2-2.メゾン・ペルル・ドゥ・ヴェール
「‥…潰れかけのドレスメゾン風情が」
メゾンのドアマンが悪態をついたが、彼女はそれを物ともせずに鼻で笑った。
「だとしても、一人でも顧客がいれば、仕事は成り立つわ」
「いるのか?」
「いるわよ、あんたが思うよりずっとたくさんね!」
そして、ジジは私に向き直った。
「あなたもあなたよ、お嬢様。王都に来たばかりの世間知らずなのでしょ? 侍女一人しか連れないで、カモにしてくださいって言ってるようなものじゃない。ちゃんと知ってる人に連れてきてもらうのね」
ジジは鼻を鳴らすとくるりと背を向け、去っていこうとする。
「ああ、待って」
「お嬢様、うちのドレス……」
「ごめんなさい、今回はやめておくわ!」
言うと、私はジジを追いかけて走った。
「ジジさん!」
私が追いかけて声をかけると、ジジは驚いて振り返った。
「何? 文句を言いに来たの?」
「違うわ。断ってくれてありがとう。あのお店、あまり質は良くなさそうと思っていたのに、うっかり買ってしまいそうだったから」
「お金がある人ってこれだから。もっと考えて、厳選するべきよ」
「そうよねぇ……」
いっそ、貸し衣裳でもあればいいのにと思い、私は看板にふと目を留めた。
「メゾン・ペルル・ドゥ・ヴェール……」
「キラキラしたもの、って意味よ。ドレスを着たり着飾った自分を見た時の、キラキラした瞳をイメージしてるの」
「素敵な名前ね」
すると、ジジは仏頂面のまま、頬を少しだけ赤らめた。ちょっと嬉しそう。
「……入る? 何もないけど」
「あら。ドレスメゾンなんでしょ? 布くらいはあるわよね?」
私がニヤリと笑うと、ジジはきょとんとした後、鼻を鳴らした。
「針と糸もあるわよ。リボンもレースもね」
そしてジジは笑いながら扉を開けて、私たちを招き入れた。
ドアの向こうは、最初に入ったメゾンより埃っぽく、布で溢れていた。サンプルらしいドレスは少なく、トルソーにかかっている数点のみで、後は、クッションカバーや刺繍ハンカチが積まれている。
「小物……屋さん?」
「違うわ。ドレスメゾンよ。でも、……」
ジジは荷物を端に置きながら肩を落とした。
「大手や安売りのお店ばかりに客が行ってしまって、うちみたいな、古いタイプの、オリジナリティを目指すメゾンはこういった注文ばかりなの。まぁ、収入にはなるし、こういう繊細な仕事は、本当に手先が器用で才能がないとできないからね」
「そうね……とても素敵だわ」
全くファッションに興味がない私にもわかる。この刺繍はとても綺麗だ。知識のあるカミーユなら、ずっと楽しんで見られるだろう。
その中の一つに、私はハッと目を引き寄せられた。
これは……!
私は駆け寄ると、じっとそのクッションを眺め、震える声でジジに尋ねた。
「こ……これは……! この犬は……!」
私のペットショップで売れた第一号の可愛いコッカースパニエル、名付けはルル、彼にとっても似ている。
「犬のクッションの習作よ。伯爵夫妻にはもっとちゃんとしたのを納品したわ。夫妻は、本当にこのルルが大好きで……」
「ルルなのね! 私の売ったワンちゃんが! あの子が! クッションにぃぃぃ!」
「へ?」
「この色! このあどけなさ! ちょっと首を傾げたところが妙に可愛くて、そして瞳のつぶらなさ……! 撫でた時の柔らかさが体感できそうなくらいのツヤ……! ルルにまた出会えるなんて!」
私のはしゃぎっぷりに恐れをなし、ジジはこっそりとカミーユに近づいた。
「……侍女さん、この方、大丈夫?」
「ええ、それなりにまともですわ。偶然ですが、ルルは、お嬢様が手がけているペットショップで、一番最初に買っていただいた商品です。ですから、お嬢様なりに思い入れがあるのでしょう」
「ルルを売ったお店の店員さんなの?」
「いいえ、経営をしております。彼女はアデリン・ヴォーコルベイユ嬢、ストローブ侯爵の妹にあたります」
ジジは目を丸くした。
「……本当に? 高貴な方だとは思っていたけど、そんなに……ストローブ領のペットショップ、すごく評判がいいのよ。わざわざ王都から見に行く方もたくさんいらっしゃるわ。よく、刺繍を頼んでくださる奥方も、興味があるって話しておいでで」
「ええ、お嬢様はご自分の敷地の広さを充分に発揮し、私どもの扱う商品に関しては、運動も躾も、完璧にさせております。アフターケアもばっちりです。うちのペットショップで買えば、領地まで運動させにくることも可能ですし、今後、王都に住まう貴族たちの購入が増えれば、王都の近くに運動場を建てる計画もあります。お嬢様はこんななりですが、しっかりとした経営者です!」
カミーユが得意そうに胸を張った。自慢に思ってくれて、それは嬉しいけど。
「こんななりは余計よ」
私は少しだけ苦言を呈した。怒っているわけではないけれど、自分の目的を思い出したのだ。
「そうよ。私、目的を忘れるところだったわ」
メモ
perle de verre(ペルル ドゥ ヴェール):ガラス玉