちはあなたのグループで、どういった立ち回りをすることになるのかしら」
棘のある物言いかもしれないが、クラリスが言わなかったら俺が似たようなことを訊いていた。
ほぼ間違いなく、このタイミングで参加する俺たちがもっとも新規の参加者だろう。リーダー、なんて名乗る人間がいる互助関係の中で、下っ端のように森に入らされてはかなわない。盾か壁の役回りはごめんだ。
ゴーンは大きな掌を振って、誤解しないでほしい、と言う。
「それぞれのハンターたちはお互いに助け合おうと、それだけさ。森に入る前に、人数を考慮して俺が小さなグループの振り分けを行うが、それ以上はない。振り分けを俺が行う理由は、俺が発案者だからだな」
「いやぁ、俺が誘ったらもう同じこと考えてるどころか実行してる奴がいてビビったね!」
能天気なノルドはさておき。
クラリスに目配せする。「いいか?」という問いかけを込めたつもりで、おそらくそれに対してクラリスは「オッケー」と首肯した。
「わかった。喜んで組もう」
「変な勘繰りをしてしまって、気を悪くしていたら謝るわ」
「いいや。この業界いろんなことがある。警戒しすぎる奴の方が腕は確かで長生きするってな。よろしく頼むよ。テントを立てたら俺のところに集まってくれ。またな」
俺たち三人と順番に握手をして、ゴーンは踵をかえす。
依頼された物事を達成して金銭を得る職であるハンターには、犯罪を請け負ったりするものもいる。依頼が無くても、活動する狩場が被ったという理由で、ライバルを騙して谷に突き落としたり、魔獣の巣に置き去りにしたりする者もいると聞く。
ハンターにとって信用できないものは、己以外のハンターだ、と公言するダイヤモンドランクのベテランもいるくらいだ。自らの利益を独占しようとするハンターはごく少数ではないのだ。
それでも、金を稼ぐために命をかけたい者は少なく、狩りを行える者の需要は高いので、この国でハンター職は成り立っている。
テントの設営はつつがなく進み、日も上り切った頃、ゴーンの元へ集合したハンターたちは六人から八人のグループに分けられた。俺たち三人はゴーンとその仲間が合流し、、一時的に六人の集団として行動することとなった。
結成された即席グループの内、二つのグループはキャンプ場に迷い込む獣がいた時の対処、どこかのグループが救援を求めた時の連絡と救出を担当するために残ることとなった。残念ながら俺たちのグループはその二つのグループではない。
「これより、グループごとで散開して森に入る!各自、配布した小瓶に染料が入っているので、それを道中の木に塗り付けて目印とするように!帰り道がわかるようにな!」
ゴーンがハンター全員に向かって呼びかける。
染料はノルドに渡していた。ノルドはこう見えてというべきか、痕跡を探したりするのが得意で、いつもは道案内なども引き受けている。方向音痴な俺が瓶を渡されてしまったので、無言でノルドに手渡した。ノルドも「おう」とか良いながら受け取ったし。適材適所だ。
染料の説明をしたゴーンとその仲間二人が合流した。森の奥では、危険な生物に出くわすかもしれない。言い知れぬ緊張感が漂う。
「よし、行こうか」
ゴーン達が先陣を切って、木々をかき分けていく。
「あたしたちも続きましょう」
「ああ。ノルド、目印は頼む」
「おう、俺が最後尾だな」
ナイフで枝や蔓を切り裂きながら、ゴーン達を追った。
この先を進めば、ほどなくして魔獣の霊峰レイガスト山脈へ行きあたる。
ジワリ、と汗がにじむ感覚。
ナイフを握る手も、これ以上なく力んでいた。