1-3.可愛い妹じゃなかったの
「……お嬢様」
ベッドにうつ伏せて肩を震わせている私に、侍女のカミーユがなだめるように、優しく声をかけてくれた。茶と白のまだら猫のチッチが、私の手をザラザラと舐めてくれている。
「いいの、何も言わないで」
「ですが」
私は顔を上げた。
ええ、そうよ。兄のひどい仕打ちなんて、今に始まった事ではないわ。
チッチが今度は頬を舐めてくれる。私は、チッチの耳の間をグリグリと撫でながら起き上がると、ベッドから降りてドレスのスカートを叩いた。その衝撃でチッチはナァンと鳴いて慌ててベッドから降りたが、私のスカートにまとわりついた。
ああ、この可愛い子とも、しばしお別れなんだわ。
「荷造りをして。明日には出るわよ」
「本気なんですかぁ」
「何よ、カミーユ、あなたもウサギなんてどうでもいいと思ってるの?」
私が赤い目でキッと睨むと、クローゼットに向かいかけたカミーユは、ぽかんとした。
「ウサギ……ですか……」
「売れ筋商品よ? とっても可愛いのよ? きっとお兄様が片想いしてるけど全く相手にされてない、あのお方だってお好みでいらっしゃるわ。流行りものが好きな方ですもの、キャーッて言いながら兄様に媚を売ると思うの。そんな大事なこともわからないで、話も聞かないなんて、お兄様は相変わらずね!」
「お嬢様……」
カミーユはため息をつくと、残念そうに首を横に振った。
「何? 言いたいことがあるのなら、言って?」
「お嬢様は旦那様に言われたことを気になさらないんですか? その……ご令嬢のことがお嫌いなのですか?」
「ロザリー様のこと?」
ロザリー・ソレルはロジェ伯爵の長女で、それはそれは美しく華やかで、権力がある。
父親と兄が官僚だということもあるが、ロザリー自身がとても社交家で伝手をたくさん持っており、賛美者や信奉者が多い実力者なのだ。ダリウスはその強気さや驕りのある偉そうな態度が好きなようだが、私とはずいぶん気が合わなそうで苦手だ。
「いいえ、特にどうとも思っていないわ。ただ……合わないっていうか。目的のためなら手段を選ばなそうで、苦手なのよ。ファッションに敏感だから、義姉になったらうるさそうだし……まぁ、でも、お兄様は真面目で仕事人間だし、もっと明るい人の方が合いそうな気するわね。それに、他にも、公爵のご子息や王子様だっているわけで、結婚相手に事欠かないもの」
「まぁ。旦那様は公子様にだって引けを取らないご立派な方です。いつだって人気がありましてよ」
「それなら、どうして振られたの?」
「タイミングの問題でございますわ。二人ともお若かったので」
「なら、今は大丈夫でしょ。ロザリー様はまだ社交界の華として人気があるし」
だからこそ、ダリウスはご機嫌取りをしてもいいはずなんだけど。
「そういったことは……あまりご本人を前に言わないでいただきたいのでお伝えしますが、縁がなかったということで、すでにお考えになっておりません」
「詳しいのね」
私が首をかしげると、カミーユは申し訳なさそうに視線をそらした。
「……私たちが散々噂したからですわ、お嬢様」
「お兄様の傷を抉るようなことをしたのね」
「そうでは……ないと……思うのですが、とにかく、その方のことは終わったことなのです」
「家で話さないだけで、心の中ではわからないじゃない?」
「だとしたらもっと話してはなりません。お嬢様がこの家を出る時でよかったですわ」
自分たちは話したくせに。だいたい、兄の方が酷い。
「だって酷いじゃない。私と結婚してくれる男性なんていない、なんて」
「まさか、そんなことおっしゃってませんでしたわ」
「同じようなことでしょ? 言えばいいんだわ、あなたもお兄様みたいに。男に生まれればよかったのにって」
私は肩を落とした。
剣に銃に馬に釣り。父はたくさんのことを教えてくれた……あの頃はよかった。
少なくとも、窮屈なドレスでお愛想笑いをしないでいられた。
「男だったらよかったわ。そうしたらあなたと結婚するのに」
「お嬢様、それは嬉しいことですが、お話が飛びすぎですわ」
「ひどいわね。ま、いいわ。お兄様の気持ちもお察しできるもの。妹がこれでは、嫁の来手がないのではないかしら」
私は窓の外を眺めながらつぶやいた。
「こうなった以上、やり遂げるしかないわよね。ペットショップは当分、私抜きでやってもらわなきゃ。……ほら、見て、カミーユ。今出て行ったのは、早駆けよ。私が王都の屋敷へいくのだと、使用人に伝えに行くのだわ。お兄様ったら手回しが早い。全くね、可愛い妹じゃないの?」
可愛くても度が過ぎれば心配になるのは皆一緒です、と思ったカミーユは、賢明にも、それを口にはしなかった。その代わり、にこりと笑った。
「お嬢様、旦那様はお嬢様を大切にしておいでですわ」
しかしそれは、私には聞こえなかった。ただただ、今後の考えを巡らせていたからだ。
「私わかったの。お金のない貴族男性をターゲットにすればいいと思うのよ。幸い、私は細々だけどペットショップをやってるし、安定的な遺産収入もあるから、それを年に半分半分で渡すということなら、お金があまりない人なら、飛びついてくれると思うの。そして、その条件は、私と結婚して、私のすることを邪魔しないこと。本もそうだし、ペットもよ。今度はシロネズミがいいかもしれないわ。どう思う?」
荷造りをしていたカミーユは、困ったように私を見た。
「お嬢様はお美しいですよ。綺麗に着飾れば、しかるべきところに出ても引けを取りませんとも。だから、そんな風に言わなくてもよろしいのですわ」
私は首を横に振った。
「いいえ。世の貴族男性が、自分の配偶者に一番求めているのは、可愛らしさと扱いやすさよ。どちらもない私に、素敵な出会いは見込めないわ。せいぜい、兄の代理をこなして、条件を飲んでくれる方を見つけるしかないのよ」
「代理……ですか」
「ええ。そうよ。爺やにお願いして、徹底的に叩きこんでもらうわ。そして、カミーユ、あなたにもお願いするわ。淑女らしさを教えてちょうだい」
私がお願いすると、カミーユは手にしていた服をばさりと床に落とした。なんと危ない。瓶やティーセットじゃなくてよかった。
「まぁ! 今まで覚えようとしなかったお嬢様が!」
私は肩をすくめた。
「だってお兄様に恥をかかせるわけにはいかないでしょう。お忙しいでしょうけど、爵位を継いで二年、そろそろ社交も増やし始める頃だもの。立派にやってきたお兄様に、あの量の舞踏会のお誘いが来るのは当然よ。全てなんて言ってしまって、失敗したわ……こなすのは大変でしょうけど、乗り掛かった船よ、お兄様の代わりに頑張るわ」
「……お二人とも、兄妹思いですのに、どこでどう間違ってしまったんですかねぇ……」
決意を固めた私を見ながら、カミーユはため息混じりにつぶやいた。