14-2.逃げさせて
それでも困って思わずちらりと線を向けると、フランソワと目が合った。すると、彼は静かに言った。
「……怒っておられないんですね」
「怒る? どうして?」
私が正直に言うと、フランソワは苦笑した。
「ロザリー様はアデリン様を陥れようとしたんですよ? ランディ様のせいで」
「ええ、そう……みたいね」
「それに、私はあなたをだました詐欺師で、それなのに、足を洗って貴族になろうとしている。ひどいと思いませんか?」
「え、えぇ、まぁ、そうね……」
「だとしたら、どちらかに怒るのが普通では?」
「そうかもしれないけど……」
何に対して怒っていいのかわからない。
というか、怒ることが多すぎて、どうでもいい気がしているのが本音だ。
ただ私はもう、帰りたい。
私は一人で生きていくんだから。兄にわかってもらうんだから。ペットショップを経営する独身女貴族として、悠々自適に過ごすんだから……邪魔しないで。
私の可愛いペットちゃん達と一緒に過ごすんだから。
だって、その方が、嫉妬したり嫌がらせされたり悩んだりしなくて済むんだもの。
ランディなんて。
そもそも、私は妹分なのよ? なれないのなら、友達でいい、それならそばに居られる。ただ普通に声をかけてくれて、話を聞いてくれるだけでいい。それだけだったのに。
悔しい。
なんだって私はこんなにランディを好きになっちゃったんだろう。
自分でも信じられなかった。私が人間に恋をするなんて? そんなの、勘違いよ。その上愛されてるなんて思うなんて、冗談でしかないわ。
私は脳みそを総動員して我に返ろうとした。
でも、先ほどのランディの言葉が、もう一度、いや、何度も、耳の奥で響く。
『それは……僕がアデリンを愛しているということだ。……この上なく』
駄目だ。
それきっと、多分、恋愛の意味じゃないんだ。違うんだ。私が本気にしたら、笑い者にするんでしょう? わかってるんだから。
「つまり、その、……全部ランディのせいなんでしょ」
だんだんと、怒りが湧いてきた。
「私がこんなところにいるのも? お兄様に同情されるのも? ロザリー様に陥れられたのも? どうして? 私が何をしたっていうの? 私はただの、動物狂いの変わった令嬢なのでしょ? ランディには妹にしか見られていないのに、そのはずだったのに……」
何しろ、私は直接言われていない。だから、あれはきっと聞き間違いだと言われるだろう。私が希望していた意味のことではないのだと。
「期待してしまうじゃないですか!」
私は思い切り後ろに飛び退ると、ペット達の部屋の扉をバタンと思い切りよく閉めた。
バンバンと扉を叩く音がする。
「まぁ……アデリン様!」
声を上げるクララに向くと、私は扉に鍵をかけながら、外に聞こえないように声をかけた。
「帰りたいわ」
頭がパンクしそう。これ以上何かあったらきっと破裂してしまう。
私の弱音に、クララが信じられない、といった顔をした。
「……本気ですか?」
「逃げるから、門のところまで案内して」
「ですが」
クララは言い淀んだが、公爵夫人は、私が誰とも会わずに帰るのを手伝うようにとクララに言ったのだ。それを思い出したのか、クララは表情を抑えてうなずいた。
「わかりました」
「馬車は来てる?」
「ええ、公爵家の馬車を……」
「窓から出られるかしら?」
「ええ、まさか……アデリン様が?」
「大丈夫、これでも馬術大会で優勝したし、釣りも得意だし、かけっこは誰より早かったわ。犬と競争したって時には勝つのよ」
「まぁ……」
クララが目を丸くしている。
「だからお願い。誘導して」
私が真剣にクララに懇願すると、クララは観念したようにため息をついた。
「わかりました。私が誘導いたします」
「ありがとう! クララ!」
私はクララに抱きつくと、そのまま窓に向かった。クララが私のあとを追いながらため息まじりに呟いた。
「窓から殿方から逃げたがるなんて、奥様と同じですわ」
「公爵夫人と?」
私はたどり着いた窓に手をかけ、振り返った。
あの優雅でおおらかで優しい公爵夫人に、こんな共通点が……!
そして、その手で窓の鍵をおろし、ゆっくりと開ける。心地よい風が入ってきた。
「はい。いつだって旦那様から逃げ回っておいででした。私が初めて奥様についた時もそうでしたわ」
「その話、今度ゆっくり聞かせて」
言いながら思わず鼻を啜りあげると、クララが首を傾げた。
「どうなさいましたか」
「嬉しいのよ。逃げてもいいって言われたようなものだもの!」
私はクララに笑いかけると、窓の外を眺めた。
ここは一階だ。そして、適度な植え込みの間を走っていけば、きっと門までいけるはず。
「クララ、お願い」
私が促すと、クララはスカートの裾を慣れた手つきでまとめ、さっさと窓枠を超えた。
「……随分と手慣れて……」
「奥様を追いかけるのには、同じ道を辿るのが一番の近道でしたから」
言いながら、窓からさっさと離れていくクララを追いかけて、私は思い切り窓から飛び出した。